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人を好きになるのに理由なんてあるのだろうか キスは心を伝える一番簡単で一番難しい方法だった。 二人きりになれるのは、ほんのごく限られた場所でしかなく それさえも時間に追われるように過ごす二人だった。 生徒が帰れる時間から約一時間後に教師は校舎を後にすることが多く、その後アパートでおちあって一緒に食事をとって、少しの会話をして・・・・気がつけばもう、帰らなければならない時間になっていた。 正味、3時間もあれば良いほうの逢瀬。 それすらも周りのすべてに秘密にしていた二人は、一定の時間をあけて、怪しまれないようにして会っていた。 週に2,3回も二人の時間をもてれば良いほうだった。 だから二人はほんの一瞬さえも惜しんで唇を合わせた。 慣れない手つきで料理をする女の横で、やはり慣れない手伝いをする男。 時々その不器用な手を止めては互いに引かれあう様に唇を合わせた。 それはもう引力に逆らえないのと同じような口付けだった。 小さなキッチンで、ふと二人の気持ちがシンクロして、そうして、そっとそのまま互いの唇に引き寄せられる。 鍋の中のマカロニが「もうそろそろですよ〜」と声をかけたって二人には聞こえない。 交わす口付けは二人の言葉にできない想いそのものだった。 好き 大好き あいしてる。 触れ合うたび熱と一緒に想いが伝えられる。 女がテレて少しだけぎこちない時ももちろんあったけれど、それでも二人は飽きることなく唇を寄せ合った。 身体を繋げる、という禁忌をつくった二人にとって、それがその時できる最大限の愛情表現で。 ひとつ唇が触れて”好き”と伝え ふたつ唇が触れて”大好き”と伝える みっつ唇が触れて”愛してる”と深く舌を絡ませあった。 それでも もっとしたい。 女は思った。 もっとしておけばよかった。 女は思う。 もうすぐできなくなるよ。 瞳から涙が溢れた。 もう夢から覚めてしまう。 だから その前に もう一度だけ キスが欲しい。 欲しかった。 目覚めた久美子の瞳からは、まだ暖かな涙が零れ落ちていたけれど その唇には 暖かな唇の感触は残ってはいなかった。 「はーーーい、皆授業はじめまーす。教科書出してー」 土屋が友人達に”山口久美子が好きだ”宣言をしてからほんのしばらく後の事。 場所はいつも遊んでいるゲーセンのビリヤード場でだった。 ここの所何故か言葉少なだった隼人が土屋の遊んでいる台に歩みよった。 「あのよ、つっちー」 弾みをつけるように幾分大きな声で話し始めた隼人に、けれど同じ台で遊んでいた竜が割って入って話を止めた。 「ちょっと待った。」 そんな二人を土屋は扇子で顔に風を送りながら見る。 正直、言わなくっても分かるってものだ。 「なになに、どしたのお前ら」 急に言葉も無く視線を交し合う友人三人に、日向が訝しげに声をかける。 だが、横にいた武田が「いいからもうひと勝負しよう」と、違う台にひっぱる。 武田にとっても、言わなくても、分かっていた。 彼は二人の幼馴染なのだから。 土屋が台の上、ばらばらだった球を集め、ラックの中に綺麗に並べだした。 そうして自分のキューの先にチョークの粉を塗りながら 「で?」 知っているのに話を促す。 やはり先ほどと同じように何事か言いかけた隼人を遮って竜が口を開く。 「先に言ったモン勝ちってのはなしだ。・・・多分、隼人と俺が言いたいことは同じだと思う」 竜の言葉に隼人がにやりと笑って、自分のキューを菱形に整えられた球に合わせた。 そして 「フェアプレイなんてなまっちょろい事はなしでいいんだろ?」 そんな事を言う。 竜も土屋もニヤリと男くさい笑みを浮かべた。 そうしてほぼ同時に 「「もちろん」」 と返す。 