例えば、今日の日の出来事を・・
いつか「あの日の哀しみに感謝」などとする時がくるのだろうか。
今日見上げた夕暮れの空の溢れる輝きや想いを・・そんな風に感じ
思い出となるような日が、いつの日かくるのだろうか。
静かに流れる雲を見上げながら、2人沈黙になる度言葉を捜す頭の片隅で、
こんな・・らしくない事を考えていたのも事実。
「この空みたいに染まるなよな」
隣で同じように流れる雲を見上げながら、
今にも夕闇の中へと消え入りそうな声で言った彼女の言葉に一瞬驚き
「心配ねぇよ」
はにかんだように笑った俺。
背伸びばかりする俺を、風に吹かれて優しく笑い飛ばすに違いないけど・・・
どんなに街や人や・・・そう、世界が変わっても
彼女にだけは今日の俺に戻って、会いたい。
そう思ったのも事実。
いつの日だったか・・・
月曜日の雨は嫌いだと呟いた彼女。
可笑しなことにも、その無理難題な彼女の望みを叶えてやりたいと・・
心の隅では密かに感じてしまったことを、今、静かに思い出す。
望むだけでは何も始まらないのかもしれない。
だけど、綺麗な愛じゃなく、子供のような愛でもなくて・・・
心の向くまま・・・
心まかせに・・・
そんな馬鹿な俺でも、いいんじゃないかとも・・思ったりして。
――諦めに似た笑みが一つ夕闇の中へと消える。
卒業を迎えても、心のおもむくままに・・・
彼女を好きな俺であり続けたいと思う。
そう、全ては心次第に・・・。
心次第
―ついてくんじゃねぇよ。
冷酷ささえも感じさせられるその言葉は、本心だったと思う。
線路沿いの脇にポツンと置かれたダンボールが目に留まった時、正直嫌な予感がしたんだ。
入っているのか入っていないのか、明らかではなかったが・・
無意識に側を走り抜ける電車に視線を集中させながら、その場を通り過ぎた。
――ガタンガタン、ガタンガタン
辺りにけたたましく鳴り響く轟音の中に紛れて、ほんの微かに耳に届いた弱々しい泣き声。
――クゥン。
視線は違う方向に集中させる事が出来ても、耳までは出来なかったようだ。
深い溜息の合図と共に進む足取りはピタリと止まり、通り過ぎたはずのその汚れた箱にゆっくりと振り返った。
そこで目に映ったモノ。
それは・・・何か救いを求めるかのように、小さな手足で必死で箱から這い上がっては
ヒョコヒョコと、けな気な程に傍に歩み寄って来る・・・・・意地らしい姿。
いくら馬鹿な俺だといっても、人間の言葉が犬に通じるとは思っていない。
だが、ソイツ目がけて言葉を零さずにはいられなかった。
「ついてくんじゃねぇよ」
・・・俺なんかに。
子供の頃、よく泣き虫だと言われた記憶がある。
でも今思うと、素直に涙が出るほど感情表現を出すのが上手かったのは・・
人間なら誰もがその時、その時代の自分が一番なのかもしれない。
子供と大人の両方の瞳を持つようになった俺は、ソレがいつの頃からか出来なくなっていた。
馬鹿なことばかりする俺に対しての周りからの声と言えば、まるで何処かで口を揃えて来たかのように・・・
どうしたい? どうしてほしい?
…んなモン分かるかよ。
分からないけど、そんな簡単なものじゃねぇ。・・・上手く言えない。もどかしい。
コレが一種の自暴自棄というものだろうか・・・・
そんな自分自身に無性に腹が立ち、当たるトコロのない俺は周りに対し言葉や暴力・・
「力」という名のもので全てを片付けてきた。
ソレが良いことなのか、悪いことなのか・・俺にとってはどちらでもよかったんだ。
安らぐ余裕もなくて・・強がりとは裏腹に、孤独な瞳が存在する事を誰かに気付かれたくなかっただけ。
いや、自分でも気付きたくなかっただけなのかもしれない。
「ごめん!」
厄介なことにも、それを気付かせた人間は・・・・ありえない奴。
先公。
母親に面と向かって謝るなんて事をしたのは、いつ以来だろう・・。
あの日の事を思い出しただけで何だか可笑しくて、身体全身が痒いくらいに恥ずかしいよな・・
でも何処か嬉しいような。
「いらねぇよ」
頑として聞かなかったかずの、今では当たり前になった母親お手製の弁当を見る度に、少しばかり胸が痛み・・
いつの間にこんなにも小さくなったんだろうと考えさせられる母親の背中に対して、
不器用な18歳の息子から今のトコロ出来る事と言えば、ソレを残さず綺麗に食べることくらいな訳で。
台所にポンと投げ置かれた、空になった弁当箱の包みを開ける度に、嬉しそうな笑みを浮べる母親を横目で
コッチも何気に小さな喜びを感じてるような・・
今ではそんな落ち着いた日々。
・・・そして・・・。
今ではこの当たり前のようになった落ち着いた何気ない日々も、いつかは若き白金学院の生徒をやっていた
