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新学期が始まり、忙しい高校生最後の3学期が回り始める。 ある者は就職の面接を受け、またある者は大学受験を受け。 一歩一歩、自分の道へと進んでゆく、日々。 沢田慎はもの静かな少年になっていた。 以前のように担任教師への否定を表にあらわす事もなく、かといって、皆と一緒に輪に入って騒ぐでもなく。 ただただ、そこにあるだけのように、静かに、日々をすごす少年になっていた。 そうして、久美子もまた、忙しい毎日に忙殺されながらも、以前のように生徒と一緒にはしゃぐ事もなく、穏やかといってもいいほど、静かに、たたそこにいた。 「やんくみ、今日クマんとこ、食いにいかねぇ?」 そんな中、つい先日就職の内定をもらった内山だけが久美子を気遣うようになんども声をかけてきていた。 もちろん、慎のいる前でそんな風に声を掛ける事もたびたびあった。 けれども、もちろん何かが起こるわけでもなく、久美子も特に慌てるでもなく、自然にそれへと答える。 「給料日前なんだよね〜・・・おごんないぞ」 その返事を聞いた南と野田が帰りにラーメンコースを諦めて、クマは笑って、慎は黙っている。 まるで以前からそうであったかのように、静かに、3学期が過ぎてゆく。 何かを、取りこぼしたように・・・。 そんなある日の休日、家でくつろいでいた久美子のもとに、一本の電話が入った。 教頭である猿渡からのものだった。 「山口先生っ!どういうことですかっ」 開口一番そんな言葉から始まった話だった。 久美子は猿渡からの電話を切ると、慌てたように携帯の操作画面を押し、そして、手を止めた。 かけようとしているのは、教え子である、沢田慎の携帯の電話番号だった。 けれど、久美子が知っているのは、以前の・・・”慎の”もので、今、彼が使っている番号は登録していなかった。確か事故の時に壊れ、今は違うのを使っていた筈だ。 そんな事に、また、チクリと胸が痛んだが、久美子は気にした風もなく、次いで、彼の番号を知っていそうな生徒の番号を検索する。 この頃は、日々の胸の痛みに慣れ、まるで麻痺したようになにも感じなくなっていた。 だからこその、穏やかな日々。 けれど 今、教頭からかかってきた電話は、それを、打ち破るものだった。 クマから聞いた沢田慎の番号を手近にあった紙にメモし、感謝の言葉とともに電話を切ると、一瞬ためらった後、その番号へかける。 ボタンを押す指が震えたのは、気にしない。 「・・・もしもし、沢田か、山口だ・・・。」 呼び出すと、沢田慎は拍子抜けするほどアッサリとそれを了承し、アパートに程近い河原を指定してきた。 久美子は家を飛び出した。 教頭からの電話は、沢田慎が2校受かっていた有名大学に、入学しないというものだった。 その他の進路については猿渡自身も聞けなかったという。 胸がざわめく。 痛みになれて麻痺していた感覚が急に鮮明になり、何か嫌な事が起こる前触れのように、久美子の思考を乱す。 それを振り切るように、久美子は、ただ走った。 沢田慎のもとへと。 沢田慎は、久美子よりも早く河原に着いていて、静かにそこに座っていた。 息を乱しながら近くに寄った久美子にも振り返らず、静かに光を弾く河川を見ている。 静かな横顔に、なんだか急に瞼が熱くなって、それを必死で耐えながら、久美子は声をかけた。 「さわだ」 ゆっくりと振り返るのは、穏やか過ぎるほど静かな瞳。 彼が、こんな風に、静かな少年になっていたことに、もちろん久美子だって気がついていた。 けれど、今までの彼女らしくもなく、どうすることもせずに、ただ、黙って見ていた。 その結果がこれだ。 「・・・アフリカにさ」 久美子の戸惑いも、焦りも、痛みも、何もかもを表した揺れる瞳を無視して、慎は口を開く。 「小学校作ったり、井戸作ったり、そんなのがあるらしい。・・・金はでないけど、体を動かしてれば、飯にはありつける」 「・・・さ、わだ」 「ボランティアっつうの?