08
「アンタ、本当誰でもいいんだな。生徒に手を出す教師ってどうよそれ?」 冷たい声だった。 空気を凍らせるかと思わせるほど、冷たい声だった。 「慎、違うだろ」 「何が違うんだよ。その女、俺と付き合ってたって?マジかよ?その他に何人の生徒とヤッてたんだよ?・・・うっちーも、その内の1人ってことか?」 「慎っ!」 内山の声が強いものに変わっても、慎の顔に張り付いた冷笑は収まらない。冷たい言葉も。 「アンタ、本当、誰でもいいんだな。だよな、男子校で女に飢えてる様な連中じゃなけりゃ、アンタみたいなダサいの、誰も相手にしなさそうだもんな。・・・あと他に何人いるんだよ?」 「慎!!」 久美子は言われている言葉の内容よりも、沢田慎が、・・・・沢田慎の、声で、顔で、そんな冷たい表情や声を発していることに、衝撃を受けていた。 自分が嫌われていることは、もう、わかっていた。 けれど、春に初めて会った頃、やっぱり、嫌われてはいたけれど、それでも、こんな汚い言葉を発するような事はなかった。 もっと、まっすぐに、純粋に、教師に対する怒りをぶつけてくれていた。 なのに、慎の顔で、慎の声で、慎の身体で、この男は・・・・この、男は、慎の身体をつかって、なんて・・・なんて・・・。 「・・・アタシの、事、嫌いなのは、別に、いい。なんて思われても、別に構わない」 久美子の言葉が静かに、そして、凛と、響いた。 「でも、その身体で、慎の、身体で、内山と言い争ったり、汚い言葉を、発するなっ」 「やんくみ・・」 「は?何言ってんだよ、これは俺の身体だ、俺が何言おうが、何しようが、俺の勝手だろ」 「お前はっ沢田慎じゃないっ!沢田慎は、もっと、優しい心をもった、まっすぐなヤツなんだよ、こんな友達を侮辱するような言葉を吐き出すようなヤツじゃないっ!」 「やんくみっ」 内山が止める言葉も遮って、久美子は今まで胸の中にわだかまっていた言葉を吐き出していた。 それこそ、もう、慎が病院で目覚めてから、ずっとずっと、久美子を忘れたと知った時からずっとずっと、胸の中にわだかまっていた。どず黒く、重い、気持ち。 見ないフリをしていた。 でも、確かに、胸の中にずっと、あった想い・・・。 自分こそが、汚い言葉で、八つ当たりをしているとわかっていたけれど、もう 止められなかった・・・。 「返せよ!慎を・・・慎を、返せよっ!友達思いで、妹思いで、まっすぐで、優しい慎を返せよ!」 「・・・・・」 「お前なんかっ!慎じゃない!」 「ヤンクミッ!!」 内山の手が久美子の肩を強くつかんでゆすぶった。 そうして、久美子は夢から覚めたように、ハッとして、改めて目の前に立つ、沢田慎を見た。 知らず、自分が言ってしまった言葉を覆い隠すように、口元を押さえている。 けれど、一度、音となって出た言葉は、戻ってはこない。 慎の胸に、決定的な言葉を突き刺してしまったとしても。 もう、取り消すことはできないのだ。 「・・・・そうかよ」 たったそれだけの言葉を残して、沢田慎は背を向けると去っていった。 後には、ただ呆然と突っ立っている久美子と、どうすればいいのかわからない内山だけが残されていた。 「・・・・・っくそ」 廊下に、ドカリと壁を蹴り付ける音が響いた。 慎が二人のシーンを目撃したのは別に偶然ではなかった。 終業式が終わり、教室へと向かう生徒の波の中、山口久美子を呼びとめ、人気のないほうへ連れて行った内山を見て、後をつけたからだ。 もう俺に構うなと、近づくなと、叫んで逃げ出した自分なのに、あの日から、ずっと、頭の中では山口久美子のことばかり考え、視線が追い、気配を探している。 昨日HRの後勝手に帰った自分だったが、来ないとわかっていながら、その前の日のように、チャイムがなるのではないかと、何度もドアを見ていた。 何故なのかはわからない、嫌いだからだと言えばそれまでなのだ。が・・・・気になって追ってしまうこの感情は、もっと複雑なものに思えた。 物陰から見ていた二人の話し声は、慎の所までは届かなかった。 ただ、何事かを必死で話す友人と、その前で俯いている山口久美子の姿だけが見える。 頭をよぎるのは、内山が、沢田慎と・・・自分と、もめた山口久美子を、口説いているのではないかという事だった。 そして、それを思うと、激しい感情が胸の中を渦巻いた。 けれど、大江戸一家に行った帰り道、教師になった純粋な動機を聞いていた自分は、山口久美子はそんなものはつっぱねるだろうと、何故か確信に近い思いでいた。 自分と付き合っていたというのが本当だったとしても、きっと、自分だけが山口久美子にとって特別だったのだろうと・・・・なぜか、そんな事を勝手に・・・思っていたのだ。 