時の轍
T
「熊、ラーメンと餃子、大急ぎでよろしくぅ。」
暖簾をくぐり開口一番。
「っらっしゃい!おう、南久しぶりぃ、なんか今日は懐かしい人がいっぱい来る日だぜ。」
「・・・・・?」
カウンターに目をやれば、野田がピースサインを作りニコニコといつもの人懐っこい笑顔を向けている。
「おう、野田ひっさしぶり、元気だったか?」
「おうよ。それより南、一足遅かったぜ。さっきまでヤンクミも居たんだ。」
「えぇ、何だ、俺も会いたかったなぁ・・・。相変わらずうるさかったろーな。」
南は早速出てきたラーメンをすすりながら、久しぶりに会った野田との話に余念がない。
熊も黙々と仕事をこなしながら、カウンターの二人の話を笑みを浮かべつつ聞き、時々会話に混ざったり相槌を返したりしていた。
ふと、野田が今思いついたというように声をかける。
「なぁ熊、今日のヤンクミ元気がなかったみたいだけど、お前どう思うよ?」
「えっ・・ヤンクミが元気ないなんてことあんのかよ?」
「んー、そういやぁ、今日はヤンクミにしちゃあ静かだったかも・・・。この間来たときは、今日の3倍は、うるさかったもんな・・・。」
そう言いながら、半分ほどラーメンを残した彼女のことを思い出し、少々顔を曇らせた。
「でも、あいつのことだから・・明日には元通りなんじゃねぇか!?」
「・・・だよな。それよりさ、さっきヤンクミの名前聞いて思ったんだけど、ぼちぼちクラス会なんてのをやってもよくねぇ?」
「おっ、それ、俺も賛成!まぁ俺も、灰色の浪人生活ともやっとおさらばして、バイトも始めて、生活のリズムも出来てきたとこでさ・・・。みんなにも明るい顔で会えるし、去年の卒業式前に俺といっしょに荒れてた奴らも、みんな揃って大学とか行き始めたし・・・。もう直ぐ、夏休みだし、いっちょうヤンクミ交えて大騒ぎしますか!?」
「おし。んじゃあ、俺と野田で幹事引き受けようぜ。熊、もしかするとここが会場になるってぇこともあるかもしんねぇけど、そんときゃぁ宜しく頼まぁ。」
「おうよ!まいどありぃ。」
「じゃあ、熊、また来らぁ。」
「じゃあねぇ。」
クラス会の話で盛り上がった後、二人はいっしょに店を出た。
1本を二人で分け合ったビールで、気持ちよく夜風に吹かれながら、高校時代しょっちゅう遊びに来ていたゲーセンの前を通りかかった。
と、その時見慣れた人影を見た気がして野田が立ち止まる。
「おい、南。あれ・・・ヤンクミじゃねぇ?」
「は?」
道路の反対側で小さくはあるが、確かに元担任の久美子の姿だと判る。
細い路地から、白金の制服を着た生徒を3人、引きずるように引っ張ってきたと思うと、思いっきり背中をはたいている。
その生徒たちは、めいめい好きな方角へ駆け出していった。
と、その久美子を囲むように、いかにも柄の悪そうな男が現れた。
6人はいるだろうか?
おそらく、絡まれている白金生徒を久美子が助け出して逃がしてやった所なのだろう。
野田と南は、この後久美子に叩きのめされるであろう男たちを思って、気の毒そうに溜息をついた。
「久しぶりに、ヤンクミのケンカを見せてもらいますか。」
「そうですねー。威勢の良い啖呵を、聞かせていただきましょう。」
二人は、好奇心の塊のようになって、久美子と男たちを見守ることにした。
だが久美子は、何故か相手にされるがまま、さっきの路地の方に連れて行かれる。
それを見て二人は、慌てて道路を渡り路地を覗き込んだ。
二人の視線の先・・久美子の足元には、すでに3人が地面に沈んでいた。
が、しかし、彼女に対しじりじりと間合いを詰めてくる男があと3人いる。
そして、驚いたことに久美子の動き方が明らかにおかしい。
急所を素早く突いて、すぐに相手の動きを封じることの出来るはずの久美子が、てこずっている。
肩で息をし、随分辛そうだ。
野田と南は、顔を見合わせ頷きあうと
「お巡りさーん、こっちこっち!」
「女の人が、絡まれてまーす。」
と、大声で叫んで手招きをする。
その効果があったのか、立っていた男たちは地面でうめいていた奴らを引きずるようにして、
路地の反対側へと逃げ去った。
それを見送った久美子は、その場に崩れるように倒れ込んだ。
慌てて駆け寄る、野田と南。
「ヤンクミ!」
「大丈夫かよ、ヤンクミ!?」
「え・・・?野田・・?南・・?・・・どうしてここに?」
意識はちゃんとあるようだ。
だが、額には随分な汗を浮かべ肩で息をし、立ち上がることも出来なさそうな久美子は、どう見ても様子がおかしい。
