05
「大江戸・・・一家・・・。」 つぶやいた慎に、振り返った担任は特に気にした風もなく、ぐいぐいとまた腕を引っ張った。 「ただいま〜!」 慎の頭の中は正直混乱中。 だが、そんな混乱などものともせず、元気に声を張り上げている。 そしてその声に負けじと返ってきたどでかい声。 「「お嬢お帰ぇりなさいやし!」」 いかつい男が二人。ドスドスと足音を響かせ現れ、時代劇よろしく膝に手をついて頭を下げた。 「お勤めごくろうさんでした!」 「ごくろうさんでした!・・・あれ?」 軽く眩暈を覚え、額に手を当てた慎を見て、二人のうち体格のいい・・・というよりは太りすぎの坊主頭が小(大?)首をかしげた。 その仕種自体はあどけなく可愛らしいものなのだが、いかんせん外見がゴツイので似合わない。 もう一人の男もその声に引かれるように慎のほうへ視線を向ける。 「慎の字じゃねえか!」 人の良さそうな笑みを浮かべて声をかけられ、またしても慎の頭の中は混乱した。 「テツ、ミノル。話は後だ。コイツ怪我してるから手当てしてくれ」 慎の心情など気にも止めず、冷静に指示を出す女。そして改めて慎を見て相好を崩す二人。 「お!ケンカか慎の字!また派手にやられたなぁ」 「もしかしてお嬢に殴られたんだったりして・・・ぷぷ」 またしても可愛らしく手を口元に当てた男の頭にベシリと容赦なく入った二つの手は、もう一人の男のものと、そうして、担任教師のものだった。・・・結構容赦なく入ったように見えた。 「ミノルてめっ!」 「指つめてお嬢に詫びいれろぃ!」 「・・・・あの・・・・」 遠慮しいしい、声をかけた慎へと3人分の視線が集中する。動きをピタリと止めて・・・なんだかコントの一幕のようだ。 「あ!そっか」 ポン、と。先ほど慎に微笑んだ男が手を叩いた。そうして合点がいったという風に頷く。 もう一人の男も「そうでしたね」と相槌を打ち。 頷いた担任も、慎の方へ改めて向きなおって男たちを指し示した。 「えーと、こっちがテツでこっちがミノル」 「二枚目のほうがテツです!」 「かわいいほうがミノルです!」 テツと名乗った男がまたしてもミノルと名乗った男の後頭部をはたいた。 「テメーでかわいーっつう男があるかっ!」 「アニキだって自分で自分の事二枚目っつったじゃないっすか!」 そのまま小学生のケンカのように言い合いをしだした二人に、担任のドスのきいた声がストップをかけた。 「テメぇらいい加減にしねぇか!さっさと救急箱持ってきやがれ!!」 「「へい。」」 さっきまでの口ケンカが嘘のように絶妙のタイミングで仲良く走ってゆく二人の男の背を、慎は唖然と見送った。 「・・・・ぷ」 思わずもれた笑い。 慌てて手で口元を押さえて隣の女を見ると、不思議な色を称えた目で見つめられた。 「ようやっと笑ったな」 つぶやきは慎に聞かせると言うよりは吐息に乗ってもれ出たように小さく 聞き間違えたかと思った慎は笑みを引っ込めて見つめ返した。 だが、担任はすぐに学校でよく見せるヘラリとした笑みを浮かべ、さっさと靴を脱いで中へと入っていってしまう。 「ホラ。お前もさっさとこい」 そんなぶっきらぼうな声を残して。 「・・・・おじゃまします」 丁寧に傷の手当をしてもらい。 どうせだからとかなんとか言って引き止められ、夕飯までご馳走になる事になってしまった。 傷の手当をしている最中に帰ってきた担任の祖父だという人物に引き合わされ、同じくお供ででかけていた若松さんと菅原さんという人物にも挨拶をした。 担任の祖父は3代目と呼ばれているし、若松さんは若頭代理と呼ばれているし、テツさんはアニキと呼ばれてるし、担任はお嬢って呼ばれてるし・・・他にも色々・・なんだか明らかに堅気の家ではないと思うのだが、それでも、どことなく居心地が良く、初めこそかしこばっていた慎も徐々に肩の力が抜けてくる。 担任も特に自分にかまうわけでもなく自然体でそこにいて、終始ニコニコと笑っていた。まるで当たり前のように。 ・・・ここの人たちは全員、記憶のない頃の自分を知っているようだ いったいどんな経由で自分がこの家の人たちに受け入れられる事となったのかは不明だが それでも、学校で友人達に感じるような重苦しさは感じず、むしろ居心地の良ささえ覚える。 