一浪決定。



  沈んだはずの約一年間。

  だけどもそれは決して悪いものではなく。

  お人好しの『元』担任は、こっちが落ち込めばスグに世話を焼いた。

  携帯番号ゲット。



  一浪という特権。

  元生徒という特権。

 

  さぁ、この特権をフルに使おうではないか!











  憶測と調和










  ・・・頑張れ俺。

  負けるな、俺!









  ・・・・そんなことを頭で考えては見たが、それはそれ、これはこれ。

  鬱陶しいほどの・・・むしろ、憎しみさえ湧くほどの晴天。

  暖かい、などでは表現できないほどの非常識な熱気が窓を通して彼に降り注ぐ。

  彼は溜息を吐く。





  こんのクソ暑い中、がんばれるわけがないではないか!





  「・・・・やってられっかチクショウ・・・・」




  思わず悪態が漏れ、そのまま机に倒れるようにうつぶせになった。

  少しだけ冷たい机の感触が頬を冷やした。

  ・・・意識が朦朧とする。

  そんな野田の呟きに、ピキッと青筋を立てた人物。

  彼の『元』担任教師。



  「テメェ、野田・・・」



  幾分か低い声を出し、彼の元担任、山口久美子は項垂れる野田を見下ろした。



  「だれるなコラ!」



  怒りを隠そうともせずに言う久美子に、野田は机に突っ伏した状態からチラリ、と真向かいに座る彼女を見た。

  そして、更なる深い溜息を吐く。



 
  「だってマジ暑すぎ。死ぬ。・・・・も、頭働かネェっての・・・・助けてママー」

  「何がママだコラッ。私だってなぁ、マジこの暑さには参ってんだよっ」







  それだけでかい声出るなら、まだまだいけんじゃねぇの?




 

  野田はそう思ったが、それは口に出さずにおいた。

  彼女の言うとおり、口では元気だがさすがにこの熱気には参っているのだろう。

  顔を見る限り、汗の張り付いていないトコはないといってもいいほどだ。
 
  彼女はジャージにシャツといった至ってシンプルな服装だったが、

  

だけどもその白いシャツも熱気と体温で湿り気を帯び、身体に付着していた。

  本人は全く気づいてはいないが、そのせいで下着の線も浮き出ている。



  本来ならここで彼女をからかったりもできるだろう。

  ましてや彼は彼女に惚れているのだ。(自覚したくなかったけど)

  理性など放り投げて襲おうとするかもしれない。(鉄拳制裁覚悟で)

  だけども野田は、深い・・・あまりにも深い溜息を吐いた。



 
  チラリ、とまた久美子を見る。







  一度でも『カワイイ』と思えば負け。

  そして彼はその瞬間に負けたのだ。







  頭を抱えたくなるこの感情に、野田は更なる溜息を吐いた。
 
  しかし久美子は野田の態度が気に入らないのかふてくされるように腕を組み、頬を少し膨らませていた。

  その様子が何故だか子供みたいで、彼は知らず微笑んでいた。



  今この状況。

  狭い進路指導室に二人きり。







  こんなにオイシイ状況が今まであっただろうか!?







  手を伸ばせば触れられる。

  その髪に。

  その肌に。







  ・・・・だけど、できない。



  それは彼の理性がそうさせるわけでもなく。

  ましてや彼女に嫌われることが怖いから、なんてこともない。

  野田は確信しているのだから。



 
  久美子が野田の『本気』を汲み取れば、彼女が抵抗できないことを。




  否、抵抗はするだろう。

  だけども、彼女は野田を嫌わない。

  そう確信できる。

  つまりはオブラートに包みまくった言い方をすれば『お人好し』。

  ぶっちゃけてしまえば『単純馬鹿』。

  彼の元担任は、それを地でいっている。







  だけども出来ないのだ。

  手を出せない。

  出せるわけがない。











  ・・・・・・・・この炎天下の中で。











  理性、本能、性欲。

  それら全てを食らいつくすように照りつける太陽。

  思考回路すら奪われる。

  こんなチャンスは二度と無いと思うのに、行動に移せない。

  移す気になれない。

  照りつける太陽をここまで憎いと思ったことはかつてなかった。





  「・・・・ここマジ暑すぎ・・・・クーラーネェのかよぉ・・・・」

  「あるわきゃネェだろうが、こんな狭い部屋に!」

  「じゃぁ、教室はー・・・?」

  「使用不可!」

  「なんでだよ、教師の特権で鍵パクってこいや!」

  「鍵云々以前に、今の私の生徒が使ってんだよ、あの部屋」



 

  そこに野田を放り込めばどうなる?