「あの頃」の話しとして、懐かしく思い出される日が必ずくるという・・深く見えてきた現実。
皆も、俺も。
そして彼女も。
こんな当たり前の事を誰かに言ったら、笑い飛ばされるに決まってるけど・・
そんな笑い飛ばされることを感じている人間は、俺一人だけでは無いだろという変な確信があった。
そしてその自己満足的な確信こそが、卒業を控えた相変らずの3Dの中で過ごす俺の心を、乱さない
唯一の逃げ場でもあり、救いだったのかもしれない。
内 「…ハァハァ。…悪ィ。・・怖いお兄さん方に捕まっててサ」
びしょ濡れになったあの頃よりも一回り大きくなったソイツの頭を一つ優しく撫でてやる。
嬉しそうに汚れた体で必死になって俺に飛びつくコイツが、今では可愛くてたまらない。
内 「お前、俺の女にしてやろうか?」
分っているのか分っていないのか・・・
尻尾を益々ふらつかせるそんな俺の有力な彼女候補を抱き上げ、
「ブサイクな顔」と一言笑いかけると、それに答えるように相手からは頬を一つ舐められた。
そう・・コイツのけな気なほどの姿勢と、哀れなほどの真っ直ぐな瞳が俺を虜にさせた。
内 「おめぇのせいで、俺ダチへるじゃんか」
・・・実はさっき学校でサ・・・・
正直、自分がこれほどまでに面倒見の良い奴だなんて思ってもみなかった。
内 「悪ィ!俺、今日パス」
野 「え〜!?今日は行くって、朝うっちーも一緒に盛り上がってたじゃん!!」
南 「そうだそうだー!S女の可愛い子達だぞ!?」
内 「いや・・だから、そん時は雨が降るなんて思ってなかったからサぁ」
放課後の教室、帰る支度を生徒が荒々しくする中、俺は両手を合わせてはいつもの面々に深く謝罪する。
登校時は晴れ渡っていた空が、午後から怪しい雲行きとなり・・・
今となっては窓の外を冷たい雨が静かに降り注いでいる。
仲間達の悲痛な程の視線が、救いを求めるかのように瞬時に一人の男に向けられた。
慎 「却下」
既に予想出来ていた痛い返答にも係わらず、「ですよね・・」と声を揃えて落ち込む
そんな懲りない面々の態度に、普段ならコッチ側に居る自分自身について苦笑し・・
思わずこれから先の人生についてを考えさせられた。
熊 「でも何でまた?」
南 「そうだ、何が雨だ!理由を言え理由をー!」
野 「てか、最近付き合い悪くね?」
内 「仕方ねぇじゃん、色々あんだよ」
熊 「色々って?」
野 「あっ!洗濯物を取り入れなきゃ駄目な日だとか!?」
内 「ち、違ぇよ!!」
熊 「またゴミ出しとか?」
内 「普通ゴミは朝出すもんだろーが!・・いいか?第一ゴミの日っつーのはだなぁ・・・・」
冷ややかな親友からの視線を浴び、必死で真剣になってキョトンする4人に返答している
そんな自分の馬鹿らしい姿を今頃になって気付かせられ・・思わず肩を落とす。
そんな俺に気遣ってか、苦笑する彼からのやっとのマトモな問いで・・・俺は心底救われたのだ。
慎 「何か用事あんのか?」
内 「ん〜〜まぁ、野暮用。・・・でもないか」
慎 「何だソレ」
内 「えっと・・ハニーが俺の帰りを待ってるからサv」
こんな時だけは反応が早い奴等。
その瞬間 「ハァッ!?」と見事に声を揃えて、マヌケな面をさせて問う予想通りの反応に腹が痛かった。
相変らずコイツ等とはレベルが一緒のようだ・・そう思い少しの安堵をも覚える自分自身にも何故か可笑しくて・・
厄介な質問攻めにならないようにと、ニィと満面な笑みを一つプレゼントしてから
そそくさと逃げるように足早に教室を退散したのだった。
そして今に至る。
木の陰で震えるようにして座っていた、コイツの姿。
何度ココへ来ても、コイツの茶色した毛が見えた時ほど・・安堵を覚える時はない。
今ではコイツは俺にとってなくてはならない存在なのだと感じさせられる瞬間でもある。
内 「嘘。お前は可愛いよ・・マジで」
自分も負けないくらいに濡れた学ランの胸の中に収めると、意外にもコイツの体は温かくて
微かに感じる鼓動が普段は感じることのない、「生きている」という実感をも何気に感じさせられた。
ヤ 「内山ーーーー!!!」
曖昧なような、ぼやけている静かな一人の世界の中に・・
突然慌しいバシャバシャとした足音に紛れて、大声で自分の名を呼ぶ人物がいる。
その相手が誰なのか、深く考えることなく聞き慣れた声の主を理解することが出来た。
ヤ 「ハァハァ・・。いた〜!良かったぁ〜〜」
内 「アレぇ?お前なんでこんなに早い訳?」
ヤ 「あたしだってサクラが気になんだろーが!雨が降り出した時から気になって気になって・・もう授業どころじゃなかったよぉ」
