02










 唐突に赤い光が消えた。

 思わず立ち上がると、横でナツミも同じように立ち上がった。
 開かれた扉。
 手術室からストレッチャーに乗せられてガラゴロと運ばれてくる沢田は、未だ看護師に囲まれていて、なにやら指示を飛ばしながら移動してゆく医師の後姿に、二人は何も言えずに立ちすくんでいたけれど それでも、目を閉じた慎の口元には酸素マスクがつけられていて・・・
「生きてる・・・」
 つぶやいて、その場に崩れるように座り込んだ久美子を、ナツミちゃんが支えてくれた。



 確かに、沢田慎は生きていた。
 だが、移動して連れて行かれた先はナースステーションの真向かいの個室で、扉には面会謝絶の札がかけられていた。
 中からは忙しく動く医師や看護師の声が聞こえていた。

 それ以来、一進一退を繰り返し・・・未だ意識が目覚めていない。

 久美子は、祈り続けた。
 もう、何に祈っていいかもわからなくなりながら。

 ただ。

(連れて行かないで)

 ・・・と。








 沢田慎の意識が戻ったと報告を受けたのは数学の授業中。おりしも3Dの教室で。
 事故から2週間たっていた。
 その間、教室は火が消えたように静かで、教師がどうしたのかと尋ねるくらい、皆黙って授業を受けていた。
 報告を受けた一瞬後、シン・・・と静まり返り、今度は一斉に出口へと走り出す。全員。
 生徒も、教師も。
 教えてくれた菊乃が笑いながら扉からどいて生徒と一緒に走ってゆく同僚に手を振った。
「気ぃつけて行くんやで〜〜〜」
 職員室の窓から駆けていく生徒と教師の後姿を見ていた猿渡教頭も、その日はお小言も言わず、黙って微笑んだ。


 さすがに一クラス全員が入ったらいっぱいいっぱいの個室、喜びも露に騒ぎまくる生徒たちに看護婦長がわざわざやってきて注意されてしまう。
 けれど
 皆笑顔で
 しかも、涙まじりで
 まだベットから起き上がれない慎に群がっている

「心配したんだからな〜〜〜っ」
「慎ちゃん、ホント良かった・・・ぐすん」
「何泣いてんだよクマ〜〜」
「そういう野田も鼻水垂れてるぞっ」
「慎のばかばかばかっ大バカやろ〜〜〜良かったよこんちくしょ〜〜」

 その騒がしさにベットの中で柔らかく微笑んで答えている。
 
 久美子は病室の入り口でそれをボンヤリと眺めながら、なんだか現実味が伴わなくて、泣きもせず、笑いもせずに突っ立っていた。
 身体の中が空っぽになったみたいで、うまく物は考えられないし・・・それに、背中の壁から身を起こしたら、そのまましゃがみこんでしまいそうだった。
 それくらい、身体に力がはいっていない

――――――神様―――――――ありがとう―――

 その言葉ばかりがグルグルと頭の中を回っている


「ヤンクミッ」
 慎の枕もとから顔中口にして笑っている内山が久美子を呼んだ。
 同じく慎の横で涙まみれの顔でクマがが早く来いとばかりに手をふっている
 慎がそれに促がされるようにゆっくりと扉のほうを見た
 ドクンと、久美子の心臓が大きく音を立てる

 まっすぐに二人の瞳が交わって

 そうして




「・・・・誰、だ?」





 室内が一斉に静かになった











 急遽父親が病院に呼ばれ、両親と、そうして妹の3人が主治医の医師の病室に入っていった。
 沢田慎は検査の為、看護婦にストレッチャーに乗せられ、どこかに連れていかれる。

 廊下に、ポツンとすわっている久美子の両隣に内山とクマ
 野田と南は生徒たちを教室に大人しく帰らせる為に内山に言われてしぶしぶながら病院を後にしていた。
「・・・・・・」
 沈黙が落ちる

 先ほど、病室で久美子を前に見知らぬ他人を見るような眼をして首を傾げた慎に、病室内は一瞬音をなくして、そうして慌てたように皆が口々に何を冗談を言ってるんだと笑った。

『ヤンクミだぞ』
 と
『俺らの担任じゃないか』
 と
『そのギャグ笑えないぞ』
 と

 けれど、慎はあいかわらず不信そうな表情を浮かべて久美子をみるばかりで
 ギャグだと言って笑い飛ばす事はなかった
 何よりも雄弁に。
 赤の他人を見るような瞳で、久美子を見ていた。




 その後の検査の結果。

 沢田慎の記憶は、2月頃までのものしかない事がわかった。













 4度目のグラタンチャレンジは、結構がんばって練習したから、焦げはしなかった。
 今度こそは、と胸をはってそれをテーブルに載せ、自分もいそいそと真向かいに座る。

 前回、失敗してチュウを迫られてしまった久美子だ。
 いや。
 それは実はすごく嬉しかったんだけれど、それとは別に、やっぱりちゃんとしたものを出したかった。
 なので。
「どうだ!」
 自信満々の久美子に、慎はおそるおそるといったカンジでスプーンをグラタンに突き立てる。
 一瞬 おや?というように僅かに眉をあげ、そうして掬ったスプーン上のそれを口の中に運ぶ。
 じ〜〜〜・・・と見つめる久美子の視線の先、慎は口を動かしている。
 うん。食べれている。
 問題はおいしいかどうかではなく、食べられるかどうかにすりかえられている自分の思考に久美子が気がついていないことだが・・・そこはまあ、ご愛嬌。
 慎が重そうに口を開いた。
「・・・今日は、焦げてはいない・・・けど」
「けど・・・?」

