「お時間です」

 「おぅ」
 

 返事を返して立ち上がるあたしに、おじいちゃんが苦笑する。
 
 
 「久美子。今日くれぇはちぃと女らしい言葉遣いにしたらどうでぇ」

 「…そうだね。気をつけるよ。」
 
 

 玄関先で待っていてくれた『彼』。

 ずっとずっと見守っていてくれた人があたしを呼ぶ。

 小さいときから聞いてきた、優しい声で。
 
 
 『お嬢』と。
 
 
 暖かな陽射しが降り注ぐ中、あたしは一歩踏み出した。
 
 

 今日から、新しい生活が始まる。
 
 
 
 
 
 
 
 あなたと。
 
 
 
 
 

 「テツ。」

 「へい。なんでしょう、お嬢。」
 
 

 庭の掃き掃除をしていたテツに声をかけると、縁側まで走ってくる。
 
 

 「あたし今日夕飯はいらないから。」

 「お出かけですかい?」

 「うん、沢田と食事してくる。」

 「…慎の字と…ですかい。分かりやした。」
 
 

 膝に手をついて頭を下げる。
 
 

 「なんかさ、ちょっといい格好して来いっていうんだよ。おかしくないか?」
 
 

 少し落ち着いた色のワンピース。
 
 普段はしないメイクもしてみた。
 
 

 「…よくお似合いです。」

 「そうか?ありがと。…じゃあ、行って来る。ああ、帰りは沢田が送ってくれるから迎えはいらないよ。」

 「へぃ、お気をつけて行ってらっしゃいやし!」
 

 
 高校生だった沢田が、大学に入り、車の免許を取り、少しずつ大人びてきた頃、あたし達は付き合いだした。
 
 ケンカもしたし、別れよう、と言ったこともある。

 だけど、結局ずっと一緒にいた。
 

 
 やっぱり離れることはできなかったから。
 
 
 
 そんな沢田が大学を卒業し、就職して1年たった。

 仕事を始めて、忙しい日々が続いていたので、会うのは主に沢田の家。
 
 疲れて帰ってくる沢田に、すこしでも何か出来ないかと料理の勉強なんぞもしてみた。
 
 
 
 …まあ、最近はなんとか食べられるものが作れるようになってきたか、というくらいの進歩ではあるけども。
 
 今日は久しぶりに一緒に外食しようということになって、沢田の運転する車で出かけた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「うわ、今日はどうしたんだよ」

 「…まぁな。…たまにはいいだろ」
 
 
 
 
 沢田が連れてきてくれたのは、高台にある街の中にぽつん、とあるイタリア料理店。

 看板すら出ていない、一見、レストランには見えない洋館だった。

 車を止め、慣れた様子で入っていくのに、慌ててついて行く。
 
 
 
 

 「いらっしゃいませ、沢田様。お久しぶりでございます。」

 「…ご無沙汰してます。」
 
 
 

 迎えに出てきたどうやらオーナーらしき人と挨拶を交わしている。

 
 
 …なんか、改めて思ったけど、こいつ、いい所の息子なんだよなぁ…。
 
 
 
 
 案内されたのは、一段高くなっている窓際、街の明かりが綺麗に見える席。
 
 

 
 
 
 
 「うわぁ…」
 
 

 思わず声が出てしまって口をふさぐ。
 
 
 
 

 「別に構わねぇだろ、それくらい。」
 

 
 苦笑しながらあたしのために椅子を引いてくれる。
 
 

 
 
 
 「…どうしたんだよ、今日は本当に…」

 「気がむいたんだよ。…ほら、座れ。」

 「さんきゅ」
 
 

 
 食事をしながらも、沢田はどこか上の空だった。

 デザートが運ばれてきたときも、手もつけずに何か考え事してる。
 
 

 
 
 「沢田?」

 「…あぁ」

 「おーい」

 「…そうだな」

 「別れよっか」

 「…あぁ…って、おい!」
 
 

