08
「うわ、酒くさっ」 慎の手をとり、力任せに立ち上がらせた女は、肩を貸しながらそんな事を言った。 「何やってんだよ、せんせー」 呆れたような口調がどんどん慎に冷静さを取り戻させてゆく。 先ほどまでの泥酔状態が嘘のように頭の中がクリアになってきた。 「お前こそ、こんな時間になにやってんだ」 肩を借りながら言うセリフではもちろんなかったが、とりあえず疑問は口にしてみる。 「何言ってんの、そういう真面目な教師っぽいのキャラじゃないじゃん」 たしかにそうかもしれない。 頭を殴られたから、おかしくなったのかもしれない、なんて事まで考える。やはり酔っているからだろうか。 「先生、家、どの辺?」 「・・・は?」 「一人で歩けないんでしょ?!ほら、送ってくから!さっさと言う!」 これではどちらが大人だ、とも思ったが、実際頭に受けた衝撃でクラクラするのと、酒によって足元が頼りない。 しかたなしに、慎は口を開いた。 「そこの路地を出たら、右に・・・・・・」 送って終わりかと思っていた山口久美子は慎に何も言わずにずかずかと上がりこんできた。 「先生っ救急箱、ない?」 「・・・ねーけど」 「っ!つっかえない。消毒液とかもないわけ?」 「ああ、それなら・・・」 指差した先のチェストの引き出しを開けると、山口は求めるものを見つけたのだろう、すぐに慎の傍らに戻ってきた。 そうして慎をキッチンにひっぱってゆくと頭を流しに下げる様に手で押してきた。 「おいっ?」 「ビール瓶!破片が残ってたら大変だろっ!」 そのままそっと慎の頭部を梳いてガラス片が残っていないか確認する。 「目立ったのはないけど、細かいのが入り込んでるかも」 そのまま水道の蛇口をひねって水を出すと、これまた丁寧な仕草で慎の頭を水で流し始めた。 「つめてー」 「贅沢言わないっ」 だが、その冷たさのおかげで随分しゃっきりしてくる。 だんだん自分の教え子が自分の部屋にいる事に居心地の悪さを感じてきた。 「たいした事ないから、お前もう帰れ」 「それはアタシが決めるから!先生は黙ってて。・・・殴られた所、染みない?」 殊更に丁寧に水をかけた所は確かに慎が瓶で殴られた所で、もしかしたら赤くなっているのかもしれない。 「・・・これで、硝子は大丈夫だと思う。先生、そのままで待ってて。タオルは?」 水浸しの頭を流しの上に配置したまま指先でバスルームを指差すと山口は足早にそちらへ行って、手にタオルを持って戻ってきた。 そのタオルでゆっくりと慎の頭を拭きだした。 「おい、いいから。自分で拭ける」 さすがにいたたまれなくてそう言うのだが、山口は拭く手を止めなかった。 「先生座って」 大人しく座った慎の上に屈みこんで頭部に消毒薬をかける。 「っつ」 「あ、染みる?」 「大丈夫だ」 「外見はまあいいとして、明日は病院に行ったほうがいいよ。なんたって頭だし。油断できないから。・・・あ、夜に吐き気とかしたら救急車呼ぶんだよ」 「・・・・わかった」 年下の少女相手に自分が子供になったような気がして面映い。 山口は慎が頷いたのを見てから離れていった。 消毒薬を元のチェストに戻している。 「・・・にゃー」 今までバタバタした雰囲気に怯えていたのか、二匹の猫は慎のベットの上の端っこでコチラの様子を伺いながら、そろそろいいかな?とばかりに自己主張してきた。 真っ先に反応したのは山口だった。 「わ!あの時の子?あ、もう一匹いるっ!」 慎の了解も得ずにベットに乗り上げると猫二匹ににじり寄った。 慎は小さくため息をつく。 「ブフォー」 相も変わらずな親父の鼻息のような鳴き声を上げた黒猫に笑いながらそれへも手を伸ばして喉を撫でている。 機嫌よさそうな二匹の猫のゴロゴロいう声を聞きながら慎はゆっくり立ち上がるとキッチンで湯を沸かした。 「ね?先生、名前は?」 「・・・ねぇよ」 「うそ!あ、わかった。昔の彼女の名前とかなんだ」 先ほどまでの態度とは打って変わって今はどこにでもいる少女の顔に戻って聞いてくる山口に慎はため息をついた。 