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手首を掴んだ熱い手のひらの感触がずっと身のうちを焦れさせている。 「駄目だ」 強く硬い声。 今まで見た中で一番真剣に見えた表情。 でも、それは教師だからではなかったように思う。 もっとなにか、強い感情に支配されて自分を止めたように見えた。 まるで、心配してくれたように感じたのはうぬぼれだろうか・・・。 校門まで走ってゆくと久美子を待って足踏みでもしているような土屋と日向が居た。 「ヤンクミっ!」 土屋の声に被せるように「なにかわかったか?」と聞く。 日向は直ぐに頷いた。 こういうとき全学年に顔が広い彼の存在は大きかった。 「二人を連れて行ったやつら、黒十時のマスクつけてたって!!・・・この間ゲーセンで絡まれて確か二人で追っ払ったって言ってたから・・・しかえしかも!」 「溜まってる場所知ってるか?」 「街外れの工場跡地だって、聞いたことある」 「・・・行こう」 久美子の強い言葉に全員頷いて走り出した。 黒十時と言うのはここ一年くらいで急に近隣に勢力を伸ばした暴力集団だった。 陰湿で執拗。その辺の高校生の不良なんかとはタイプが違いすぎる。 全員黒の十字架のマークをどこかにつけている。 久美子は直接かかわったことがなかったが、近辺の高校では半殺しの目にあった者も居たようである。 こういう連中は始末がわるい。徹底的に潰さない限り執拗に何度でも喧嘩を売ってくる。 以前に久美子も知っている組のヤクザ者相手に考えられないような喧嘩・・・いや、喧嘩とはいえないだろう、とにかく、非常識な攻撃をしかけたことで、同業者の中でもどうにかしようという話が持ち上がっていたところだった。 ふたり、無事でいてくれればいい・・・。 久美子は祈るような気持ちでなおも駆けつづけた。 図書室にいるだろう沢田慎のことが脳裏をちらと掠めた。手首に感じた熱も。 でも、それには気が付かないフリをした。 この事が原因で先生が放課後勉強を教えてくれなくなったら嫌だな・・・なんて、今、考えてもどうしようもないことだった。 工場跡地は寂れた柵がくず折れてどこからでも進入できた。 建物の前には見張りの者もおらず、本当にここであっていたのかと不安になる。 発見が遅れれば遅れるほど二人の危険が増すからだ。 4人は顔を見合わせて頷く。 そのまま言葉もなく二手に分かれる。 久美子と日向は正面から。土屋と武田は裏に回る。 そっと錆びて朽ちた鉄の扉に背を預ける。 日向と目で合図をしてタイミングを図って中に飛び込んだ。 久美子が工場の中に入ったとほぼ同時に裏から土屋と武田も飛び込んだ。 遠くで何か打ち鳴らすような音が聞こえて、二人顔を見合わせるとそちらにむかって足音をたてないように進む。 心臓が大きく脈打って痛いくらいだ。 いつも小柄で細い友人にばかり頼ってしまっているが、他のメンバーも喧嘩は日常茶飯事だ。だが、流石にどれだけの人数が居るかわからない暴力集団を相手にするには、勇気が必要だ。 もちろん友人の安否を思えば躊躇ってなどいられない。 音がどんどん大きくなってゆく。 それは次第に肉を打つような鈍い音であることに気が付く。 二人が辿り着いたとき、もう既に喧嘩は始まっていた。 壁際に、隼人と竜がピクリとも動かずに転がっている。 目を見合わせ駆け出した。 敵の数は何人いるだろうか。 既に何十人かは床に沈めたのだが、あとからあとから湧いてくるように出てくる。 久美子は背後から振り下ろされる鉄パイプを腕を交差して受け止め、そのまま身体を捻ってパイプを掴んだままの身体を前面に倒れ込ませて膝を股間に打ち込む。 こういう所は女の利点だと思う。 痛みがわからないから急所を狙うことに躊躇いがない。 床の上で痙攣を繰り返している身体を蹴り転がして別の方向から突進してくる男をやりすごし、今度は鳩尾に一発決める。 体力的にはまだまた大丈夫なのだが、流石に数が多くてどこか感覚が麻痺してくる。 「おまえらぁぁぁぁぁ!!!!」 