「そんじゃあ、落としたもん勝ちってことで」 隼人が話しながらブレイクショットを打ち込むと、球の何個かはポケットの中に吸い込まれていった。 続いて竜がキューを台の上にすえる。 小気味良い音が鳴り、球がぶつかり合う。 三人は楽しそうにナインボールをしている。 少し離れた台にいた日向がそんな友人達を見て 「なにあれ?ナインボールの事だよな?」 友人達のどこか思わせぶりな話し方にわけがわからないとばかりに首を傾げる。 こちらも同じようにラックに球を並べていた武田が小さく笑った。 「たぶん、違うと思うよ」 「ゲームの話じゃねえの?」 「うん」 「あれはね」 「うん?」 「山口久美子争奪バトルのゴングが鳴った・・・てトコかな」 「はぁぁぁぁぁあ??」 ビリヤード場に日向の驚いた声が響く。 そして、それに続いて楽しそうな笑い声。 少年達はとても楽しそうだった。 始まったばかりの恋のゲームに夢中で 自分こそが山口久美子を手に入れるのだと 決して遊びではないけれど、まるでゲームででもあるかのように、とても陽気に笑いあう。 少年達は知らない。 知らないから。 とても楽しそうに、好きになった女の話をしていた。 ・・・なにも、しらないから。 くしゅん。 小さくくしゃみをした久美子が「風邪かな」と言いながら鼻の頭をさすった。 それに返ったのは愉快そうな声。 「ヤンクミでも風邪なんてひくのか?」 ラーメンの湯気がたつ丼をカウンターにのせてクマが笑っている。 場所は熊井ラーメン。 久美子は仕事帰りにここに寄った。 そうして 「たしかに、珍しいな」 にやにや笑いながら言ったのは、久美子の横に座っている内山春彦だった。 彼もまた仕事帰りに友人の店に寄ったのだった。 クマと同じ、久美子の元教え子である。 どこかバカにしたような二人に、元担任は心外だとばかりに唇を突き出しながら文句を言う。 「アタシだってなぁ!人間なんだから風邪のひとつやふたつひくっつうの。それに!もしかしたらアタシの噂をしてる九条先生かもしれないだろ!」 どこか夢見がちにうっとりしている久美子に、やれやれ、と カウンターの内と外で男達はため息をついた。 内山が呆れた声を引きずったまま問う。 「あーーなんだっけ、お向かいの女子高のセンセ?」 「そう!そうなんだよ!階段で転げ落ちそうになってたあたしをだな・・・」 「何度も聞いたよ。お姫様だっこだろ?」 クマは何回も何回も聞かされた話をすぐに遮った。 けれど久美子は嬉しそうに手を乙女のように合わせてどこか遠くを見ている。 早く食べないとラーメンが伸びる。 「はいはいはい。ヤンクミも相変らずだね」 「何だよ内山、年寄りくさいぞ」 「ヤンクミに言われたくねーよ」 「なにおうっ」 「まぁまぁ、二人とも」 客は二人だけではなかったが、この店ではこんなのは日常茶飯事で 常連客は楽しそうにそれを眺めていた。 客が三回くらい総入れ替わりした頃になって、ようやく久美子も内山もそろそろ帰ろうかと腰を浮かせた。 ラーメン一杯で随分と居座ったものである。 「じゃあクマ・・・」 そういいかけた久美子の言葉を遮るように扉を開けた男が入ってきた。 「熊井さんっ!お手伝いにまいりました〜!」 何故かクマに懐いている隼人だった。 「あ!ヤマグチっ」 自分の担任に気がついて相貌を崩す。 先ほどビリヤード場で友人達とライバル宣言してきたばかりである。早速会えるなんてチョーラッキー。と内心でほくそ笑んだ。 だが、その笑顔はすぐに曇る。 自分に笑顔で返した担任はもう帰ろうとしていて。少しばかり遅かったか、と思ったし・・・そして、それよりも・・・。 隼人の表情はピシリと固まっていた。視線は久美子の後ろで同じように帰ろうとしている男の上に止まっているる。 男は隼人のどことなく攻撃的な視線にも小さく笑って、隣の山口久美子に「例の教え子?」と聞いている。 