 慌てて立ち上がるのに、にっこりと笑ってみせる。
 
 

 
 「冗談だよ」

 「…っ…たちの悪ぃ冗談やめろよ…心臓に悪ぃ…」
 
 

 
 力が抜けたように、ぽす、と座り込み、片手で額を覆う。
 
 

 「悪い。…でも、本当にどうしたんだよ、今日おかしいぞ、お前。」
 
 

 そこで言葉を切って、沢田の返事を待つ。

 溶けかかったジェラートを食べつつ視線を送ると、沢田は額を覆っていた手をどけ、椅子に深く腰掛けなおす。
 
 

 
 「沢田?」

 「…ちょっと待て。」

 「?」
 
 

 そのままジャケットのポケットを探り、何かを取り出す。
 
 大きくため息…いや、違うな、深呼吸をして、それをあたしの目の前に置いた。
 
 可愛らしいリボンがついた小さな包み。
 
 
 
 
 「…開けてみろよ。」

 「え、いいのか?」

 「いいから。」
 
 

 あたしががさごそと開けている間、沢田は顔の前で両手を組み、ひじをついてこちらを見ていた。

 
 
 …な、なんか緊張するんですけど。

 丁寧に包装を解き、開けた箱には、ベロアのシェル形ケース。
 
 
 
 
 
 
 え。…これって…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 思わずそのまま固まってしまったあたしを見て、沢田は肩をすくめ、ケースを開けてあたしに向けて置く。

 中には綺麗なカットを施されたダイヤの指輪。

 机の上に置かれたキャンドルの灯りを映して輝いていた。
 
 
 
 
 
 
 「…何か言えよ…」
 
 
 
 
 
 
 苦笑いをしながら言われた言葉に顔を上げると、沢田の視線に捕らえられた。
 
 
 
 
 
 
 「…俺も働き出したばっかりで、あんまりいいもんは買えねぇけど…」
 
 
 
 
 
 
 
 そんなことない。
 
 すっごく綺麗だよ。
 

 
 
 そういいたいけど、言葉が出てこなかった。
 
 首を横に振ることでしか伝えられない。
 
 
 
 
 
 「毎回、お前に会って、時間が過ぎて、お前が『帰る』っていう度に思ってた。」

 
 
 
 「…『帰したくない』って」
 
 
 
 
 
 うん、あたしも帰りたくなかったよ。
 
 ずっとずっと一緒にいたいと思ってたよ。
 
 
 
 
 
 
 
 「久美子」
 
 
 
 
 
 
 
 机の上に置いていた手がぬくもりに包まれた。

 あたしの手を握った沢田の手がかすかに震えてる。
 
 
 
 
 
 
 
 「…結婚しねぇ?」
 
 
 
 
 
 
 
 沢田の姿が涙で歪んだ。

 ただうなづくことしかできなかった。
 
 言いたいことはいっぱいあるのに。
 
 

 
 
 止まらない涙の向こうに、安心したように笑う沢田がいた。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 帰りの車の中、あたしは顔が緩んで仕方なかった。

 何度もケースに収められた指輪を見て、嬉しくなって、ぎゅって抱きしめて。

 
 
 
 沢田がくれた約束。
 
 
 
 
 指輪も、指輪が入っていたケースも、そのケースが入った箱も、包んでいた包装紙すらあたしの宝物。

 持って帰ろうと思ったら沢田が『なんでそんなモン持って帰るんだよ』って、
 
 捨てようとしたのにも負けずにバッグの中にしまいこんだ。
 
 
 
 
 だって、気が付いてしまった。

 
 
 
 沢田のくれた小さな包み、包装紙の角、印刷が消えている。

 リボンも少しくたびれてる。

 きっと、ずっと持っていてくれたんだ。

 買ってから今日まで、一生懸命考えてくれたんだ。

 
 
 
 それが嬉しかった。
 
 
 
 
 
 
 「にやけてんじゃねぇよ…」
 
 

 
 
 
 運転中だから前は見ていても、あたしの様子がわかったようで、呆れたように沢田が呟く。
 
 
 
 
 
 
 「いいじゃねぇかよっ、嬉しいんだからっ」
 
 

 
 
 
 そういうと、沢田が黙り込む。…あ、耳赤い。

 ひょっとして、…照れてる?
 
