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 街の中は色取り取りのイルミネーションで装飾され
 いつも見慣れた道が今日は別の街並みに見える。
 店舗を客が出入りするたび洩れ聞こえるメロディーは、人々の楽しそうな声に混じって、なんの曲なのかはわからない。けれど、全てが同じテーマの曲で・・・・。

 久美子はコートの衿を立てるようにして寒さから身を守ると、手にした箱を人にぶつけないように急ぎ足で通り過ぎた。

 街中に溢れ、流れる曲はクリスマスソング。

 そこここが甘い砂糖菓子のようにふんわりと捉えどころがなく
 道ゆく人たちもまるでケーキの上に飾られた砂糖菓子の人形のようだ。

 久美子を除いて。






 昼過ぎに思い立って出てきた街は、少しは気も紛れるかと思いきや
 よりいっそう久美子の気持ちを憂鬱にした。
 
 泣きながら帰ったあの日からも、沢田慎を傷つけた日からもそんなに日はたっていない。
 随分昔の事のような気がするし、昨日の事であるかのような気もする。

 思い出すたび張り裂けそうになる胸の痛みは一向に衰えず
 ”あきらめる””なかった事にする”と決めた気持ちをいつもグラつかせる。
 冬休みになり、毎日顔を合わせなくてもよくなった今こそ、徹底的に忘れるべきだと思うのに
 今もこうして・・・・。

 久美子は手にした箱へ視線を降ろし、幾分自嘲的な笑みを浮かべた。
 スケジュール帳に描いたケーキのイラスト。
 あの日の約束を思い出させるそれ。
 自分を取り巻く世界のそこかしこに溢れている彼のキーワードが、いつもいつも久美子を立ち返らせる。
 思い知らせる。
 これは現実なのだ、と。

 遠い日、スケジュール帳にイラストを描いてから、どこのケーキを買おうかと、まだまだ先の事なのに、わくわくしながら色んな店に行った。
 同僚を誘ってお茶にも通ったし、家に買って帰ってテツを困らせミノルを喜ばせて試食会なんかもした。
 色んな店の色んなケーキを食べて、甘い物は得意じゃないだろう彼の為に選んだのが、今行って来た店。
 手の中にあるのはその店のクリスマス用ケーキ。

 チョコレートケーキにしようか?苺の生クリームにしようか?・・・考えるのはそれはそれは楽しい作業だった。
 結局チョコをやめたのはクリスマスから数ヵ月後にあるバレンタインに備えてで、思いついた自分の考えに真っ赤になりながら試食して・・・テツもミノルもその顔を訝しげに見ていたけれど、それさえも幸せだった。
 何もかもが幸せだった。
 遠い過去。

 ・・・・もう、どうでもいい事なのだが・・・。

 手の中にはケーキが1ホール入った箱。
 一人で食べるソレ。
 わかっていても買いにこずにはいられなかった自分は弱い人間だな、と思う。

 弱さを認める事は大変なようでいて、人には大切な事だ。
 それが次へと進む一歩になる。強さへと繋がる。

 けれど、今の久美子は、それをうまく認められていなかった。
 認めたら、また泣いてしまいそうだからだ。
 適当に誤魔化すように浮かべては引っ込めるを繰り返す。
 それへ、きちんと向き合っていない。

 あの日、もう泣かないと、決めた。でも、何かのスイッチが入ると、知らずに泣いてしまう。
 それでも、歯を食いしばってでも、強がっている。

 そんな所も、弱い。

 だから、前へ進めない。

 諦められない。

「・・・・・」

 
 クリスマスカラー一色の街に疲れを感じていた久美子は、もう帰ろうかとバス停に移動した。そこでボンヤリとバスを待つ。
 どれくらいそうしていたのか、ポツリと空から降り出した雪。
 それが、頬に触れる。

 冷たいそれは綺麗だけれど、今の自分には少し痛い。
 重みさえないそれが、矢のように突き刺さる。
 あの日、自分が投げつけた言葉は、彼に、これ以上の痛みをあたえただろうか・・・。
「ホワイトクリスマスだねぇ〜」
「サンタからのプレゼントだ」

 一人事を呟きながらも、内容の割には楽しそうではない。

「・・・シングルベルだと、冷たいや・・・」

 ポツリと零れる本音。

「何やってんだかなぁ〜」

 手の中の白地に赤いラインの箱にも雪が触れる。
 じんわりと溶けたそれは、箱の色を少し変えた。

「一人で1ホールも食べたら太るよな〜」

 とぼけたような声でそう言ったが、久美子の今の身体は風が吹けば飛んでしまいそうな程に細い。
 この頃、食が細くなったからだ。
 家のものたちも心配してくれているが、分かっていても、どうする事もできない。
 ものが食べられなくなった自分を、認められないのだ

-----それも、弱さ。



 視線をもう一度ケーキの箱に移すと、きっと食べ残してしまうだろうそれは、雪の染みが随分と増えていた。
 コートの前を開いて庇うように抱え込み、どこか物影になる所はないかと左右に目を走らせる
 ・・・と、視界の隅、真っ赤な傘が存在感を主張しているのが飛び込んできた。
 店の軒先に、飾るように置かれたそれは、明らかにクリスマス商戦を意識したもので、普段の自分には使えなさそうなものだった。