南は、久美子の背中を支えて抱き起こしてやりながら、彼女の額に手を当ててみる。
「おい、野田、ヤンクミすごい熱あんぞ!」
「はぁ、どうりで・・・。さっきの奴ら命拾いしたわけだ。」
口では軽いことを言ってはいても、久美子のことをもちろん心配しているのだ。
「ヤンクミ、家に電話して誰かに迎えに来てもらおうか?それまで、俺たちいっしょにいてやるし・・・。」
「南・・それが、今日は生憎・・誰も居ないんだよ。・・・・そんなことめったに・・ない・・ん・だけど・・。」
久美子の口調が、だんだん怪しくなっていく。
呼吸も荒く、苦しそうで・・・見知った顔に助けられて安心したのか、意識も薄れていくように見える。
「おい、南、ヤンクミ怪我もしてんぞ。」
「ゲッ、ほんとだ。やべぇよ。タクシー拾ってきてどっか病院探すか・・・あっ、そうだ!」
南と野田は、二人同時に同じ事を考えたようで、野田はすぐさま携帯を取り出し、南は久美子を背負って歩き出した。
ここから直ぐの、慎のマンションに向かって・・・。
「あ、慎?俺・・・・野田だって。今家に居る?んじゃ、今から行くから。」
南の背中で、久美子が何か言ったようだったが、聞き取ることは出来なかった。
「いったい、なんなんだよ。」
野田からの電話を受け取った慎は、訳が分からず暫く唖然としていたが、来るという友人を拒む理由もないので、とりあえず待つことにした。
程なく、玄関のチャイムが鳴る。
ドアを開けるとそこには、電話をしてきた野田と後ろには南の姿があって・・・。
「入れよ・・・・?」
と言った慎は南の背中の久美子を見つけて大きく目を見開いた。
「久美子・・・?」
「「久美子ぉ???」」
野田と南の声が見事にユニゾンする。
慎は、そんな二人の声も姿も全く気にしていなかった。
南の背中から、久美子を降ろして抱きかかえるとすぐさま自分のベッドに運んだ。
そして苦しそうな様子を見て取ると、額に手を当て納得したように頷いて・・・。
「久美子、俺がついててやる。安心して眠ってろ。」
そう言ったかと思うと、彼女の衣服を緩め、布団をかけてやり、タオルを持ってきて汗を拭ってやると、額に一つキスを落とした。
「し・・・ん・・・?ごめん・・・ね。」
久美子は弱々しく呟くと、そのまま眠りに落ちていったようだ。
慎はその寝顔を暫く眺めていたが、久美子の怪我に気付いて、やっと二人を振り返った。
「野田、南、いったい何があったんだ?」
ア然とした顔で、久美子の世話をする慎の様子に見入っていた二人は、声を掛けられてハッと我に返った。
野田と南は問われるまま、熊の店で久美子に会った事から始め、熱を出して倒れた久美子を助けて、ここまで連れてきたことを慎に説明した。
話を聞いている間に、久美子の怪我の手当てを済ませた慎は、
「サンキュ。いいところに通りかかってくれて助かったよ。怪我の方はたいしたことないみたいだし、良かった。」
そう言いつつ、手早くコーヒーを淹れ、テーブルに置くと
「坐れよ。」
と、二人を促す。
「お、おう。」
野田も、南も、何故か遠慮がちに腰を下ろす。
慎は、ベッドの久美子を気遣うようにそっと頬に触れ、タオルで汗を拭いてやってから、やっと二人の方を向いて座った。
「あ、あのさ、慎・・・。」
「あの、俺らちょっと聞きたいことがあるんですけど・・・。」
先程まで久美子に向けていた優しい眼差しとはまるで違う、鋭い視線が二人を射る。
「分かってる、俺と久美子のことを聞きたいって言うんだろ?」
(あー、俺らなんで慎にびびってんだよー。)
心の中でそう愚痴りながらも、二人は頷くことで返事を返すしかなかった。
「見ての通り、俺と久美子は付き合ってる。以上。」
慎の言葉は簡潔すぎて、とりつくしまもない。
しかし、ここで引き下がっては、知りたいことは何も分からないとばかりに、食い下がる野田と南。
「慎、そんな冷たい言い方すんなって。」
「そうそう、俺らと慎の仲じゃん。もうちょっと詳しく教えてくれても・・・。」
それを受けた慎は、久美子の様子を見るように視線を動かすと
「で、後は何を聞きたいって?」
と呟くように言う。
「ん〜、何って、付き合うきっかけは何だったのかなーとか・・・。」
「慎があのヤンクミをどうやって口説いたのかなーとか・・・。」
慎は、久美子が眠っているのを確かめると二人の方に向き直り、大きな息をひとつ吐き出すと
