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それぞれの胸のうちに様々な思いを浮かべつつ、二人の勉強会は毎日続けられた。 あの不良教師が女子生徒に手をださなくなってどれくらいたつだろう。 そして、そんなある日。 「沢田!」 屋上で実に旨そうにタバコを吸い込んだ所で声がかけられた。 ゆっくり振り返ると、入り口に手をついて肩で息をしている矢吹がいた。 「なんだ矢吹、焦って」 のんびりとしたその声に、矢吹の片眉がピクリと上がる。 「ヤンクミが三年の女子に連れてかれたんだよっ!お前のせいだろっ!」 その言葉に慎の眉間に皺がよる。 「なんだよ、それ」 隼人はツカツカと慎の目の前までやってくると、メンチを切るようにして剣呑な目を慎に向けてくる。 「前々からアイツに三年の女たちが嫌がらせしてんのは知ってたんだよ。けど、アイツ女には手ぇ出すなっつって、お前にも言うなっていうから我慢してたんだ」 「嫌がらせ・・・?」 そういえば、以前に山口久美子が三年の女子生徒に俺と付き合っているのかと聞かれた、と言っていたことがあった。 「連れてかれたってどこにだ!っていうか、お前ら黙って行かせたのかっ」 責めるような担任の声に、隼人の両手がその襟首を掴みあげた。 「アイツがついてくんなっつったんだよ!・・・元はといえばお前が蒔いた種だろっ!なんとかしろよっ!」 慎は隼人の両手を振り払うと持っていたタバコを足元に捨て、足で踏み潰した。 「どっち連れてかれたっ!?」 「北校舎のほうっ!」 隼人の声がそう答える頃には沢田慎の姿は屋上の入り口から中へと消えていた。 「なんだよ、くそっ!」 隼人はやりきれないように右手を上げると何かを投げ捨てるように振り下げて、その場にしゃがみこんだ。 あんな真剣な担任の顔を、初めて見た。 「お前ら何やってるんだっ」 屋上から走って北校舎に向かった慎は、走り回ってようやく目的の人物を探し当てた。 校舎のはずれ、廊下の突き当たりに、数人の女子生徒の制服の中、一人だけ化粧っけもなにもない少女が囲まれるようにして立っていた。 慎は慌てて走り寄ると、取り囲んでいる少女達を掻き分けて壁際に追い詰められている少女の前に行き、怪我がないかどうか確認する。 その眉が寄せられた。 少女の細く白い手首に、強く掴まれたような赤い痕がある。 チッと小さく舌打ちすると、慎は久美子を背に庇うようにして女子生徒たちに向き合った。 見れば、すべて見知った顔。慎に声をかけてきて、慎がそれに気軽に応じた生徒ばかりだった。 一人一人の名前は思い出せない。少女達は今まで慎に見せた事もないような真剣で剣呑な表情を向けてきた。 「なんで、そんな女庇うのよ」 「沢田センセイッ」 「やっぱりその女と付き合ってるからアタシ達の事切ったんでしょ!」 「そんなお子様のどこがいいのっ」 「せんせいっ」 慎は息を呑む。 少女達の眼差しには、見覚えがあった。 昔、自分が、『ごめんね』そう言って背を向けた女に向けた眼差しと同じだったから・・・。 慎の胸の内を言いようのない後悔が渦巻く。 すべて、遊びだと思っていた。 手軽な。 少女たちからしてみても、自分は手軽な存在なんだと、勝手に思っていた。 誰一人、何人と関係を持とうと、文句のひとつも言わなかったから。 「先生が誰にも本気じゃないのは知ってた。でも、だから、アタシ達は諦めてその他大勢でも我慢してたのにっ」 「今更一人だけ特別だなんて許せないっ」 慎の視界がグラリと揺れる。 自分は今まで少女達の何を見てきたのだろう。 と、その時、背後にいる山口が慎の腕を掴んで一歩前に踏み出してきた。 「皆、勘違いです。沢田先生はアタシに勉強を教えて・・・」 「お前は黙ってろ」 慎はまた久美子を背に庇うように押し込めた。 