  どちらかが喧嘩を売るに決まって居るではないか!

  ケンカをするなというわけではない。

  が、しかし。

  このクソ暑い中で更にクソ暑い取っ組み合いを見たいわけがない。

  その意図を野田が察したかは分からないが、野田はそれ以上突っ込んでこない。



  この暑さに思考回路がやられているのだろう、

  久美子の言葉を深く考えるまでもなく、野田はまた溜息を吐いた。



 

  「・・・マジ最悪」

  「・・・言うな。マジで。更に暑くなる・・・」

  「これが愚痴らずにいられるかよ・・・・久美子センセー。僕死んじゃうー」

  「お前の進路のことだろうが」

  「暑いんだもーん」

  「可愛くネェよ!」

  「あー、マジヤバイ。マジ死ぬ。ヤンクミ、内輪か扇風機持ってきて」

  「・・・ここで死んどくか、コラ?・・・吊すぞ!」

  「あらー?久美子ちゃんこわーい。元生徒に向かってすっごい暴言〜」



  「可愛くネェっつってんだよチクショウ!ってか、誰が久美子ちゃんだ誰が!

  私だってなぁ、お前が一浪してでもヤッパ美大行きたいってェから付き合ってんだろうが!!」



  「だってさ、やっぱ行きたいしィ?」







  一度決意した夢。

  さすがに諦めきれない。







  それに口実作ってでもお前に会いたいし。







  さすがにそれは口に出さなかったが、だれる野田の前で久美子は更にエキサイトする。




  「私だってこんなクソ暑いトコいたくねぇよ。一ッ風呂浴びてクーラーつけた部屋で冷えたビールの一本でも飲みテェっての!」

  「うっわ、何処のオッサンだよお前」

  「何とでも言え!だいたいなぁ、お前やる気あんのか!?」




  その一言に、野田のこめかみがピクリと痙攣する。

  思わず彼は項垂れて机に突っ伏していた上体をあげた。




  「あるってーの!だからこのクソ暑い中、文句も言わずに来てんじゃねぇか!お前の携帯に電話してまで!」
 
  「嘘付け!文句だれだれじゃねぇか!」

  何だよその言い方!試験落ちて、もっかい頑張ろうとしてるカワイイ健気な元生徒に言う言葉か!?」




  売り言葉に買い言葉。

  久美子は一瞬歯を食いしばり、机をバン、と思い切り両手で叩いた。




  「だったら最初からがんばれ!!」





  「あ!!!!」





  いきなりの大声。

  先程よりも幾分それは大きい。

  口論で押していたように見えた久美子は思わず身を引いた。




  「な、なんだよ・・・」

  「傷ついた。あー、もう僕傷ついたなぁ・・・これでもまだ傷心してんだぜ?」

  「え?!あ、あの・・・いやその・・・」



 
  『傷心』という言葉に、久美子は思わず言い淀む。

  そんな久美子の反応を横目でチラリと見て、野田は更にまくし立てた。




  「それをこの馬鹿教師、何も考えなで勢いに任せて傷口に塩塗り込んでくれちゃってさぁ・・・?」

  「ちょっ、その、なんだ・・・・ってか、誰が馬鹿教師だ!」

  「目の前の元担任」




  間髪入れずに言うと、また項垂れるように机に突っ伏した。




  「あー、ヒッデ。傷ついたなぁ、ボク」

  「くぅっ・・・」




  演技丸見えの野田のこの態度。

  しかし久美子は、ちょっとした失言の罪悪感からか何も言えない。

  眉をしかめて悔しそうに野田を見た。

  野田はと言うと、机の上に顎をのせて久美子を見上げている。

  その視線に久美子はたじろいだ。




  「あー・・・その、なんだ・・・」




  久美子は野田から眼を離し、ゴホン、と意味のない咳払いをした。




  「その・・・ご、ごめん・・・」




  その小さき謝罪に、彼はニィっと口の端を広げた。




  「え?何々?聞こえませんが?」

  「〜っ!」

  「もっとはっきり聞きたいなぁ、ボク」

  「・・・性格激悪!」




  野田は更に目を細めて笑う。




  「その性格の悪い野田君は困ったことにお腹が空いてきたんだよなぁ」

  「・・・って、おい」



 
  引きつった顔をする久美子に、野田はまるで悪戯っ子のように笑んで見せた。




  「ファミレスでいいからさ、奢ってよ」




  予想できた野田の言葉。

  しかし久美子は更に頬を引きつらせた。




  「・・・野田くーん?」

  「はい。なんでしょう、久美子セーンセ?」

  「先生、君のことブチのめしたくなってきちゃったなー」




  額に青筋立てにじり、と迫り来る久美子に、それでも野田は笑う。

  にっこり、と。




  「いいじゃん。これでさっきのお前の失言チャラってことでさ」




  自分の醸し出した怒りをものともせずに、ましてや野田はへらっと笑っているモノだから。

  久美子はそのまま肩の力を抜き、溜息を吐いた。

  このクソ暑い中、野田のペースに乗せられて怒るだけ体力の無駄である。

  果てしなく鈍い久美子だが、ようやくその事に気付いた。




  「・・・なんか私、お前に乗せられてネェか?」




  その言葉は疑問系だったが、目の前の野田に言うと言うよりも、一人ゴチるみたいに呟いただけだった。

  しかし、それははっきりと野田の耳にも届く。

  野田は笑った。







  御名答。







  「ま、いいじゃんよ。近場でいいから行こうぜ。ってかマジクーラー当たりテェんだよ」




  それは久美子も同感である。

