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一学年上の生徒達が卒業していった。
担任の教師はその学年を教えてもいないのに卒業してゆく女生徒達に囲まれていた。
久美子はその姿をどこか遠い人を見るような眼差しで窓枠に肘をついて手に頬を載せながら眺めていた。
図書室は校門が見渡せる場所にあった。
「おーおー・・・モテちゃって・・・」
からかうように呟いた声が力ないように感じられる事には目を瞑る事にする。

こうやって遠くから見ていると、自分に毎日のように勉強を教えてくれる担任ではなく、別の人のように見せてくる。
それを少し寂しいと思っている自分がいるのは、もはや隠しようがない事実だ。

少女達とことごとく縁を切ってから沢田慎の教師としての態度がもの凄く変わったか、というとそんな事もない。
相変わらず生徒と一緒に煙草を吸い。あまり生徒にも教師にも関心がないような態度は崩さない。
それでも、自分にだけは特別に接してくれていると思う。
別に特別に優しくされている、という事もないのだが、それでも放課後残って勉強を教えてくれて、しかもたまに日曜日などは市の図書館で待ち合わせをして勉強を教えてくれることがある。
自分の予定が会わないときは妹のナツミさんが図書館に来てくれることもあった。

特別。

なのかな?と思うときもある。
それでもそれは教師としてなのだろうな、という事もわかっていた。
先生がチンピラに絡まれていた時に無理やりアパートに押しかけたとき以来先生の部屋に行った事はない。クロサキとクミが元気かどうか気になる自分がいる。
あまつさえもう一度顔がみたいとまで思ってしまっている。
あの時、黒猫のクロサキの名前を教えてくれたときの顔。
『しかえし』で教師になったといったときの顔。
付きまとうような影を背負っている表情は、あの日以来見ていない。
淡々と、時には笑いながら、時には微笑んで、自分の勉強をみてくれる。

ありがたい話だ。
それなのに、最近はずっと、こんな風に先生のことを考えてしまっている。
先生が何を考えているのか、知りたいと思ってしまう自分がいる。

この頃の自分はおかしい・・・。


囲まれていた少女の輪から抜け出し貼り付けたような笑顔で手を手を振って校舎に歩んでくる沢田先生が顔を上げて図書室の窓から見ている自分に視線を向けた。
その顔は、さっきまでとは違った、本当の笑みを浮かべている。
きっとそのまま真っ直ぐここにやってきて、また勉強をみてくれるだろう。
先生は「教師にしてやる」と言った。
だから、これから春を迎えて自分が3年生になってもし先生の受け持ちの生徒じゃなくなっても、この図書室で勉強を教えてくれるだろう。
いつまでも甘えてていいのかな、と思いながらも、こんな風に甘えることができる大人に家族以外で初めて会ったので、担任じゃなくなった沢田先生にどうやって接したら良いのか自分はわからない。
春からも、担任だったらいいな・・・と、希望を持つのが精一杯だ。

あんなに苦手で毛嫌いしていたのに、人間の気持ちは簡単に変わる。
あの日以来先生は自分に『好きだ』なんて言わない。
でも、自分は、たぶん、先生を・・・。

「待たせたな」
ぐるぐる考えていると図書室の扉の開く音と声が聞こえた。
まだまだ寒い時期が続くので扉は開放されているわけではない。
司書さんが常に居るような立派な図書室でもないので、扉を閉めてしまうと、もうここには二人しか居ない。
そんな今までに何度もあった事に今更ながらドキドキしている自分がいるなんて、沢田先生が知ったらどう思うだろうか。

最近の自分は、本当に、おかしい。




「ヤンクミ、沢田のこと、どー思ってんの?」

春になって進級し、以前とほぼ変わらないメンバーで3年Dクラスに持ち上がってしばらくたったある日、隼人に聞かれた。
なんでもないような声で聞かれたけれど、何故か真剣な眼差しをしていた。
沢田慎は、心配をよそに3年でも担任にきまり、内心焦っていた自分を、けれど、当の本人は笑った。
「猿渡のことだ、お前がDクラスになるのは大体想像がついてたし、俺のこともそれを押し付けるのにちょうどいいと思ってるに違いないんだ。間違いなくお前はまた一年俺の受け持ちだってわかってたさ。ま、一年よろしくな」
なんてなんでもない事のように言っていた。
人の気も知らないで・・・と八つ当たりにも似た感情を持ったことも、秘密だ。
だから突然友人に聞かれた事に、咄嗟に反応ができなかった。
「・・・え?」
友人は気まずそうに俯いた。
「なんか、最近仲良さそうだし・・・前は割りと嫌いっぽかったのになって」
言い訳のように響いた語尾。
けれど、自分にはそれに無邪気に返せる言葉がなかった。
「どうって・・・どうも思ってないよ」
それはウソだ。
わかっているけれど、だからといって、自分の中にある沢田慎に向かっている感情には、まだ名前なんてついていない。
名前をつけられない感情があることは、事実だ。
「勉強、教えてもらって助かってるし・・・3年も担任でよかったって、思ってる」
それは本当のことではあるけれど、本質を捉えてはいない。
友人が聞いてきているのも、また、別のことだろうと分かっていたけれど、はぐらかす言葉しか自分はもっていなかった。





放課後の図書室。
いつものように向かい合って勉強をしていると、遠く廊下から駆けてくる足音が聞こえた。
どれはどんどん近くなっていって、次にはバン、と、図書室の扉が開いた。
今までの勉強会では一度も顔を出したことのなかった武田が息をきらして立っていた。
「ヤンクミッ」
そのただならぬ様子にすぐさま久美子は立ち上がった。
「隼人と竜がつれてかれた!!」
「誰に!」
握っていたシャープペンシルは机の上に放られた。
久美子は慌てて扉へと駆け寄る。
「わかんない。なんか、チンピラみたいのに連れていかれたって、1年が教えてくれて・・・どうしよう」
「他の学校の生徒じゃなかったんだな」
そのまま図書室をタケと一緒に出ようとして手首を掴まれる。
ハッとして振り返ると眉間に皺を寄せている沢田慎だった。
「せんせい・・・」
その声に武田が沢田慎を見上げる。
「なんだよ、今更教師風ふかそうってのか!」
こんな時子供はいつだって教師に反発することしか考えていない。
もちろん慎が学生だったときもそうだ。
その当時は慎だって教師を鼻で笑っていた。
けれど、今はそうはいかない。
どんなに喧嘩が強いとわかっていても、実家が堅気でないと知っていても、山口久美子を一人でもめると分かっている場所に黙ってやれるわけがなかった。
それは、教師だからではない。
「駄目だ」
強く硬い声が出ていた。
その慎を瞬きも忘れたように久美子が見上げている。
けれど、一瞬後にはしゃがみこんだ。
慎が「え?」と思う間もなく。
「先生ごめん!!」
そう叫ぶと同時に腹部に強い圧迫を覚えた。
目の前が白くなってゆく、その耳に、駆けてゆく二人分の足音。

「お、まえ・・・だからって、教師、に・・・・」

かすれた声を出してその場に膝をつく。
手加減を加えられたのかどうか、意識はかろうじて失わずにすんだ。











...to be continued......?

2009.4.23
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