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こんなにも苦しい




こんなにも胸が痛い













朝から久美子はくたくただった。
それはごくごく普通の、なんでもない日。


朝、通勤途中の久美子は呼び止められた。
呼び止めたのは久美子の受け持ちの生徒、矢吹隼人。

「どした?矢吹」
自分の横に並んで歩く生徒は、先ほどから黙ったままである。
呼び止めたのにいっこうに話し始めずに居るうちに、校門手前の歩道橋まできてしまった。
ちなみに、九条先生に抱きとめてもらった歩道橋だ。
「あのさ、山口。オレがじゃんけんに勝って一番になったんだけど」
「じゃんけん?」
突然話始めたとおもったら意味不明。
「おう。返事は今は聞かねえ。ただ、気持ちは伝えとこうと思って」
「・・・うん?」
矢吹はどちらかというと口が達者なほうだ。だのに、久美子にはまったく自分の教え子の言っている事が分からない。
その生徒が急に立ち止まったので久美子もつられて立ち止まる。
自分より背の高い生徒を見上げると、いつにない真剣な眼差しで見つめかえされた。
そして
「オレ、山口の事、好きだから」
「・・・お?おう。アタシも矢吹の事好きだけど?」
あんまり真剣な顔なので、いつものように『照れるじゃねえか』とか、からかう言葉も出てこなかった。

「いや、そうじゃなくって。お前の事、恋愛対象として好きだっつってんの」

「・・・・・・・・・・・はぁ?」

かなりテンポが遅れて大きな声で問い返すと、久美子の肩が強い力でグイっと掴まれた。
そうして、真正面からひた、と視線を合わせ、もう一度強い口調で言い放たれる。

「お前の事が好きだ」
「いや、あの、矢吹?」
「まった!返事は今はいい。これからがんがん押してくから、卒業式終わってから返事くれ」
「いや、だからな、おい、矢吹」
久美子の戸惑う声を聞きもせず、「じゃあ」と矢吹隼人は階段を二段飛ばしで登って行く
「おい!」
てっぺんまで登りきった矢吹がくるりと振り返ると、ニカッと笑ってその後ちゅ、とばかりに投げキッスの真似をして、唖然としたままの久美子を置いて去って行ってしまった。

「・・・・なんだ、あれ」









次にやってきたのは土屋だった。因みに昼休み。いそいそと学食に向かおうとしていた久美子の左腕をガシっと大きな手で掴んで「ちょっときてくれ」と引っ張ってゆく
そうして連れて来られたのは屋上だった。旧校舎の、雑多な屋上。

「どうしたんだ、なんかあったのか?」
まわりにいつもの友人らがいないのに不思議そうにあたりを伺いながら聞くと
目の前の男は何時ものように扇子を出してはたはたと顔に風を送りながら久美子にニカリと笑ってみせる、そして
「オレがじゃんけんで二番手になった」
「は?またじゃんけん?」
「そう。告白の順番な。」
「こくはくぅ?」
朝に矢吹になにやらそれらしい事を言われてから、HRと数学の時間に目が合うたび投げキッスを送られた久美子は、これはなんの遊びだ、と目を白黒させた。
そして今度は土屋である。
「そう、告白。オレ・・・」
「待った」
「なんだよ」
「お前らあれだろ、なんかゲームでも始めたんだろ。言っとくけどアタシはひっかからないからな」
その手にはのるもんか、とばかりに腕を組んで自分より随分高い位置になる土屋をじろりと睨み上げる。
土屋はそんな久美子に手の中の扇子で風を送ってよこした。
「まぁ、落ち着いて。」
「落ち着いてるよ」
「ヤンクミにオレのカノジョになってほしいんだ」
「落ち着いてられるかぁっ」
うがぁっっと声を張り上げる久美子に土屋は未だ扇子で風を送りながら余裕の態度で笑っている。なんとなく久美子は負けているような気になって押し黙った。
「まぁ。ヤンクミがどう思おうと自由だけど、俺の気持ちは今言ったとおり。ちなみに返事はまだいらないから」
「土屋っ!教師をからかうなんてなぁ」
「ヤンクミ」
ピシリと土屋の手の中で扇子がたたまれて、その先が久美子の眼前に向けられた
「からかってない。本気だから。これから気合いれて口説くから。覚悟しとけ。」
いつにない強い口調でそう宣言して土屋は久美子を置いて屋上を後にした。