それが何故なのか、夕食が終わる頃には慎にもわかってきていた。 「傷のほうはもういいのかい」 3代目が慎のグラスに酒を注ぎそうになって慌てて茶に手を伸ばしながら声をかければ 「けど、折角怪我が治ってもまたお嬢に怪我させられてきちゃって」 ミノルさんがモサモサ肉を口に頬張りながらそんな事を言って。 「ミノル!勝手に話を作るんじゃないよ!」 担任がそれへ苦情を言って 「そうだぞミノル!お嬢のあれは愛の鉄拳だ」 テツさんが担任の肩をもって 「テツ。それじゃあやっぱりお嬢がケガさせたみてぇに聞こえるぞ」 若松さんが笑いながら茶々を入れ。 菅原さんも横で笑っている。 何故なのか・・・理由があるとすれば、それは、きっと。 慎の記憶があろうとなかろうと、ここにいる人たちは気にしていないから・・・だ。 だから、居心地がいい。 「けど良かったですねぇ。こうしてまた慎の字と一緒に鍋が囲めて」 「おう。ミノル。いいこと言うじゃねえか!・・・って!お前野菜も食え!」 「じゃあ慎の字の回復を祝って、今日は快気祝いだな!」 「アニキ。それ酒です!慎の字未成年ですから!」 慎は自然に自分が笑っていることに気がついて、不思議な気がした。 こんなに自然に笑うのは、随分久しぶりのような気がする。 ・・・それが。少し、くすぐったかった。 夕食後、3代目が一局どうだと将棋の盤を慎に指差した。 テツさんとミノルさんが食事の片付けをしている。担任もどこへ行ったのか部屋にはいなかった。 パシリと駒が盤に打ち付けられる音と、遠くで聞こえる笑い声。 久しぶりにさす将棋は、そういえば小学生の頃母方の祖父とした以来だなと思って・・・そうして、もしかして以前にもこの目の前の人とさしていたのかな、と、思い至った。 無性に、この人に、聞いてみたくなる。自分は、どんな男だったのだろうかと。 この人から見て、以前の自分はどんなだったのだろうか、と。 ・・・こんな事を思ったのは、記憶を無くして以来はじめてだった。 過去の自分を知りたいなどと・・・。 「これで・・・どうだ。」 駒を手に考え込んでいた3代目が着物の袂を片手で押さえてパシリと盤に飛車を置いた。 慎はハッとして物思いから覚めたように盤を見る。 なるほど。自信有り気な通り、飛車は王将を狙える絶妙な位置にさされている。 だが、もちろん慎だってその手を考えていなかったわけではない。ので・・・。 「王手」 自信満々に桂馬を動かした。 「・・・・待った。」 「待ったはなしです」 二人の間にしばし沈黙が落ちて、3代目はやられたと言うように、額に手を当てながら笑った。 「相変わらずお前ぇさんのさし方は巧妙だなぁ」 若造相手に手放しで褒める言葉をくれる。 そして、嬉しいその言葉は、やはり以前にも一緒に将棋をさしたことがある、という事の肯定になった。 「・・・3代目」 「なんだい?」 3代目は煙草盆を脇から引き寄せ、煙管を手に持ち、火種を移している。 それこそ時代劇でしか見たことがないようなそれらを何気ない仕草で使い、すべてが格好良く見えた。こういうのを”粋”と言うのだろう。 自分が同じ年を重ねたとしてもこんな風にはなれないだろうと、感嘆を込めて思う。 呼びかけた自分がその後言葉を詰まらせても、大人の男の余裕でゆったりと待ってくれていた。 紫煙が立ちのぼってゆく。 「・・・・俺は、どんなヤツだったんでしょうか」 意を決して聞いた慎に、3代目は片目を見開いて、注いで同じ目を今度は眇めて見せた。 そうして、鈍色に光る吸い口からゆったりと口を離し、紫煙を吐き出す。 慎の手が、知らずギュウと握られ、うっすらと汗をかいていた。 「そうさなぁ・・・・どんな人間だったか、と、言われてもなぁ・・・」 3代目の視線が立ち上る紫煙を辿り、慎もつられるようにそれを辿った。 「・・・・」 「慎の字。その人間の人となりっつうのは、俺ぁ、そいつの死に際に決まると思ってる。生きてる人間はいくらでも変わってゆくもんだしよ。だからかしんねぇが、コイツはこうだ、という目で見たことがねぇ。・・・お前さんは、生きてここに来て、今も生きてここにいる。お前ぇを断定できる言葉を、昔も今も、俺ぁは持ってねぇ」 「・・・・・・」 灰吹きにカツンと灰を落とした3代目は、まるで少年のような表情でニカリと慎に笑って顔を寄せてきた。 