「何で、俺がそんなことをお前らに説明する必要があるのか分かんないけど・・・どうせ、答えるまで顔合わす度に聞いてくるんだろうから、教えてやる。付き合い始めたのは4ヶ月位前、でもって、俺が強引に久美子を口説き落としたんだよ。回りくどいことしてたら、こいつには絶対通じないと思ったからな。・・・こんなもんでいいだろ。」
野田も南も、もっと詳しく聞きたいという好奇心を捨て切れなかったが、おそらくこれ以上は何も話してはくれないだろうとも思っていた。
でも、ただ一点だけどうしても聞いておきたいことがあって・・・。
「慎、最後にもう一個だけ・・・なんでヤンクミなのさ?」
(南、よくぞ聞いてくれた、俺もそれ聞きたかったんだよー。)
野田も、身を乗り出して答えを待っている。
慎なら、大学でだって何処でだって女のほうから言い寄られているだろう事は、長い付き合いで分かっていたから・・・。
慎は、今日初めての微笑を口の端にのせると
「俺は、自分の気持ちに逆らわなかっただけだぜ。そしたら、それが久美子だったってだけだ。
久美子が担任になった頃の俺は、先公はもちろん、大人なんて信用できねぇって思ってた。それは、お前らだって同じだった筈だ。」
うんうんと、頷きながら続きを待つ二人。
「けど、久美子を見てるうちにこいつなら信用できるって思えただろ・・?人を信じて裏切られるのが辛くて、信じないことで自分を守ってきた俺は、こいつの、信じたらとことん信じるっていうその強さに憧れたんだ。」
「確かに・・ヤンクミの強さは半端じゃねぇよな。腕っぷしだけじゃなく心もさ・・・。」
「ヤンクミだったら信じられるって、俺も・・多分クラスの奴らはみんなそう思ってた。」
「だろ・・・?でも、こいつの強さにも限界があって・・・それが見えた時に、俺は・・久美子を守れるような大人になりたいって、そう思った。久美子を守るために強くなりたいってさ・・・。」
そう話す慎の言葉に、野田も南も高校時代の自分の姿を重ねながら、聞き入っていた。
慎の気持ちは、そのまま自分たちの気持ちだ。
久美子を慕う気持ちは、確かにあった。
それが恋にまで進んだのが慎だったのだ。
野田と南は、久美子を想う慎の気持ちが素直に理解できたし、羨ましくもあった。
ただ、今日のようにいろいろ無茶をやることの多い久美子だから、それを思うと慎も心配が絶えないだろうと想像するのだった。
「慎ってさぁ、もしかして3Dの頃からヤンクミに惚れてたとか?」
南の問いに、ペロッと舌を出して答える慎。
「えー、全然気付かなかった。知ってたら俺が後押ししてやったのに・・・。」
「バーカ、俺がそんなドジ踏むかよ。」
野田も南も、慎の笑顔が明るいものになっていることに安心し、さっきまでの遠慮したような居心地の悪さを忘れ、思い出話からお互いの近況まで色々な話に花が咲いた。
そうしている間にも、慎は久美子の容態を気遣い、時々汗を拭いてやったり、額に手を当てて体温を確認したりと細やかな優しさを見せていた。
「慎もそうしてると、ただの恋する男の子ってぇ感じだな。」
「言えてる、言えてる。」
野田と南にからかわれても、慎は眉ひとつ動かさない。
彼のポーカーフェイスは筋金入りだったと、二人は顔を見合わせて笑った。
「おい、野田、そろそろ帰ろーぜ。俺たちお邪魔みたいだし。」
「そうだな・・・。慎、恋人を助けてやった俺たちに、お礼の言葉をもう一度。」
当然、冷たい視線か、反撃の言葉が帰ってくると思っていた野田だったが
「野田、南、本当に今日は助かったよ、サンキューな。また今度ゆっくり会おうぜ。」
という慎の返事に驚かされた。
「全く、幸せそうな顔しやがって・・・。今度のクラス会ん時にゃあ、ぜってぇ苛めてやる。」
「は?なんだよそれ、そんな連絡来てたっけか?」
「げっ、そうだよ・・・。慎にはまだ話してねえっつうか、さっき熊の店で計画したばっかなんだよな。夏休み中にやろうぜって。俺と野田で幹事やることにしたんだ。・・・そうだ、慎。お前ヤンクミとの連絡係を兼ねて、いっしょに幹事やってくれよ。」
一瞬面倒くさそうな表情を見せた慎だったが、
「OK、手伝うよ。」
と、降参のポーズで応えた。
「んじゃ、またなー。」
「お幸せにー。」
好きなことを言い残して、野田と南は帰っていった。
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