「・・・生・・・・・っぽい・・?」

 何故に疑問系?というつっこみは、ガクンと肩を落とした久美子から発せられることはなかった。

「・・・今度は、ちゃんとできたと思ったんだけどなぁ〜〜・・・」
 久美子もスプーンを突き立ててそれを口に運ぶ。
 すぐに”ぽい”と言った意味がわかってやっぱりうなだれる。口の中できちんと茹でられていないマカロニが非常に存在を主張していて・・・なんというか・・・硬いのだ。
「まあ、今回は食えるけどな」
 慎もいつの間にか”食べられるか食べられないか”の選択で食べ物を見ているが、その辺はやっぱりご愛嬌。
 スプーンをまた突き刺して口にほおばる。
 久美子も項垂れながらもほおばる。

 とりあえず完食した二人は空の皿を前に両手を合わせて”ごちそうさまでした”をした

 未だ少し元気がない久美子に、またしても慎はうっすらと人の悪いような、かっこいいような笑顔を見せてちょいちょいと指を動かす。
 ぷうとほっぺたを膨らませて、すねたようにそっぽを向いた久美子の頬は赤くって、そんな所もかわいいなぁと慎が思ったことを本人は知らない。
「ヤンクミ」
 にじりにじり・・・と慎が床を移動して久美子の横に行く
「ちゃんと、食べれただろ?」
「うう・・・どうせなら”おいしい”と言われるものをつくりたい・・・」
 ようやく問題点に気がついた久美子はまだ赤い顔をしてそっぽを向いている。
 床についていた白く細い手。人差し指がすこしピンク色になっている。
「あれ・・・もしかして・・・火傷したか?」
 いいながら手をとってマジマジとその指先を見る
「わ!・・・し、してないって、火傷なんか・・・その、ちょと湯気が熱かったけど・・・火傷ってほど痛くない」
「・・・なら、いいけど」
 ちゅ、とその指先に軽く唇を触れられて、久美子の肩がビクンと動いた。
「さ・・・沢田って・・・なんか・・・」
「ん?」
 尚も執拗に久美子の手の甲に唇を押し当てている
「そんな・・・キャラ、だった?」
「だから、このキャラは」
「・・・彼氏用?」

 フワリと慎が笑って

 そうして



 二人の唇が重なった。








『・・・・・・・誰、だ?』

 見ず知らずの人間を見るような、なんの感情も灯らない瞳。



 久美子は病院の帰り道、ポツポツと木から降り落ちてくる銀杏の葉に頬を打たれながらボンヤリと歩いていた。
 教頭に黙って出てきたのだから、早く学校に戻らなければ・・・と思うのに、とてもそんな気持ちにはなれなかった。

 そんな担任教師の前方を、二人の学生服の少年が歩いている。
 気づかわし気に何度も振り返りながら。・・・内山と、クマだ。
 だが、今の久美子には、それすらも目に入っていない。

(たしか・・・この辺だったよな・・・)

 学校へ続く道。
 春には桜、秋にはこうして銀杏が舞う並木通りの途中で、慎は久美子に想いを伝えてくれた。
 あれから、どれくらいたっただろう・・・。
 久美子の足がピタリと止まり。今は胸が痛くなるだけの落ち葉を見上げる。
 告げられたときは青々とした緑が生い茂っていた。そして今は干乾びた色。

----お前が一人で背負ってるもん、少しでも、俺にも背負わせてほしい。
----まだ俺はガキだけど・・・そう思ってる。

 言葉は少なかったけれど
 そんな優しくて想いの詰まった言葉を向けられたのは、まだそう遠くない過去

----お前の携帯拾った時
----お前への想いを拾ったんだと思う

----少しでも頼れる男になりたいから
----これから、もっと色々頑張るから

----お前の傍に、いさせて欲しい


 言った後、照れたように頭を掻いていた。
 うつむいた顔は見えなかったけれど、その耳が赤く染まっているのを見て、自分は無性に嬉しくなった。
 考えてみてくれと、言った。
 自分を好きになる可能性がこの先あるかどうか、考えてみてくれ。と。
 考えるまでもなかった。
 確かに、戸惑ったけれど、間違った行為だとも思ったけれど
 それでも

----確かに、想いを拾ってもらったよ
----アタシも拾われたよ

----アタシもまだまだ頼りないケド
----一緒にいられるようにもっと大人になるから

----二人でいよう

----ずっと

 瞬間、慎がパッと顔を上げて
 嬉しそうに・・・本当に嬉しそうに笑ったから。
 なんだか、すごく良い事をしたような気がした。
 実際は良いことなんかではないのだけれど
 それでも、誰が認めなくても
 こんなに喜んでもらえる・・・こんなに自分が喜べる関係を、間違いだなんて思えなかった。

 毎日がふわふわと夢の中を漂うようだった。

 それが・・・





 思わずへたり込むようにその場にしゃがみこんでしまった久美子の前に、二つの学生服が駆けて来る。
「大丈夫か?ヤンクミっ!」
「具合わるいのか?」
 気づかい、差し伸べられる生徒の手が、あの日の慎のそれに重なって見えた。
「・・・だ・・・・」
 ゆっくりと、顔を上げる。
 もちろん、そこには、慎はいない。
 優しい、かわいい教え子達がいる。
「・・・大丈夫」
 一人で立ち上がって、安心させるように笑って見せた。
 けれど、内山もクマも、その笑顔にますます表情を曇らせる
「ヤンクミ、慎なら、大丈夫だよ」
「そうそう。退院してくる頃にはすっかり良くなって・・・思い出して、帰ってくるって。な?」

 久美子はそれにも笑って返した。


 壊れそうなほど、痛々しい笑みを浮かべて。














...to be continued......? 2006.11 改稿

 or next