内 「お前それは・・駄目だろ?つーかヤバイ」
ヤ 「そ、それぐらい心配だったって言ってんだよっ」
あの事があって以来、彼女はココ・・アパート近くでこっそりと飼っているサクラに
会いに来る事が次第に多くなり、今では時間を見つけては訪れる・・・そう習慣というものになりつつある。
始めのうちこそ違和感の固まりのようだった彼女のココへの訪問だったが・・
今では来ない日々が続く事の方に、違和感を覚えたりもするそんな俺。
あ・・・。サクラというのは、コイツの名前。
名前がないのは可愛そうだと言った彼女が、ほぼ無理やり名付け親になった。
名前の由来は、彼女が白金学院に赴任してきたときに見上げた桜がとても綺麗だったから。
ただそれだけの理由。
だが、そのただそれだけの理由で付けられた名を、俺は否定はしなかった。
寧ろサクラという名が気に入った自分が正直居たから。
ヤ 「お前も負けないくらいにびしょ濡れじゃんかよ!?」
内 「傘ねぇもん」
ヤ 「どうすんだよ?」
内 「何が?」
ヤ 「これから」
内 「お前さ・・大事な生徒かサクラか、どっちを心配してる訳?」
ヤ 「サクラ」
内 「・・やっぱり?」
ニィと悪戯な笑みを浮べては、手に握られた赤い傘を俺の身体に背伸びして差し出す担任の彼女。
どうせ傘も振り乱して駆けて来たのだろう・・前髪や2つに結われた毛先が濡れている。
・・・この女にはホント敵わない。
「反対」と付け加え、サクラを彼女の腕の中へと手渡し、
彼女が持つ傘を奪いとって、二人一緒の傘の中へと肩を寄せ合い収まる。
・・どうやら・・
俺はコイツを先公としてだけでは見ていないようだ・・・と、気付いたのはつい最近のこと。
そう、自覚というヤツ。
だが、自覚したからといって何か変わるとか、期待するような良いことなどある訳もなく・・
寧ろ気付かない方が良かったと心底思っている自分が居たりもする。
雨の中を必死で走って来ては、あげくの果てに最大級のこの優しくて綺麗な微笑を
自分一人に見せられた時は・・そう尚更に。
彼女はあくまでも俺の担任の教師であり、俺はその彼女の大事な一生徒なのだ。
この事は何事にも変えられない事実であり、現実。
人間の心というものは、ある程度の歳を迎えれば
自分で押さえたり、変えたり、コントロールが出来るようになる技を、神様が一人一人に与えたのだと思う。
そうでなきゃ今頃理性に負け、俺はコイツの有無を言わせず・・
きつく抱きしめているのだから。
ヤ 「おい。なんだよ?ボーっとして」
内 「・・・別に。・・で?お前も俺ん家来んのかよ?」
ヤ 「当然。サクラが風邪引いたら困るからな」
内 「またサクラかよ」
ヤ 「お前は男だろ?サクラは女の子だからなv」
どうやらサクラを心の拠り所としているのは、俺だけではなさそうだ。
何気に彼女もサクラを恋人にしたいとも思っている一人なのかもしれない。
ライバル登場ってヤツ?・・・あ。サクラは雌か。
こんな時だけ男扱いするのは止めて欲しいとも言えたら・・
俺はどれだけ楽なんだろう。
灰色の空から降りしきる雨を見上げて出た吐息は、何度呟いたか分らない心の声。
ヤ 「月曜日の雨は嫌いなんだよなぁ・・」
内 「はぁ?何で?」
ヤ 「ただなんとなく・・」
内 「意味わかんねぇ」
「ふふふ」と抱きしめるサクラを愛しそうに見下ろしては歩く、彼女の横顔が今日も眩しくて
押さえている心の声は、今日も何処かへと静かに消えて行く。
心をそんな風にした神様に感謝すべきなのか、恨むべきなのか・・。
でも現実に・・どんな理由であれ、生徒と教師の間柄だとしても・・それがこれから変わる事のない哀しい事実だとしても
今こうして肩を並べて2人の時間が確実に流れている・・
その事実だけは、一人神様に深く感謝した。
小さな風呂場で汚れたサクラの身体を洗ってから、部屋で待ち構えた彼女にサクラを任せる。
今頃暴れているだろうサクラと格闘しながら、ドライヤーを必死で振り回す彼女の姿を想像し・・
湯船に浸かった俺から、のん気な口笛が切なく音を奏でていた。
・・雨が降るそんな日は・・
彼女もまた、俺のアパートで少しの時間をサクラと過ごすことにも、この頃の俺は慣れてきていた。
必死になって「おて」「おすわり」を教える彼女を横目で、窓の外の雨に少しの感謝をしていたことを
当然彼女は知らないだろうけど、サクラはもう既にこの頃からお見通しだったのかもなぁ・・。
俺達2人をサクラはいつも、ずっと傍で見ていたのだから。
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