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「こんのバカが!!!!」 久美子達白金学院の生徒以外立っていない状況になってから、沢田慎は2年の春に赴任してから初めて見せる激怒の表情で声高に久美子に怒鳴りつけた。 久美子はその剣幕に唖然としてしまって、口をぽかりと開いたまま間抜けな顔を晒していた。 その顔に更に怒りを煽られたのか担任教師はまるで熱血教師ででもあるかのように声を荒げた。 「聞いてるのか!山口!!」 「・・・聞いてます」 肩をすくめてそう応えると目の前であからさまな大きな溜息をつかれた。 そうしてから屈み込むと足元に落ちていた踏まれて汚れたもとは白かったセーラー服のタイを拾い上げ、どう頑張っても汚れの落ちないそれを数度はたいてから久美子にずい、と差し出した。 「あ、ども」 受け取ると思いがけない真摯な眼差しに見つめられた。 「・・・無事でよかった」 ポツリと呟かれた言葉に心臓が鼓動を早めたのを誰にも悟られたくなくて、意識は取り戻したもののまだ座り込んでいる傷だらけの友人に慌てて声をかけた。 「隼人、竜、大丈夫か?」 二人は何故か沢田慎を睨みつけていたけれど、久美子の言葉に慌てて頷いた。 「ああ、大丈夫だ」 「俺も。・・・悪かったな」 ようやっと怒りモードだった沢田”先生”の態度が沈静化したのをみてとった武田が「そういえば」と口を開く。 「沢田センセ、どうやってここわかったの?」 この質問にまたしても沢田慎は大きく溜息をついた。 彼がこの場に駆けつけるまでには色々な苦労があった。 なんとか気力で立ち上がった後校門まで走って、片っ端から生徒を捕まえて隼人と竜を連れ去った者がどういう風貌だったのかを聞いて、特徴的な黒十時のシンボルを聞いてから友人知人に電話をかけまくった。 この辺は地元、しかも白金学院卒業生というのが大きく役立った。 伊達に昔白金学院歴代の悪名高き3年D組を率いていたわけではない。 何本目かの電話でこの頃治安を悪くしている暴力集団の名前を割り出し、溜まり場を調べてもらったのだ。 こんなに奔走したのは高校生以来だった。 「ってか、意外に喧嘩が強くてビックリ」 今度は土屋が殴られて切れた唇の端を押さえながらおちゃらけた声を出す。 見れば日向も久美子もその言葉に頷いている。 慎はバツが悪そうに口調を淀ませながら「俺も一応お前らのセンパイだからな」と言った。 その言葉に、担任がただの白金の卒業生、というだけでなく、当時相当にヤンチャだったことを悟った。 とても以前酔っ払ってちんぴらに絡まれていた人と同一人物には見えない。 そして久美子は思い出す。以前にナツミさんが話していた教師を殴って転校して白金に来た、という話を。 そういえば、と、藤山静香が久美子たちの何年か前に唯一「悪名高かくも退学者を一人も出さずに卒業した、伝説の3D」なるものがあったと語っていたことも併せて思い出した。 さっきの登場の仕方といい、竜と隼人を人質にとられないような戦闘方法といい・・・。 「そういえば、先生の同級生、退学者っていた?」 叱られた事などすっかり忘れたような久美子の問いに、一度口を大きく開きかけてから諦めたように閉じた沢田慎は「いない」と端的に応えた。 その返事に久美子は自分の想像が間違っていないことがわかった。 なんだか、色んな意味で相手を見る目が変わりそうな自分がいる。 今まではなんだかんだ言っても「有名大学を出た」「教師」として、やっぱり遠い存在なのかな、と思ったりもしていたけれど、初めて真の意味で「白金の卒業生」「先輩」なんだと思える。 久美子にとっては嬉しい確認作業だった。 へへへ・・・と突然笑った久美子に怪しい視線を投げてくる沢田慎に、今まで以上にぶっきらぼうな声で隼人が口をきいた。 