なんとなく親密な空気が流れる二人に、隼人の視線はますます渋くなる。 思わず何か言ってやろうと開いた口は、けれどそれを先に制した男の挨拶で遮られた。 「はじめまして、俺はクマと同期の内山だ。ヤンクミの教え子さんだろ?」 どことなく大人なムード漂う男の笑顔に思わずどもりながら、しかたなしに隼人は頭を下げた。 「や、矢吹隼人です」 クマにしてもそうだが、隼人は”働く一人前の男”というのに少しばかり弱い。どこか負けたような気がするからだ。 微笑んでいる内山という男からも、そうした働く男のオーラが漂っていて、やっぱり敬語になってしまう。 担任はそんな隼人の気持ちも知らずに微笑んで 「矢吹、手伝うのもいいけど、あんまりおそくなるなよ」 そういって鞄を肩にかけた。 「お、おう・・・。」 なんとも言いようがない、そんな隼人を残して、久美子と内山は店を後にした。 「・・・熊井さん。内山さんって、なんなんですか?」 どこか憮然とした顔でそんな事を聞いてくるヤンクミつながりの後輩に、クマは小さく笑った。 「なんなんですかもなにも、俺と同じヤンクミの教え子だって」 「ふーーーーーん・・・・けど、なんか」 「ん?」 「熊井さんと居る時より、オトコとオンナーーーってカンジするんすけど・・・」 「それは、俺が男としていまいちだっていいたいのか?んーー??」 「や。ち、ちがいます。ちがいますって!」 じゃれるようにして笑いあった二人。 これもまた、熊井ラーメンでよく見る光景だ。 けれど 隼人は去っていった二人に、何か承服しかねるものを感じていた。 胸の中に、ちくちくとした。 違和感も。 「もう、どれくらいになるんだっけ?」 星のきらめく空の下、久美子の横を歩く内山がそんな事を聞いた。 「んー。あいつら受け持って・・・一ヶ月ってトコだな」 「そっか。結構仲よさげ」 「安心したか」 「心配してねっつの」 「そっかそっか」 「だからしてねっつうの!」 言い合いながら二人とも思わず笑ってしまう。 そうしてひとしきり笑いあった後、ほんの少しの静寂が満ちる。 冬の空はどこまでも高く、二人の吐く白い息を吸い上げてゆく。 「・・・・・どれくらい、たったっけ」 「・・・・・一年と、十ヶ月・・・くらい」 「そっか、もう、そんななるか」 「うん」 「そっか」 「そう」 ある男の不在 「・・・なんかさ・・・矢吹くん?あの子見て・・・懐かしいって・・・おもっちまった・・・」 「・・・」 「・・・・・ごめん」 「・・・なんで・・・謝るんだよ」 「・・・」 「・・・」 今頃、彼は どうしているのだろう。 同じように、空を見上げているだろうか・・・・。 球技大会の時。 『勝ったらチュウしてやる』 なんて言ってみた事があった。 本人深い意味なんてなくて、例えば可愛い犬や猫にするのと同じ感覚で、可愛い生徒達のほっぺにチュ、とするくらいの予定だった。 けれど結局その球技大会では惨敗してしまい、ほっぺにチュウもどこかにいった。 しばらくたって後、梅雨明け宣言もされ、もう夏の匂いがしてきた頃に、付き合いだした二人。 球技大会からはずいぶん時間もたっていた。 「頼むからもうあんな事は言わないでくれ」 ・・・と。思っていた以上に独占欲が強く、思った以上に貞操観念が強かった彼は、その唇は自分のものだと主張した。 傲慢で、そして可愛らしい主張だった。 それがなんだか、呆れるやら恥ずかしいやら嬉しいやらで ”困った奴”なんて拗ねて返した。 けれど、それでも可愛らしい暴君は 唇には気持ちがこもる だからこそ、お前の唇は俺のものなのだと そう言ったのだ 沢田慎は そう、言ったのだった。 今は、北風に、唇が冷たくさらわれるばかり・・・。 ...to be continued......? 2007.3.12 次回くらいから久美子争奪バトルになる予定・・・予定。 |