間近に覗き込まれた慎は言葉もなくその目を見返す。”自分”が映りこんだ瞳。 「お前ぇさんが俺や大江戸の事を覚えてなかったとしても、こうして将棋のさしかたはちっとも変わってねぇ。それでいいじゃねえか。」 「・・・3代目・・・」 「お前ぇさんがお前ぇさんである事にかわりはねぇさ」 帰り道。 いらないと言うのに送ると言ってきかない担任教師が慎の数歩前を後ろ手に手を組んで歩いている。 「悪いな沢田。おじいちゃん、ウチの奴らじゃつまんねえからって、客人が来るとすぐ将棋の相手させちゃうんだよ」 「・・・別に。・・・俺も楽しかったし」 返す慎の声に、もう以前のような剣は含まれていなかった。それに久美子は満面の笑みを浮かべる。 「それならいいけど・・・。あ、でも、今のセリフおじいちゃんに聞かせると、会うたび将棋つき合わされるぞ」 「・・・いいよ、それでも」 二人の会話も、慎の言葉こそ少ないが、以前のようなぎこちなさがなかった。 久美子はまた龍一郎に慎を会わせるようなことを言っているし、慎もそれを断るようなことを言わない。 接点を避けないでいられる距離に入ったのかもしれない。 『お前ぇさんがお前ぇさんである事にかわりはねぇさ』 慎の胸に、先ほどから繰り返し浮かぶ龍一郎の言葉。 それはきっと、誰かに言って欲しくて、けれど、龍一郎でなければ、こんなに素直に心に入ってこなかっただろうと思うものだった。 とりとめもない話をしながらも、もう担任教師も、以前病院に来ていた時の様に、慎に思い出す事を求めるような発言はしない。 なんだかそれも嬉しくて・・・。 そうして、任侠一家の一人娘なのに、なんで教師なんかをやってるのかと、初めて目の前の女に言葉にできるほどの強い興味を・・・問いを、抱いた。 空には冬の澄んだ空気の中、星が瞬いている。 「お前、なんで教師になったんだ・・・?」 素直に出た言葉。 もしかしたらそれも、”以前の自分”は聞いたのかもしれない でも、振り返った担任は、嬉しそうに笑みを作って、答えてくれた。 まっすぐに自分の好きな道を目指した人物の、まっすぐで一途な気持ちは、聞いていて胸が熱くなって そうして それを話す女の、キラキラと、星を写した様に輝く瞳がきれいで 慎は、今日何度目かになる優しい笑みを顔に浮かべた 少し斜に構えたような笑い方。 でも、瞳の色は、澄んで優しい。 慎が見せた、片方の口の端を少し上げて笑う笑みは 微笑み返す久美子の瞳にも 鮮烈に焼きついた。 終業式を明後日に控えた冬の日。 まるでそれぞれの気持ちを反映したように、すがすがしく空が晴れ渡っていた。 反映された人の心は 3D担任の山口久美子と そうして 3D生徒の、沢田慎のもの。 HRへと朝一番の笑顔を浮かべながら歩いていた久美子は、前方に見知った背中を認めた。 斜めに構えた歩き方と、どことなく余裕のうかがえる背中。 少年のしなやかさと、大人の色を滲ませたようなそれに、昨夜公園で見送った背が重なり、その顔に、先ほどまで浮かべていた一番以上の”一番”の笑みが浮かぶ。 「沢田!おはよう!」 気持ちを反映したような弾んだ声が口からでた。 それに振り返った少年も、以前では考えられないような・・・とまでは言わないが、無表情ながらも剣の篭らない視線を向ける。 内心でドキドキしながら、駆け寄って行って横に並んでみる。 目的地は同じなのだから、一緒に歩いていっても不自然ではないだろうと、思った。 恐る恐るではあったけれど、反発するような反応は返ってこず、ほっと息を吐き出す。 そういえば、以前の・・・付き合っていたころの二人は、こんな風に校舎で二人きりになることを避けていたっけ・・・。 久美子はふとそんな事を思い出した。 疑わしきは・・・ではないが、できるだけ危険を避けていたような節があったのだ。 だからこそ 今 ”不自然ではないだろう” などと思ったのだが・・・現在の二人には、それは不要な・・・気のまわし過ぎ・・・。 今の二人は 純粋に教師で生徒だ。 「・・・」 こうして並んで歩けることが嬉しくて。 そうして 少しだけ切ない。 久美子は横に並ぶ慎を見上げて微笑んだ。 胸に浮かんだかすかな焦燥感に気がつかないフリをして・・・。 