 

 
 
 
 「…さーわーだーくぅん。こっち向いてぇ。」

 「運転中」

 「ちょっとくらいいいだろー。なぁ、さーわーだぁ。さーわ…っ!!」
 
 
 
 
 
 がし。
 
 目の前に手のひらが見えたかと思うと、顔面を覆われた。
 
 …というより、掴まれた?
 
 

 
 
 「むぐ」

 「少し黙っとけ。」

 「なんだよ、この扱い!仮にもあたしはお前の婚約者」
 
 
 
 
 
 …はっ。

 婚約者。うわわ、あたし、すごいこと言ったんじゃないだろうか。
 
 いや、確かに事実なんだけど、間違ってないんだけども!
 
 わたわたしていたら、沢田が小さく笑う。
 
 

 
 
 「…お前、顔熱ぃぞ」
 
 

 手のひらが離れていくと、顔を覗き込まれた。
 
 

 
 
 「すげぇ赤ぇ。手のひら熱いワケだ。」
 
 

 
 そのまま両手で頬を挟まれる。

 思わず目を閉じてしまいそうになったけど、大切なことを思い出す。
 
 

 
 「さ、沢田、ハンドル、お前、両手!」

 「…着いてるケド」
 
 
 
 
 え。
 
 よく見れば、見慣れた門構え。
 
 

 
 
 
 「…ば、ばかやろ、早く言えよ!」

 「気が付けよ」
 
 

 
 離れていく両手が少し寂しかった。
 
 でも視線はそのままで。
 
 

 
 
 「今度、改めて挨拶に来る。」

 「…うん。」

 「三代目の都合のいい日、聞いておいてくれ」

 「…うん。分かった。」

 「またな」

 「…うん。送ってくれてありがと。…じゃあ。」
 
 

 
 
 
 名残惜しかったけど、車を降りて、門に向かう。
 
 
 
 
 
 
 「…久美子」
 
 
 
 
 
 
 車のウィンドウから伸びた沢田の手に腕を掴まれて、引き寄せられた。

 触れ合うだけのキス。

 
 
 
 少し物足りない、と感じてしまったのが照れくさくて、慌てて離れる。
 
 

 
 
 「ばっ、ばかやろ、こんなところで!どうして外に出てからわざわざ」
 
 
 

 って、これじゃ車の中ならいいって言ってることになるのかっ?

 自分で言って焦るあたしに、沢田がいつもの表情を見せた。
 
 

 
 
 「…ばーか、車の中でしちまったら、歯止めが利かなくなって、そのまま連れて帰っちまうだろうが。…じゃあな。」
 
 
 
 
 
 
 
 その言葉に固まったあたしを置いて、沢田の車は消えていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「お帰ぇりなさいやし、お嬢!」
 
 

 ようやく硬直から抜け出したあたしが玄関に入ると、テツとミノルがとんで来た。
 
 

 「ただいま。…おじいさんは?」

 「へぇ、奥にいらっしゃいやす」

 「おう、さんきゅ!」
 
 

 やたら気合の入ったあたしの返事に、二人がきょとんとする。
 
 

 「どうかなすったんですかい、お嬢」

 「あ?いや、やっぱりこういうことは気合を入れていかねぇとな!」
 
 

 二人の頭の上に浮かんだ疑問符をそのままに、あたしはおじいちゃんの部屋に向かう。

 少し開けられた障子が、おじいちゃんの在室のしるし。
 
 

 「おじいちゃん、ただいま」

 「おぅ、帰ぇったか、久美子。」
 
 