少女達にしてみれば、その態度こそがすべてを物語っている。 憎しみのこもった眼差しが慎の背後にいる少女に向けられた。 そして慎は、そんな少女達に、まるでダメ押しのように、頭を下げた。深く。 「すまない」 その場がシン・・・と静まり返る。 「俺はもう、前のようにお前らの誘いには、のれない」 慎自身が今気がついた事。それを、少女達は、敏感に感じ取っていたのだ。 だから、こうして・・・・。 自分のせいで手首に赤い痕を残した山口を見て気がついた事。 こんなに細い手首をしているんだ、と思った。 傷つけたくない、と思った。 守りたい、と思った。 人のいない図書室で一人勉強をしている姿が思い浮かんだ。 勉強を教える自分に不審そうに向けられた眼差しも。 夜の街で踊るように男達を足もとに静めた綺麗な姿も。 猫を膝に、人のベットに勝手に乗り上げて遊んでいる姿も。 小田切も、矢吹も、そしてテツさんの気持ちにも気がつかない鈍感な態度も。 山口の家に行った帰り道の、慎の態度に少し戸惑ったように見せた姿も。 歩き出した慎の背に手を振ってきた姿も。 今まで見てきた色々な山口の姿が思い出された。 それが、何を意味しているか、なんて、他には、思いつかなかった。 パンッと、乾いた音が廊下に響いた。 久美子は目を見張る。 担任の前に立った少女が先ほど振りかぶった震える右手を左手で支えていた。 仰ぎ見た担任の頬が赤くなっている。 「殴って気がすむならいくらでも殴れ。」 静かで、そして、力強い声で担任はそう言った。 その場にいた少女達も、そして、久美子も、なんてズルイ男だろうと、思った。 もう、この男は自分で決めてしまった事実を曲げようとしないのだ。 どんなにこの少女達が泣いてすがろうと、怒ろうとも、この男は、もう、相手をしない。 決して。 先ほど頬を叩いた少女の手がもう一度上がり、また、廊下にパン、と乾いた音が響いた。少女はそのまま背を向けて走り去ってゆく。 沢田慎は微動だにしなかった。頬を叩かれても、少しも動かなかった。 他の少女の手が上がる。他の少女の手も。泣いている少女もいた。 けれど、沢田慎はそれを黙って受け止めた。 そして、黙って切り捨ててゆくのだ。 何度、乾いた音が廊下に響いただろう。しばらくして、その場は静かになり、久美子をひっぱってきた少女達は一人もいなくなっていた。 「・・・悪かったな、山口」 未だ久美子に背を向けたままの男が静かにそう謝る言葉を口にした。 久美子はそんな担任の背を見上げた。 「先生はズルイね」 自然とそんな言葉が口をついて出た。 「・・・そうだな」 くすり、と、久美子は小さく笑った。 「日頃の行いが悪いんだよ。」 今までこんな風に揉め事が起こらなかったほうがおかしいのだ。 きっと少女達も、あやふやで漠然とした関係を壊したくなかったのだろう。 誘ったら断わらない。つまり、決定的な別れは、なかったのだから。 「ああ、そうだな」 慎も小さく笑った。 久美子は水道水で濡らしてきたハンカチを赤くなった担任の頬にあてがった。 非力な少女達の平手打ちとはいえ、こう回数が重なれば流石に腫れてしまう。 慎は小さな手からハンカチを受け取って、それからそれを差し出していた腕をそっと掴んだ。まるで壊れ物でも扱うように。 「お前の腕は大丈夫か?」 「え?」 「手首、赤くなってただろ」 それを確認するように動く担任の指先がくすぐったくて久美子は手をひっこめる。 「大丈夫だよ。こんなの慣れてる」 「慣れるなよ」 久美子は笑った。 なんとなく、二人の距離がいつもより近いような気がした。 「・・・そういえば、前にも聞いた質問。先生は、なんで、教師になったの?」 今なら聞ける気がした。 ...to be continued......? |