  久美子は少し考えるふりをするが、もう答えは出ている。

  『クーラー』

  それは何とも素敵な響きだろうか。

  彼女は徐にガタン、と席を立ち、チョイチョイ、と指で野田を促した。




  「おら、行くぞ」

  「そーこなきゃ」




  野田もガタン、とパイプ椅子を鳴らして席を立ち、今まで開いていた教科書のたぐいをカバンの中に即座に入れた。

  鞄を肩に掛け、両手をポケットに入れてのらりくらりと久美子の後を歩く。




  「ただし、奢るのは飲みモンだけだからな」

  「うわ、何このケチ教師」

  「ウルセェ、一つだけでも奢ってやると言う久美子先生サマに感謝しやがれっての」

  「感謝して欲しかったらさぁ、飯も奢ってくれよ」

  「調子に乗んなっての!このクソ暑い中お前に付き合ってたんだから、それだけでも感謝されても足りネェだろうが」




  それを言われると何も言えなくなるではないか。

  野田は久美子との口論に潔く負けを認め、軽く肩をすくめた。

  久美子は勝ったと言わんばかりに口の端を上げる。



  進路指導室を出て、久美子はジャージのポケットから鍵を取り出す。

  が、その時、あまりにも暑くて窓を開けっ放しにしていたことに気付いた。

  野田が教室から出たのを確認して、もう一度中に入って久美子は小さな部屋に不似合いの大きな窓を閉め、鍵をかけた。




  「くーみこちゃん。早くしろよ」




  ケケケ、と笑う野田に、久美子はしょうがないな、という笑みを浮かべた。




  「お前なぁ、ちょっとくらい待てねぇのかよ」




  溜息混じりに言う久美子。

  それでも、その顔は笑っていて。




  「無理。喉カラッカラだもんよ、俺」




  久美子が進路指導室から出たのを確かめ、野田は彼女が扉を閉めようとする前に、手をかけてその扉を閉めてやった。

  久美子は先程出し損ねていた鍵を取りだした。

  閉める際、カチャン、と乾いた音が聞こえる。




  「鍵、職員室に置いてくるから、先に校門行ってるか?」




  聞く久美子に、野田はうんざりとした顔を隠すことなく浮かべた。




  「ッてかお前、この炎天下の中外で待たすつもりかよ。いいよ。俺もついてく」

  「いいのか?教頭居るかもしれないぞ?」

  「あー・・・そんときはバックレるわ」

  「おう。賢明だな」




  なんて、不意打ちでニッコリ、なんて笑うモノだから。

  思わず野田は先を歩いていく久美子の手を掴もうとしてしまった。

  だけどもそれは空を掴む。







  届かない。

  ──────彼女には。







  それは自分の意気地のなさか、それともただ彼女に拒否されると言う不安からか。

  それは野田自身にも判断しかねた。

  だけども、手を伸ばせば触れるぐらいは出来ただろう。

  野田の持ち前の軽さを用いれば誤魔化すことでそのまま手を握れたかもしれない。

  ・・・・だけど、それは自分自身の感情に拒否される。

  軽く何かない。

  できない。







  ・・・踏ん切りが着かない。







  「お前はそこで待ってろ」




  言う久美子の声に、野田はハッと顔を上げた。

  いつの間にかソコは職員室前。

  野田は自分の考え(妄想)の深さにある意味感心する。




  「・・・おう。喉乾いてるから早くな」

  「わーかってるっつーの」




  久美子は笑うと、ふと思うように足を止めた。




  「あ、やっぱちょっと待ってろ」

  「あ?」

  「私ももうこれから用事もないし、帰る用意する」




  だからちょっとだけ待て。

  そう言う久美子に、野田は職員室の扉にもたれ掛かり、髪を掻き上げた。




  「用意っつっても、いつも通りのラフなカッコに着替えるだけだろ?いい加減もうちょっと色気付けや」




  からかうように言う野田に、久美子の頬は一瞬にして赤みを差した。




  「う、うるさいっ・・・ほら、あれだ。私が色気付いたらみんな私の虜になるだろう?・・・な?」

  「いや、あり得ねぇし」

  「あ、あり得るかもしれないじゃないか!きっと!」




  思い切り願望が入ってる久美子の言葉に、野田は思わず苦笑した。







  そんなんしなくても、俺はお前に奪われてるけど。









  だけど、そんなことを言えるはずもなく。

  野田は苦笑するしかない自分を、心の中で自嘲した。




  「あーはいはい。そうですねぇ?」

  「うおっ、メチャクチャ馬鹿にしてんなお前」

  「いやいや。これから奢って下さる久美子先生にそんな失礼なこと!」

  「目先の欲だけかよお前!・・・くっそー」




  最後の悪態は心なしか小さくて。

  それがなんだか、堪らなく可愛くて。

  野田は満面の笑みを浮かべる。

  その様に、何故か久美子は目を背けた。




  「どしたよ?」




  小首を傾げて言う野田に、久美子は思わずと言っていいほど勢いよく片腕で顔を半分かくした。




  「な、なんでもねぇ!」




  サッパリ意味が解らない。

  今の発言で何処に久美子が顔を赤らめる必要があったのだろうか?

  彼は目の前にいる久美子を心底不思議そうに見つめた。




  「・・・用意してくる」

  「お、おう」




  何処か憮然と言って、くるりときびすを返して職員室の中に消えていく久美子に、

  