なんか、そんなの。・・・俺、そっちに行くわ」 「沢田」 瞳の色は、今だ凪いで穏やかだった。 慎だけ。 久美子は名前を呼ぶことしかできていない。 体が小刻みに震え、呼吸も困難になって・・・目頭がまたじわりと熱くなった。 「・・・アタシの、せい、か」 やっと言えたのはその一言だけ。 それさえも、涙をこらえるのに必死で、何度も詰まった。 久美子が見つめる先で、沢田慎はまたフイと河原へ視線を向ける。 「沢田!アタシがっあんな事、言ったから・・・だからか?」 ずっと、言わなければと思いながら、先送りにしていた事。 あの日、慎を返せ、と、言ってもどうしようもない事を言った久美子が、ずっと、謝りたいと思っていた事。謝らなければ、と思っていた事。 それが、今、こんな形で目前にある。 けれど 「違うよ」 横を向いたまま、やはり、穏やかな声で、沢田慎は否定した。そしてもう一度久美子を見ると、隣に座るように促す。 「・・・」 久美子は戸惑いながらも、少し距離を置いてそこに座った。 ずいぶんと久しぶりに、近くに寄った気がする。 またチリリ、と、胸に痛みが走る。 もう、麻痺してはくれない。 「俺自身の為に、行こうと決めた。・・・俺がなくした数ヶ月は、思いのほか大きなもので・・・今の俺はそれを思い出すことも、追い越すこともできない。・・・・だから、誰も、俺を知らない所へ・・・逃げるんだ」 「・・・っ」 逃げると言った慎の言葉が、久美子の胸に突き刺さる。 「もう一度、自分自身をとりもどしたい。それは、ヤンクミに、言われたからでも、ウッチーに言われたからでもない。ただ、俺は、・・・今の俺は、昔の俺よりも、弱いから・・・・ここから、逃げ出すだけだ」 「さわだ」 「ごめんな」 フイに、久美子の視線に自分のそれを合わせて、沢田慎は謝った。 戸惑う久美子を前に、穏やかな声と眼差しで、尚も言葉を続ける。 「ヤンクミの、慎を、返してやれなくて、ごめんな」 「慎っ」 思わず名を呼んだ久美子にかまわず、沢田慎はその場に立ち上がると、ジーンズについた枯れ草を手で払った。 「アフリカに、俺を探しに行く」 「いつ・・・・。いつ、帰って、来るんだ・・・」 座ったまま、うつむいた久美子はそう問う事しか出来なかった。 遠くを見たままの少年は、それへ、サラリと、こんな答えを返した。 「お前を、傷つけないくらい、時間がたったら・・・・ヤンクミが、”慎”を、忘れた頃に、・・・ちゃんと、笑ってられるように、なった頃に、帰ってくるよ」 優しい声だった。 その言葉を最後に、沢田慎は歩き出した。 久美子を置いて。 久美子は座り込んだまま、俯いて もう、何度目かわからない涙を流した。 「いつになったら、忘れられるんだよ・・・・」 その声は、風に乗って、慎の耳にも届いた。 けれど、進む事を選んだ男は、振り返らず、歩いてゆく。 慎が選んだのは、恋した女を傷つけないこと、ただ、それだけだった。 自分が近くにいるかぎり、あの女は、ずっと、はりつけた笑顔のまま、苦しみ続け、涙を流し続ける。 そんなのは、嫌だった。 だから、消えるのだ。 サンタクロースは願いを叶えてくれなかった。 自分自身を消してはくれなかった。 だから、自分から消えるのだ。 山口久美子の前から。 「サヨナラ・・・」 その言葉は、久美子のもとへ 届かなかった。 そうして、卒業式後、沢田慎はアフリカへと旅立って行った。 恋心を胸に 恋した女を置いて たった一人。 幸福とは、なんと儚く消え行くものなのだろうか 当たり前にあったささやかな幸せすら、いたずらに運命に翻弄されて、散っていってしまう。 あの日、共にあった恋人たちには、そんな未来など想像もつかなかっただろう。 恋しているからこそ、愛しているからこそ だからこそ 別れが来るのだと言う事を ...to be continued......? 2006.12.18 コメント この後、ごく2設定に移行します(苦笑) |