「覚悟ってなんだよ〜・・・」

後には久美子の情けない声が空に消えて行った。













「今度はお前か」

放課後、生徒の帰宅時間より随分後に校門を出た久美子は、その校門に凭れるように立っていた小田切竜に行く手を阻まれた。
ちなみに、午後のHRには矢吹の投げキッスだけでなく、土屋のウィンク攻撃もあった。
そんなわけで、ちょっと肩で息しちゃってる久美子に竜はニヤリと笑った。
「そ、オレがじゃんけんで三番目」
「聞くが、あと何人じゃんけんしたんだ」
歩き出した久美子の隣を竜がついてくる。
「オレで最後」
「そっか」
ちょとほっとした久美子がいかっていた肩を落とすと、横をのんびり歩いていた竜が笑った。
「山口、冗談だと思ってるだろ」
「思ってるだけじゃなくって、実際そうなんだろ」
ツンッと顔をそむけた担任の子供っぽい仕草に竜は小さく笑う。
「なぁ。ヤンクミ・・・オレさ。・・・・山口の家に迷惑かけたけど、今、黒銀に通えててすげぇ嬉しい。感謝してる」
「・・・・それは、別にアタシに感謝するとこじゃないぞ。きちんと話を聞いてくれた親御さんにだな・・・」
「うん。親ももちろんだけど、でも、はじめっから、オレ、山口には迷惑かけてるだろ」
「迷惑だと思ってない」
「・・・ありがとう」
そんな素直な感謝の言葉に久美子の足がピタリと止まる。
「小田切?」
竜も立ち止まった。道の両端を、もうすぐしたら芽吹き始める桜の木が何本も連なっていた。
この少年達が卒業する頃には咲いているだろうか。
少年は、初めて会った時とまったく違う、まっすぐな目で久美子を見つめた。
「オレは山口がいたから変われた。山口が居たから学校にこれた。・・・これからも。卒業してからもずっと、山口と一緒にいたいんだ」
「・・・小田切」


「好きだ」



風が強く吹いて、久美子のお下げ髪と葉も花もない桜の木を揺らした。



小田切竜はそのまま久美子を残して去っていった。






朝から久美子はくたくただった。
それはごくごく普通の、なんでもない日。の、筈だった。



「なんだよ、どうしたんだよ、アイツら変なもんでも食ったのか?」


久美子は頭をかかえた。









翌日、久美子はHR前に自分の受け持ちの生徒を一人拉致した。
拉致された少年はどこか楽しそうな顔のまま、久美子に引っ張られている。

場所は中庭の端。意外に、人の死角になる場所。

拉致られた生徒、武田を前に久美子は暗い声で
「なんか、聞いてないか」
と言った。
そんな担任に、幼いと言ってしまえるような無邪気な顔で武田は「聞いてない」と返す。

「・・・そっか・・・」

そのままクルリと方向を変えて久美子は帰ろうとした。が・・・

「聞いてないけど、知ってるよ」

ガバリと振り返って、やはり幼いような少年の肩をガシリと掴まえる。
「何を、知ってるんだ」
すごむような久美子の口調にもへらりと笑った少年は
「竜と隼人とつっちーがヤンクミにらぶらぶって、こ・と」
なんでもない事のようにけろりとそう言った。

久美子はその場に思わずしゃがみこんだ。

「・・・困る」

武田もその横にしゃがみこんで久美子の俯いた顔を覗き込むようにしてくる。

「なんで?」
「・・・なんでって・・・教師たるもの生徒をイロにしちゃあなんねぇっていう教育理念が、だな」

言いながら、久美子の胸がツキンと痛んだ。
まるで、自分自身を責めるように。

「イロって・・・・。三人とも、中途半端な気持ちじゃないんだよ」
「・・・・」
いつか、久美子が武田に言った言葉だ。
「とにかく、事実は事実だから。本気なのはオレが保証するから。ヤンクミも逃げないであげてよ」
「・・・武田」
この武田という少年は、久美子が3Dに配属されてすぐに小田切と矢吹の件で久美子に声をかけてくれた最初の生徒である。
嘘をつくとは、もちろん思っていない。
だけれど

「・・・それでも、ダメだ」
「その理由も、返事も、オレじゃなく三人に言ってあげて」

よっこらしょ、と久美子の隣から立ち上がった武田はそのまま校舎に歩いてゆく。

「ヤンクミ、HR遅れんなよ」
「・・・お前が言うなよ」






久美子は未だその場から立ち上がれない。
教師とか生徒とか、そんな事、自分が言える立場では、ない。
だって、自分は、昔・・・。

「痛・・・」



久美子は胸を抑えた。



胸が苦しくて、痛くて、たまらなかった。



















...to be continued......? 2007.3.22



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