そして、内山が抱きしめるのを振り払うでもない華奢な背を見たときの驚愕。 その瞬間、胸を満たしていた激しい感情は、激しい激情へと変わる。 「へえ。」 まるで自分のものではないような声が勝手に口をついてでていた。 「その他に何人の生徒とヤッてたんだよ?」 そんな事は思っていないのに、思う筈もないのに、口は勝手に汚い罵りの言葉を紡ぐ。 そして、返されたのは・・・期待していた否定の言葉ではなく 「お前なんかっ!慎じゃない!」 頭の中が真っ白になって、捨て台詞のように何かを言って、背を向けた。 まるで 負け犬だ。 まるで 焼きもちを焼いてたみたいだった、自分。 まるで 相手にされていない、自分。 そうだ、俺は、みんなが望む沢田慎じゃない。 あの女が望む、慎じゃない。 わかってた事なのに、何故、こんなにも 胸が痛むのか・・・・。 不機嫌なオーラを撒き散らしながら教室に入ってきた慎を3Dの生徒たちが遠巻きに見る。 昨日からどことなく孤立している慎を遠巻きにしているクラスメート達のなか、だが、クマだけは当然のように一緒に帰ろうと促してきた。 「慎ちゃん、なんか食ってかない?」 慎とクマは幼馴染である。当然帰る方向だって同じだ。 「・・・ああ」 今はとにかく早く帰ろうと、ここを去ろうとぶっきらぼうに答えた慎に、けれどクマは本当に何もなかったかのように話しかけてくる。 「何食う?慎ちゃん」 そのクマの態度に、自分の大人気ない昨日の態度を思い出して僅かに羞恥を覚えた。 そして、それを誤魔化すように、明るい口調で提案する。 「いっその事、熊井ラーメンで食うか?」 「え〜。たまには自分ちから離れてぇよオレ。どうせ帰ったらそのまま働くんだし」 何気なく答えたクマに慎も何気なく返事を返す。 「店?手伝ってんのか?じゃあオヤジさん喜んでんだろ」 慎の脳裏に、ガキの頃から知っているぶっきらぼうで、でも暖かで優しいクマの父親の顔が浮かんだ。 子供の頃は自分の父親もこんな人だったらよかったのに、と何度も思ったものだ。 学校帰りに遊びに行くとよく自慢の餃子を出してくれた。 優しい過去を思い出して自然口元を綻めた慎は、けれど 教室の空気が、またピリリと張り詰めた事に気がつかなかった。 そうして、困ったように頭を掻いている友人を見て首をかしげる。 「どーしたクマ?」 「あ〜・・・そうだよな。そっか、慎ちゃんに言ってなかったよな。・・・ウチのオヤジさ」 「?」 「・・・死んだんだよ」 結局慎とクマはファミレスに腰を落ち着けた。 メニューが和洋折衷いっぱいあるほうが嬉しいとクマが主張したからだ。 言葉少なな慎の前でクマは相変わらず気にした風もなく豪快にご飯を頬張っている。 「気にする事ないって、今更だしサ。・・・うん。このハンバーグ旨い。慎ちゃんも一口食う?・・・で、なんだっけ、ああ、そうそう。オヤジ、もう死んでだいぶたつしな・・・ずずず・・・ごっくん。うっめ〜v」 それはもう豪快にかっくらっている友人を前に、なんだか慎は食べ物に手がつかない。 頼んだ定食メニューの5分の1も進んでいない。 ----ショックだったからだ。 おじさんが亡くなっていた事にも そのことすら忘れている自分にも それらを乗り越えてたくましくメシを食っている友人にも 自分だけが取り残されて みんな、大人になっている たった数ヶ月で・・・。 脳裏に一人の人物が浮かんだ。 友人達を、変えた人物 「なんか、お前。・・・お前らみんな、変わったな」 「ん〜?」 もくもく口を動かしている友人が何が?というように首を傾げた。 「たった数ヶ月なのに、俺・・・・オレ、が、知ってるお前らと、すげー違う・・・」 小さな声で呟いたその言葉は、ずっと慎が心に溜めていたものだった。 言葉にできないでいるうちに、どんどんと、どす黒く色を変え、自分自身を醜く変えてしまったソレ。 今、口にできたのは、きっとクマの父親の死という衝撃的な事実を前に呆然としていたからだ。 そうでなければ、そんなみっともない気持ちなど、曝け出せなかっただろう。 そうして、言った後にやはり後悔しだした慎の内心を知ってか、クマは口の中のハンバーグは呑み込み、殊更なんでもないように返事を返した。 「そうかな?変わったっていうより、時間がたって落ち着いただけだろうな。うん。・・・オヤジが死んだ時はすげぇ自暴自棄になったし、皆にすっげえ迷惑かけたよ。それはもう、ものすご〜く」 「・・・そっか?」 「そうそう。今思い出しても恥かしいくらい迷惑かけた」 カラカラと笑ってそんな事を言う姿は、やはり以前と変わって見えて、慎は少し俯く。 自分が慰められている事が分からない程、子供ではない。 「やっぱり、それにも、ヤンク・・・山口が、関係・・・してるのか?」 