野田は更に首を傾げた。







  さすがは久美子先生。

  行動予測が付かない。









  何処か釈然としないでも、それが『山口久美子』だと思うと、なんでもありのような気がしてくる。

  野田はそれについてあまり深くも考えず、ただ久美子の用意が終わるのを待って、ぼぉっとしていた。

  教頭は居ない。

  みんな帰ったのだろうか、職員室には久美子以外の他は二人しかいない。



 
  そこで、ふと気付く。



 
  そう言えばココは職員室前。

  邪魔になるかもしれない、と彼は廊下に出たが、職員室と廊下の温度差に顔をしかめた。

  野田は自分がこのような配慮を行うことに、成長したかも、などと思って思わず顔を綻ばせた。



 
  そしてただ窓の外を眺める。




  日差しはきついが、さわさわと揺れる木々。

  少しでも風があるのだろうか。

  だけども涼むまでにはいかないのだろう、これだけ日差しがきつければ。

  廊下にいるだけで汗が吹き出てくる。

  外とは違い、ここは全く持って風が通らない。

  窓を開けようとしたが、それは思いとどまった。

  なんとなくガラス越しの空、というのと、窓に反射して目に射し込む光が綺麗だと思ったからだ。



 
  ふと、野田は溜息を吐く。

  だけどもそれは外がキレイだったからではなく。

  自分にした溜息でもなく。

  ただなんとなくといった風に。

 
  つぅっと窓に指を這わせてみた。

  窓にはうっすらと指の跡が残っている。
 
  思わず彼の頬はひくついた。







  どんだけ掃除してネェんだよ・・・







  ズボンで汚れた指を拭き、そう言えば、と彼は職員室方面を振り返った。




  「って、おわ!?」




  いきなり目前にいた久美子。

  いつの間に着替えたのか、ジーパンにシャツという、ラフな格好の出で立ちで久美子はそこに立っていた。

  あまりの驚きに、野田は額に汗して窓に張り付いた。




  「テ、テメっ、いつからそこに!?」




  驚いてしまったことの恥ずかしさに、野田は思わず口元を手で覆った。

  だけども、何故か久美子も次第に顔を赤くする。




  「よ、呼んだけどお前が気付かなかったんだ!」




  何処か気まずそうに言う久美子。

  しかし、野田はあまりの動揺に気付かない。




  「呼んだって・・・い、いつだよ・・・」

  「そ、それは・・・その、あれだ。うん、ず、ずっと呼んでたんだっ」







  ウソつけ。







  そんな悪態が野田から出てくる。

  しかし、久美子はそれ以上の言及を許さないとでも言うように、野田の手を掴んだ。




  「ほ、ほら行くぞ!・・・お茶飲みに行くんだろうがっ」




  野田としては言い足りないが、久美子に手を繋がれ、あまつさえ力一杯引っ張れれば何も言えない。

  それ以前に久美子の態度がそれを良しとしていなかった。

  野田は久美子に逆らわず、久美子に手を引っ張られるまま廊下を小走りに駆けていく。







  彼が躊躇していた手を繋ぐ、と言う行為。

  それを彼女はいとも簡単にやってのけてしまう。







  あれだけ思い留まった自分が馬鹿みたいだ。

  彼は内心溜息を吐いた。

  チラリ、と久美子を見るが、その後ろ姿では表情は解らない。



  視線を繋がれた手に戻す。

  しっかりと捕まれたそれは、久美子の体温を直に感じて。

  そんなことでも嬉しいと思う自分に、ずいぶんと純情になったモンだと悪態を付かずに入られない。




  「・・・まぁ、いっか」




  それは本当に呟きで。

  久美子には聞こえていなかっただろう。