「ってかさ、コイツらどーすんの?」 竜も頷く。 「一応沢田も教師なんだし、学校にも言うんだろ?」 どことなく非難がましい声に久美子はとがめるような視線を投げたが友人は軽くスルーしてしまった。 だが沢田慎はいまだ起きる気配のない黒十字のメンバーを見回した後、次いで自分の教え子の顔を順に見てゆく。 そして比較的外傷の少ない土屋を指差して「お前残れ」と命令。 は?・・・と、場の空気の間が抜ける。 「あとは山口。この二人以外全員帰れ。今回のことは誰にも言うなよ」 「待てよ!山口に全部罪なすりつけるつもりかよっ」 隼人が声を荒げたけれど、それを止めるように軽く手をあげただけで、後はポケットから携帯電話を出してどこかに電話をかけてしまう。 「・・・あ。警察ですか?わたくし、白金学院の教師をしております沢田ともうしますが・・・」 警察に電話をかけている事実にビックリしている生徒達を手で追い払うような仕草をして帰れと促している。 全員顔を寄せて声を潜めた。 「どう思う?」 「つっちーとヤンクミだけ残れって?」 「全員でぶっちしねー?」 「でもこのままだとまた黒十時に狙われるだろ。いいから、先生の言うとおりにして、お前ら帰れ」 久美子の沢田慎を全面的に信頼しきった言葉に竜と隼人が苦虫を噛み潰したような顔をした。 それを横目で見ながら苦笑交じりの顔で日向が頷いた。 「わかった。後で連絡な」 「うん」 全員で意見のすりあわせが終わった頃、担任の電話も終わった。 携帯をポケットに仕舞いながら「ほら、警察来んぞ。早く帰れ」というぶっきらぼうな台詞に隼人が「べー」と舌を出して竜が「ふん」と鼻を鳴らした。 その二人を引っ張りながら日向と武田が「じゃあなー先行ってるー」「気をつけてなー」と帰っていった。 それを見送ったあと、沢田慎は久美子と土屋に向き直った。 そうして。 「よし、お前らは今から付き合ってる」 と、意味不明なことを言った。 「・・・・で?」 火傷の痕をガーゼで隠した竜が興味なさそうな顔で、けれども本当は知りたくてしかたがない、という風情で続きを促してきた。 土屋は友人のそのひねくれた性格をわかっているので笑いを噛み殺しながら話を続けた。 「うん。俺たちがカップルで、で、街を歩いているところを絡まれて、ヤンクミを黒十時に連れて行かれたってシナリオにして、俺はそれを庇って殴られたってことになるわけだ。」 自分の切れた口元を指し示す。 「で?」 今度は隼人が先を急がせた。 「で、偶然通りかかった担任の先生に助けを求めて二人で廃工場に駆けつける」 「げーーー・・・偶然とかって、そんなの警察信じるわけないじゃん」 武田の台詞に日向が笑いながら頷く。 「そー思うだろ?ところがだ、何故か沢田が言うと警察が信じるんだよなー・・・お前らにも見せてやりたいよ、あのときの沢田のウソみたいに”良い教師”っぽい態度」 日向と武田が笑ったが竜にひと睨みされて黙る。 「だいたい、あれだけの人数、つっちーと沢田が駆けつけてどうにかなるわけねーじゃん。その辺はどう言い訳したんだよ」 隼人の納得しきれないような言葉に答えたのは久美子だった。 「馬鹿な集団が薬でラリってる所に駆けつけたって言って。なんかうやむやにしちゃったんだよ。”これでも私も腕には覚えがあるほうで・・・”とかなんとか言っちゃって。なんでか警察信じてたなー・・・沢田って凄いなー」 関心したようなうっとりしたような声に全員が顔を見合わせた。 もちろん竜と隼人は心底嫌そうな顔をしていた。 「まあ、あの連中が何か言ったとしてもどうせ薬なんかやってたヤツの証言は無視されるしな。何よりあいつ等には警察も手を焼いていた。