言い直して、なおかつ嫌そうに聞いてきた慎に、クマは豪快に笑い、そして素直になれない友人に違うよと首を振って否定した。 「俺が自暴自棄になって暴れてたのを止めてくれたのはダチだ。野田、南、ウッチー・・・もちろん慎ちゃんも。 でも、それは記憶無くす前の慎ちゃんだからじゃなくて、きっと今、オヤジが死んでも、慎ちゃんは同じ事してくれると思う。すごく嬉しかったし、ヤケになって荒れてた俺を救ってくれた。・・・・ヤンクミはそれに気がつかせてくれたんだ。やっぱり迷惑もかけたけどね」 苦笑混じりに話すその顔はどことなく死んだという小父さんに似て見え、慎を堪らない気持ちにさせた。 だからだろうか、不意に、そんな事を聞いたのは 「・・・オレは、何をした?」 「ん?」 「お前がヤケになってた時、何、した?」 「・・・慎ちゃん」 俯いて問いかける慎の姿は頼りなく見えた。 子供の頃から知っているクマにも初めて見せる姿だった。 再度問うた慎に、結局クマは以前にあった事を話しはしなかった。 聞いてもどうしようもない事なのだ。 言っても仕方がないことなのだ。 覚えていないものを、話したところで、それは結局過去なのだから。 クマにとっても、慎にとっても、痛みが増すだけ。 その後追加できた甘味をクマが頬張る間も、幾分気づまりな空気が漂う。 もちろんそう思っているのは慎だけだったかもしれないのだが、クマも食べることに集中しているように、何も話さなかった。 「熱いからふぅふぅして食べるのよ」 無言のままボンヤリとテーブルに肘をつき、怠惰に顎を手の平に乗せていた慎の耳に不意にそんな声が聞こえた。 別段意味もなくそれへ視線を向ける。 隣あって座る母子。 幼い少女は母親に言われたとおり小さな唇を窄めて息を吹きかけ、不器用にフォークに突き刺したものを冷ましていた。 テーブルの上には火傷しないようにと母親の方へ引き寄せられた耐熱用の皿。 見るとはなしに見ていたその光景が、不意に歪んで見えた。 「・・・・慎ちゃん・・・?」 「え?」 呼びかけられて振り向いた途端、パタタ・・・と、何かがテーブルに落ちる音。 なんだろうと俯くと、ポタポタと水滴がテーブルの上に落ちる。 「・・・?」 「どっか、痛い・・・?」 心配そうにそう聞かれて友人の顔を見たが、その顔は滲んで歪んで見えた。 慎が手を頬へ当てると、熱く湿った感触がある。 「・・・なんで、泣いてんだ、オレ・・・」 「・・・うん・・・なんでだろうね」 ゴシゴシと目元を拭っている友人を前に、クマはそんな風にしか返す言葉がなかった。 ----何かを、思い出したのかもしれない・・・。 涙を見せた慎を前にクマはそう思った。 以前にクマが見た涙は、”彼女”といた時に流したもの。 それ以外の過去で、子供の頃も含めて、この幼馴染の涙を見たことがない。 だから、理由も解らないように涙する友人を前に、そう思ったのだ。 涙を拭きながら、口端を僅かに上げ皮肉気に笑う友人を前に。けれどクマは素直に喜べなかった。 思い出して欲しい。 でもそれは 本当に、良いことだけなのだろうか・・・。 なんの、誰の、痛みも伴わないものなのだろうか 表情も変えずに泣く友人は クマには途方にくれた幼子のように見えた。 父が死んだとき幼い弟や妹が涙したときのような、見るものに痛みを与えるせつない涙 自分はあの時と同じように、何もできない・・・。 ----誰が、泣いているのだろう・・・。 慎は、そう思った。 明け方目覚めた時に感じるのと同じ胸の痛みと涙を前に・・・。 止まらない涙を前に・・・。 足が痛い。 腕が痛い。 腹が痛い。 指が痛い。 頭が痛い。 喉が痛い。 目が痛い。 胸が痛い。 何処もかしこも痛い。 痛くてたまらない。 痛いけれど どこが原因で痛むのか 何故だかわからない どうしていいかわからない 慎はただひたすら涙を流す。 掴みそこなった明け方の夢の残骸のように、苦しめるこの元凶は何なのか 自分の中にいるもう一人の自分が泣いているのか。 今の自分が泣くのか。 ・・・・涙。 ベットに横たわり、名を呼びながら泣いていた女のうつろな瞳を思い出す。 そして、今の自分を否定した強い眼差しと、痛い言葉も 飛び出した暗い部屋。 背を向けた廊下。 逃げ出した居場所のないアパート。 逃げ出した教室。 暗がりに浮かび上がる白い肌。 内山の腕の中におさまった華奢な背。 壊れたように涙を流す黒い瞳。 憎悪を向けるように射さす眼差し。 名を呼び続ける薄赤い唇。 自分を否定した唇。 自分を見ない心。 アパートに残された、見覚えのない鍵。 覚えのないぬくもりを置いて。 女は 慎を否定する。 ...to be continued......? 2006.12.18 |