昨日、偶然に袋叩きにあっている慎をみかけて、それとは知らずに止める声をかけて 路地裏に力なくうずくまるその姿を認めた時・・・自分でもどうしようもないほどの、持て切れない感情が身体を支配した。 慎が事故にあって以来、何度も何度も久美子の夢に出てきた光景。 横たわったまま 血にまみれ 息もせず うずくまる肢体。 そうして、差し伸べた手。 握り返してはくれなかったけれど 自分で身を起こす姿に、知らずつめていた息をそうっと吐き出した。 ----大丈夫。 ----生きている。 ----ここにいる。 去ってゆこうとする腕を咄嗟に掴んでいた。 問われるほどにその手が震えていたことにも自覚があった。 あの時、倒れた慎が、夢のように血まみれに見えたから・・・。 生きていないかと・・・・思ったから。 おびえる手が震えていたのだ・・・。 「ヤンクミ?」 呼ばれてハっと物思いから返る。 朝の日差しに包まれた廊下。 「え?・・・あ・・・・」 「朝から寝てんじゃねえよ」 呆れたように見返されて、思わずヘラリと笑って返した。 「あはは〜寝てた。・・・・・・・。え・・・・?」 そうして、すぐに違和感に気がつく。 すぐ横でフイっと視線をはずした少年の白い頬がうっすらと、朱に染まっていた。 『ヤンクミ』 たしかにそう呼んだのだ。 呼んだ、のだ・・・。 久美子は条件反射のように伸びをして、隣に並ぶ少年の頭をわしゃわしゃと掻き混ぜた。 「わ。ヤメロ」 拒絶する言葉を発しながらも、その声は優しい。 昔。 ”慎”だって、最初はやっぱり教師の自分を嫌っていて でも、何がきっかけだったのか、『ヤンクミ』と、呼んでくれるようになって すごく すごく。 すごくすごく、うれしかった。 同じだった。 あの時と同じだった。 もう一度始めていける そう 久美子は思った。 ここにいるのは確かに沢田慎なのだ、と。 不器用だけど、つっけんどんだけど、心根の優しい。沢田慎なのだ、と。 慎の髪を掻き混ぜながら、久美子の瞳にじんわりと涙が滲んだ。 でも、それを見られたくなくて、慌てて駆け出す。 「沢田!アタシのが先に教室ついたら遅刻だからな!」 背中越しに叫ぶと「ふざけるなっ」と文句をいいつつ追いかけてくる足音が響いた。 すごく 嬉しかった。 昼休み 昨日の件を引きずってか、どことなく気づまりな空気が漂う食堂。 相変わらず友人達はくだらない会話を楽しんで けれど、気を使ったかのように、会話の中に担任教師の名前は出てこなかった。 そんな中、慎は見るともなしに友人が弁当の空箱を布にくるんでいるのを見ていた。 ”ヤンクミ”が褒めていたという弁当。 自分の知らない時間の、担任。 昨日の件だけでも、奇想天外な教師だということは分かった。 考えてみれば自分の生徒が袋叩きにあっていて、その理由さえ聞かないというのはどうなのだろう。 生徒を信頼しているのか、単に興味がないのか なんとなく前者のような気がする・・・。 だからこそ、コイツらもこんなになついているんだろう。 ・・・慎の思考は先ほどから、というか、朝からずっと担任教師の事ばかり考えていて、でも、それには当人気がついていない。 『沢田!アタシのが先に教室ついたら遅刻だからな!』 そう言って弾むように駆けていった華奢な背中と、飛び跳ねるように舞ったお下げ髪が瞳の裏をチラチラゆれていた。 「・・・・」 また、慎の視界に包み込まれた弁当箱が映る。 記憶のない自分とは別に、ヤンクミとの記憶を共有しているそれらや、友人達。 昨日とはうってかわって、聞いてみたい衝動にかられる。 ----そういえば、コイツらは、ヤンクミが教師を目指した理由を知っているのだろうか ----家が任侠一家だということを知っているのだろうか フイに渦巻いた疑問と、もしかしたら知らないのかもしれない・・・という感情。 それが優越感とかといった、本来の慎ならば浮かびもしないような感情だということに、本人はやはり、気がついていなかった。 昼休みもあと10分で終わるという頃。 何故か弁当包みをボンヤリといった風情で見つめながら言葉少なだった友人が慎に声をかけてきた。 思いつめたように真摯な眼差しで。 「慎・・・話がある・・・・」 内山だった。 ...to be continued......? 2006.11 改稿 |