 ゆったりと座って将棋盤をにらんでいたおじいちゃんが笑顔になる。
 
 少し離れた位置に座って、深呼吸。
 
 

 
 
 「…あのね、話があるんだ」

 「何でぇ、あらたまって。」

 「その、今度、沢田がね」
 
 
 
 
 
 うわー、何て言えばいいんだよっ。
 
 こ、こんなの初めてだから分からないし…
 
 いや、何度もあっても困るんだけど、いや、困ることないけど、で、でででもあたしはこれが最初で最後だと思うけど。
 
 
 
 
 
 「その…おじいちゃんに会いに来たいって。」

 「そりゃいい、将棋の相手をしてもらいてぇと思ってたとこだ。」
 
 
 
 
 
 …何かが違う。
 
 
 
 
 
 「えーと…そうじゃなくってさ」

 「晩飯食いに来るってことか?それじゃ鍋にしようじゃねぇか。やっぱり大勢の食事ってのが嬉しいだろうしよ」
 
 
 
 
 
 …それも違う。
 
 
 
 
 
 「いや、えと、その…何て言ったらいいのか…えー…」
 
 

 
 
 
 あ、そうだ。あれ!あれ見せれば分かってもらえるかな。

 貰った指輪をおじいちゃんの目の前に置く。
 
 

 
 
 「あのさ、…これ、貰ったんだ…」

 「お、そうか。ちゃんと礼は言ったか?」
 
 
 
 
 
 いや、絶対違うから!
 
 
 
 
 
 「おじいちゃん!」

 「まぁ、そんなに熱くなるねぃ。分かってらぁ。」
 
 

 
 その時点で、からかわれていたことに気づいた。
 
 

 
 
 「もう!人がすっごい緊張してたのに。」

 「おぅ。鬼みたいな顔してたからなぁ、少しは落ち着いただろうよ。それで、お前たちはいつにしてぇんだい?」
 
 

 
 懐手をしてにこにこしているおじいちゃんの前に、きっちりと座りなおす。
 
 

 
 「…こっちの都合のいい日を聞いてって言われたから、いつでもいいと思う。」

 「そうかい。」
 
 「あ、でも」

 「ん?」

 「…出来るだけ、早いほうがいいな。」
 
 
 

 そう言うと、『ほぅ』と感心したようにあごをなでる。
 
 
 

 「そんなに早くお嫁に行きてぇかい。慎の字も果報者だ。」

 「え、え、ええっ、そ、そんなんじゃないって!」

 「照れるこたぁねぇ、仲がいいのはいいことじゃねぇか。…どれ」
 
 

 
 襟元をきゅ、と引き、居住まいを正す。
 
 

 
 「そいつを見せてもらってもいいかぃ、久美子。」

 「あ、うん。」
 
 
 

 指輪のケースを開け、手渡すと目を細める。
 
 
 

 「…こいつぁ、見事なモンだ。
 
 ところで久美子、どうしてこいつをケースに入れたまんまにしてるんでぇ?…すりゃいいじゃねぇか。」
 

 
 そう言いながらあたしに返してくれる。
 
 

 
 「沢田がね、まだするなって。おじいちゃんに認めてもらえてからにしたいから、って言ってた。」

 「ほぉ、そいつぁ生真面目な。…久美子、慎の字に伝えてやっちゃあくれないか?おじいちゃんは次の休みに来て欲しいってな。」

 「うん、分かった。ありがと、おじいちゃん。」

 「おう」
 
 
 
 障子が閉まり、足音が聞こえなくなった。
 
 
 
 
 
 「…嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。…だがよ、俺が認めなかったらどうする気なんでぇ、慎の字。」
 
 

 
 
 久美子と入れ替わるように、テツがお茶を持ってやってくる。
 
 

 
 
 「おやっさん、お茶をお持ちいたしました」

 「おぅ。」
 
 

 
 
 そのお茶に口をつけたとき、何かに気づいたように、龍一郎は苦笑いを浮かべた。
 
 
 
 
 
 
 
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