あの路地裏で見たすばやい動きで男達をのしていったのは幻だったような気がしてくる。 流れるような動きはまるで優美な舞いのようですらあった・・・。忘れられない事実ではある。 「ちげーよ。・・・猫1号と猫4号だ」 「2号と3号は?」 「死んだ。寿命だ」 「そっか・・・。あ!じゃあアタシが名前つけてやるよっ」 慎は休日に見た3匹の犬の名前を思い出して眉間に皺を寄せる。 「いらねーよ」 「重いねぇ」 慎の言葉など聞いていないかのようにずんぐりした黒猫を膝の上に抱え上げた山口は猫に話しかけている。 「猫1号なんてやだよなー。そうだな、じゃあお前は真っ黒だから、クロ!」 慎は沸いた湯をインスタントのコーヒーが入ったカップに注ぎいれながら肩をビクリと振るわせた。 「ぶふぉー」 猫はそんな慎に気がつくはずもなく調子良く返事をした。 「あれ?返事してる?クロ?」 「ぶふぉあ〜」 「あははは。やっぱり返事してる。じゃあお前はクロだな!」 「ヤメロ」 慎の声が思いのほか低く硬質なものを含んでいて、他人の気配に敏感なのだろう、山口久美子はコチラに静かな目を向けた。 「先生?」 「・・・・そいつの、そいつの名前はクロサキ、だ。・・・決まってる」 苦虫を噛み潰したような顔で早口で告げた慎に、けれど山口は余計な事は言わなかった。 クロサキと名づけたのは、俺ではなかった。 ”あの女”だ。 教え子だった黒崎が退学になったあと、拾った猫に、その名をつけた。 この部屋で。 すこし悲しそうな顔で。 「ごめんね。クロサキ」 そう呼びかけていた。 「そうか、君はクロサキ君ね。よろしく。先生!じゃあこの子猫は?」 ふいに上がった山口の声に、過去に引きずられそうになっていた思考がもどってくる。 「・・・猫4号」 「この子はそのまんまなんだ。ねぇ、アタシ、名前つけちゃダメ?」 慎はどうでもいい気分になって「勝手にしろ」と言った。 ”とんちんかん”よりはましな名前になるだろうか 山口は膝にクロサキを乗せたまま両手で子猫を持ち上げると下から覗き込むようにしながら考え込んでいる。 「そうだな。お前とアタシは縁があるよな。また会えたしな。・・・よし!決定!クミだ!」 「はぁ?」 慎の声が裏返る 「アタシの名前から二文字あげよう。光栄に思うんだぞ。気に入ったか?クミちゃん」 「にゃ〜」 「ほら、気に入ったって」 そう言いながら山口は慎に向き直ってニヤリと笑った。 「ぜってぇ呼ばねえよ。お前もこれ飲んでさっさと帰れ」 慎はローテーブルの上にコーヒーカップを置くと自分もカップに口をつけた。 「はーーーい」 山口はようやくベットから降りるとテーブル前に座ってカップを両手に持った。 クロサキとクミはその久美子の後をついて歩いて、二匹ともその膝にちょこんと頭を乗せた。 どうやら気に入ったらしい。 山口はそんな猫の頭を撫でながらゆっくりコーヒーを啜った。猫舌なのかもしれない。 「じゃあ先生。明日ちゃんと病院行くんだよ!あ、土曜ってやってたっけ病院」 玄関先でまごついている山口にいいから帰れと手をシッシッと振りながら促す 山口はそんな慎に笑って、そうして最後にしゃがみこんで慎の足元で”お見送り”をしているクロサキとクミの頭を撫でた。 「じゃあ行くね」 勢い良く立ち上がると、山口は扉を閉めた。 「あ・・・さすがにこの時間に一人で帰すのはまずかったのか?」 扉が閉まってから、慎はその事に気がついた。 が 「ま。あれだけ強けりゃ平気だろ」 そう結論づけてテーブルに戻る。 山口が飲んだコーヒーのカップを持ち上げて、ふと止まる。 学校で缶を捨てた時と同じだ。 慎の手の中には口紅の跡のないカップ。 そんな女をこの部屋に入れたことはなかった。 というか、女自体、この部屋に入れる事が少ない。 こんな事は初めてだった。 「ま、アイツは女じゃなくてガキだしな」 一人ごちる。 「にゃー」 キッチンに立つ慎の足に子猫がまとわりついてくる。 「・・・・・クミ」 「にゃ〜〜〜〜ん」 猫はどこか嬉しそうに聞こえる声で返事を返した。 ...to be continued......? |