いい具合にしょっぴく理由になって都合が良かったんだろ」 唐突に背後から聞こえた声に全員が振り返る。 そこには出席簿を手に肩をトントンと叩いていた沢田慎が立っていた。 「げ!沢田!」 「うわっ」 「おはよーっす」 「うーっす」 「はよーん」 「おはようございます」 もちろん最後のきちんとした挨拶は久美子だ。 担任教師はそれに微笑みで返して教卓に歩んでいった。 久美子はその背中を見つめる。 そして隼人と竜はそんな久美子を見つめて。 他の三人は嫉妬の炎を燃やしている竜と隼人を笑いながら見ていた。 久美子は思った。 もう一度、春に隼人に聞かれた質問を繰り返されたら、自分はなんて答えるだろうか、と。 『ヤンクミ、沢田のこと、どー思ってんの?』 恋とか愛とか、そんなのはよくわからない。 それでも自分の中で、担任教師が特別な事に違いはなかった。 季節はゆるやかに、確実にめぐってゆく。 相変わらず家で勉強のできない久美子のために沢田慎はできうる限り、学校や市の図書館で勉強を教えていた。 「そんなんじゃ志望校は無理だ」と言い切っていた一年前に比べて 「あとは当日の体調しだいだな」という評価に進化を見せた頃、久美子の受験がやってきた。 その頃には、もう、久美子の中で沢田慎の存在は誰にも変えられないものに変わっていた。 もちろん沢田慎に言わせれば自分はまだまだガキで、『手を出さない』宣言もされている、とうてい女としてなんか見られていないのはわかっていた。 それでも、全てが終わって、大学に受験したら、自分の中に生まれ、育まれてきた担任への感情に、名前をつけてもいいんじゃないかな、なんて、思っていた。 『告白』なんて、一生できないけれど。 もしかしなくても、胸の中に存在するこの気持ちは・・・・。 久美子は受験票を握る手で自分の胸元を押さえた。 息づく鼓動と同じように、確かに存在する想い。 「どうした?」 急に胸に手を当て黙り込んだ久美子の横で訝しそうな声を出したのは、その沢田慎だった。 今年、白金で大学を受験するのは久美子だけだったが、まさか当日朝、迎えに来るとは思っていなかった。 驚いたように玄関から顔を出した久美子に「お前の事だから大学行くまで見張ってないとポカやりそうでな」そう言った担任。 もちろん久美子は頬を膨らませて文句を言ったけれど、心配してきてくれたそのことが嬉しかった。 久美子の横では龍一郎が「お世話になります」と頭を下げている。 一度来た孫の担任をしっかりと覚えていたようだ。 「緊張してるのか?」 お前が?というような口調に久美子はまた頬を膨らませた。 「余計なお世話です」 ひねくれた言葉は出たけれど、全部嬉しさの裏返しだった。 手の中の受験票をもう一度握り締める。 「・・・行って来ます」 「おう、名前書き忘れるなよ?」 どこまでも馬鹿にした台詞だったけれど、そこに優しさを見出してしまうのは自分の甘さだろうか、と久美子は考える。 その一言が、名前さえ書き忘れなければお前は大丈夫だ、と言われているように感じて、力が湧いてくるのだ。 横に立つ担任を見上げる。 澄んだような黒目がちの眼差し。 この瞳が好きだ、と、久美子は思った。 一度大きく頷いて踵を返す。 もう後ろは振り返らない。 あの日の工場のように、背後を守ってくれているかのような沢田慎の存在が、自分に力を与えてくれる。 だから、きっと、大丈夫。 受験に合格したら。 卒業したら。 先生の生徒じゃなくなったら。 (アタシ・・・・) 校舎に入ってから、見える筈もないのに振り返って担任の居るだろう方向を見つめる。 胸が温かくて、でも、泣きたくなるような気持ち。 先生。 卒業したら。 この気持ちがなんなのか。アタシに教えてくれますか? ...to be continued......? |