 それでも、急にそれが欲しくなる。

 今日この日を過ぎたら、来年の今日まで使えないような・・・ムダなそれが、欲しい。

 ムダなケーキを買って
 ムダな事を考えて
 ムダな自分が
 ムダな傘を買う。

 考えたらおかしくなって、久美子は笑いながらその傘を手にとると、店の中に入っていった。









 折角買ったのだからと、バスをやめて徒歩で帰る事にした。
 徐々に白くなって行く足元に、手にした傘の赤い影が映りこむ。

 買ってから改めて開いてみると、赤い地に細く白い線でサンタとトナカイの絵が書かれた柄のそれは、本当に来年まで日の目を見る事はなさそうだ。
 真っ赤な鼻のトナカイさんの鼻だけが逆に白く抜いてあって、遠目には赤地に白の水玉柄に見えるだろう。
 どっちにしろ、そんな可愛らしいデザインは自分には似合わない。

 そんな事を取りとめもなく考えながら歩いていると、やっぱり・・・また、沢田慎のことを考えてしまう。
 思考もなにもかもが、絡めとられるように、彼へと向かっている・・・。

 これが、恋なのだろう。
 一度覚えた幸福感に必死でしがみつこうとしている。
 味をしめた甘いお菓子に群がるように、一度知ってしまえば、もう、知らなかった自分には戻れない。

 改めて考えると、恋するということ事態も、なんだか自分に似合ってないような気がした。
 沢田慎が言ったとおりだ、こんなダサい女、きっと、誰も相手にしない。
 あれが、奇跡の、最初で最後の恋だったのだ。
 この傘と一緒。
 使われるのは、一度きり。

 だから、上手くいかない。
 上手に忘れられない。

 今までだって、好きになった人は沢山いた。
 白金に入ってからだって登校初日から篠原さんに一目ぼれしてたし、それまでだって大学や高校、格好良い先輩やクラスメートやなにやら、騒いだりはしゃいだりした経験はいくらでもある。

 でも、恋人にまで発展したのは沢田慎だけで
 だから、恋に不慣れな自分は
 こんなにも諦めるのに苦労しているのだろうか?

 こんなにも、未だに好きなのだろうか?

 だいたいが、自分は沢田慎のどこを好きになったんだろう
 そして、それは今の沢田慎となにが違うんだろう


-------折りしも今久美子が考えたそれは、数刻前、慎が考えた事と一緒だったが、もちろん互いに知るはずもない。


 久美子は考える。

 どこが好きだったのか?

 重ねてきた思い出?
 告げられた恋?

 好きになってくれたから好きになったのか?

「それは違うだろう・・。」

 声に出して否定する。
 なんだか、少しおかしくなって、クスクスと笑った。

 好きになってくれたから好きになったのであれば、嫌われてる今となっては、すぐに諦めもつく筈だ。

 でも、そうじゃない。

 

 差している傘が、雪の重みで幾分重く感じて、久美子は手を斜めに掲げてそれを落とした。トサトサと音を立てて白い塊が地面に触れる。
 考え事をしていたからか、随分と早く家の近くまで辿り着いた。斜めに赤で切り取られた視界に、あの日の公園が入る。
「・・・・・・」
 思い出すのは、教師になった理由を聞いてくれた真っ直ぐな瞳。
 茶化したりせず。黙って聞いてくれていた姿勢。
 あの日、あんなに良い感じだったのに・・・心を開いてくれたと思ったのに
 翌日には”ヤンクミ”と呼んでくれて、すごく嬉しかったのに・・・。

 急に胸が苦しくなって、公園から目を背け、傘を目深に差すようにして足早に通り過ぎる。
 
『慎を帰せよっ!』

 自分が言った心無い言葉がよみがえる。
 なんであんな事を言ってしまったのだろう。
 なんで、あんな、酷い事を言ってしまったのだろう。

 慎が悪いわけじゃないのに
 記憶をなくして、一番つらいのは、慎の筈なのに

 自分の事しか見えなくなって、ただ、溜まっていた毒を叩きつけた。

 恋とはなんて、盲目的で、おろかなのだろう・・・。

 
 赤い傘が目の前で揺れる。

「まっかな、おっはなの〜・・・となかいさ〜んは〜・・・いつーもみんなーの〜わぁらぁいものぉ〜・・・・・でも、その、とし、の・・・・」

 ほら、また。

 涙が止まらない。

 歌いながら、止まらない涙をあきらめたように、傘をずらして、雪を顔に受ける。
 ケーキの箱だけは濡れないように気遣っている自分も、やはり、おろかだ。

「サンタさん・・・もし、本当にいるのなら」

 言ってもせんない言葉が口から漏れてくる。

「何もいらないから・・・慎との思い出を、消してください・・・・」

 大切に、思い出のケーキを手に持ちながら
 ただただ、祈る。

 あの日、祈ったのは、慎に生きていてほしいと・・・ただ、それだけが望みだと、神に祈った。

 けれど、今祈るのは、たったひとつ


「神様でも。サンタクロースでも・・・悪魔だって、いいから・・・」


「記憶を、消して・・・」


 好き


 ただ好き


 他の誰でもない


 アナタが好き


 あの日の、アナタが・・・・。











 恋人同士だった二人は

 こうして、雪の降りしきる中、すれ違う。

 まるで、これが出会ったときから決められていた運命ででもあるかのように


 慎は消えることだけを望み。

 久美子は、忘れることだけを祈る。










 どうか

 どうか、そこにいるなら
 
 どうか


 神でも、サンタでも。悪魔だっていい



 どうか、この二人に
 





 どうか



















...to be continued......? 2006.12.18

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