  その証拠に、彼女は振り返りもしない。

  どうせ正面玄関までの距離。

  彼はそっと・・・・本当にそっと、繋がれた彼女の手を握り返した。




  「っ!」




  その瞬間彼女の息が詰まる。

  一瞬だが、彼女の身体が戸惑いに強張るのを野田は繋いだ手越しに感じた。







  マズかったか?







  そう思っても、ここで不自然に手を離すのもおかしいではないか。

  それはきっと彼の願望も入っている解釈。

  野田は久美子の変化に気付かない振りをしながら、彼女が手を離さないことを良いことにその手を繋ぎ続けた。

 



  次第、見えてくる正面玄関。

  野田の靴箱はもう下級生のモノなので、学校を訊ねるときは正面玄関に備え付けられている靴箱を利用していた。

  それは教師も同じ事。




  着いた途端、離される手。




  野田は名残惜しそうに自分の手を見つめたが、そのままジッとしているわけにもいかないので、

  すぐさま自分の靴を取りだし、履き替えた。

  久美子はと言うと、律儀にも玄関先で腰を下ろし、靴を履いていた。

  その様子が何処かおかしくて、笑いを抑えきれない。

 
  靴を掃き終えた久美子が立ち上がろうとした瞬間、目の前に差し出される手。

  彼女は反射的に顔を上げた。




  「どうぞ?」




  ニィっと笑いながら差し出される手。

  また、久美子の顔が赤くなる。




  「い、いや、じ、自分で立てるぞ!?」

  「俺がしたいから良いんだよ。おら、さっさと手ェ出せや」




  悪戯をけしかけるような彼特有の笑顔に、久美子は戸惑いながらも手を乗せる。

  その瞬間ぐいっと手を身体ごと引っ張られた。

  足運びが悪かったのか、よろけそうになる身体を野田が支えた。

  久美子の顔は更に赤みを増していく。




  「おぉ、役得」




  口笛を吹きかねない様子で言う野田。




  「お、お前なぁっ!」




  ここで動揺しないでどうしろと言うのだろうか?

  どう反応して良いか解らない久美子をよそに、野田は笑みながら久美子の手を繋いだ。

  ごく自然に。

  先程自分が行動に出来なかったことを、先に久美子のやられたのが悔しかったのだろう。

  しっかり手を繋いだまま、野田は久美子を見て笑う。




  「放課後デートだろ?これくらいしなきゃな」

  「デ、デートぉ!?」




  明らかに間の抜けた、しかし戸惑うような表情を見せ、久美子は野田を見上げた。




  「おうよ」

  「な、なんでだよ!」

  「男女二人で学校からの寄り道。なんかいいんでない?」

  「いや、友達でもするだろそれっ」

  「あれ?俺ら友達だっけ?」




  肩をすくめて言う野田に、久美子はうっと言葉に詰まった。




  「ち、違うけど・・・」




  というか、元担任と元生徒である。

  あまりのことに・・・いや、それ以前にこんな対応になれていない久美子は、最早頭の回転がなっていない。




  「んじゃぁ、デートじゃん」




  な?




  そう念を押すように笑う野田に、久美子は顔の赤いまま、ふぅっと溜息を吐いた。

  もうなんでもいい、といった様子である。




  「取り敢えず茶ァ飲もうぜ」

  「・・・・・おう」




  野田に手を引っ張られながら久美子はやや釈然としないまでも、大人しくその後に付いていった。




 

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  [憶測と調和A]に続く 


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