突然建物内に大きな声が響いた。 見れば先ほどまで状況を達観していたような男。たぶんこの中では上のほうの人物になるのだろう。 大きな声に久美子達も、そして黒十時のメンバーも動きを止める。 視線の集まった先で、男は転がっていた竜の髪を鷲掴んで持ち上げる。 「・・・う・・・」 竜の口から漏れた呻きに久美子は唇を噛み締める。 持ち上げられたときに意識が戻ったのか腫れあがった瞼の下の瞳と目が合う。 「こいつがぁどうなってもかまわぁねぇのかぁぁ!!!」 呂律が怪しい叫び。 久美子達が飛び込んだとき、男達は数人、何かを吸引していた。 あきらかに、犯罪行為・・・。 だが、それで、確実に気は大きくなる。感覚も鈍くなる。 厄介だ。 男はにやりと嫌な形に唇を歪ませて笑った。 竜の髪を掴み上げた手とは反対の手にライターが握られている。 すばやくそれに火を灯すと苦しげにゆがめられた竜の顔に近づけられる。 建物に肉の炙られる嫌な臭いがのぼった。 離れた久美子のところには臭ってこないそれに、一番近いところに居た武田が悲鳴のような高い声をあげた。 「りゅうっ!!」 だが、竜は唇を噛み締めうめき声ひとつもらさなかった。 男はそれが気に食わなかったみたいで竜の髪を掴んだままその胴体を蹴りつける。 竜は黙って耐えている。 「・・・やめろ」 久美子の低い声が工場に響いた。 乱闘の中で一番仲間を倒していた久美子が静止の言葉を出した瞬間、男は狂ったように笑い出した。 「おんな!!ここに来いやぁぁぁっ」 「や・・めろ・・・くる、な・・・」 初めて竜が声を出す。 それに構わず久美子は足を踏み出した。 一歩、また一歩と男に近づく。 久美子の反撃を恐れているのか竜の髪をさらに強く掴み、いつでも火をつけるぞという構えでライターを握り締めている。 久美子が手の届く範囲に来ると「止まれ」と高い声で言い放ち、また嫌な笑みを浮かべた。 「脱げ」 友人たちが全員息をつめたのを察しながら久美子はなんでもない風な顔を崩さず、手を持ち上げた。 セーラー服のタイに手をのばず。 「やめろ!」 「ヤンクミ!」 「卑怯だぞ!!!」 友人達の叫び声を無視してタイを引き抜いた。 男が高笑いをはじめた。 周りを取り巻く男達も嫌な笑い声をたてはじめている。 久美子はかまわずに制服の裾を持ち上げようと手をかけた。 その瞬間、久美子の目の前で男が突然ぐらりと傾いでそのまま前のめりに倒れ込んできた。 その前に一瞬視界に写ったものが信じられなくて久美子は固まる。 工場は半2階立てになっており、壁際の上部には人が一人歩けるくらいの桟が柵をつくってぐるりと囲んでいた。 そこから、飛び降りてきた男が、久美子に屈辱的な命令をしてきた男に落ちてくる反動をつかって殴りかかったのだ。 「な・・・んで・・・」 「アホか、喧嘩は頭をつかってしろ。なんでも正面から飛び込むんじゃねーよ」 冷静そうな声とは裏腹に額には汗が滲んでいた。 ここまで走って駆けつけてきたのだろう。 「さわだ・・・せんせい・・・・」 さっき久美子が図書室で沈めた筈の担任教師だった。 呼びかけには応えないまま沢田慎は倒れた男の腕を捻り上げるようにして後ろに組ませると自分のネクタイを外しそれで縛り上げた。 呆気にとられて見ていた黒十時のメンバーが雄たけびを上げて駆けてくるのをハッとした久美子が殴り飛ばす。 四方から向けられる殺気を拳で蹴散らしてゆく。 気が付くとすぐ横で男を縛り上げた沢田慎も男達をのしていっていた。 その堂の入った喧嘩っぷりに久美子は驚く。 一見・・・というか、どこからどう見ても優男の教師に喧嘩は酷く不似合いに見えた。 しかも、倒れた竜と隼人を敵にとられないように彼等を背に戦っている。 その動きは、思わず見惚れるような、綺麗な舞のようにも見えた。きっと長い手足がそう見せる要因だろう。 工場のあちこちでは友人達もまた拳を繰り出していたが、その中のどれとも違って見えた。 カッコイイ、と、正直、思ってしまう気持ちを誤魔化せない久美子だった。 ...to be continued......? |