06




代議士の息子だというだけでどんなに素行が悪かろうが不良扱いされなかった自分。
家が極道だというだけでどんなに真面目でも高校すらまともに受験できない山口。

慎は手にしていたボールペンを中央で掴んで振り子のように動かしながらボンヤリとしていた。
随分後方から校長の険悪なムードが漂ってくるが、そんな事は知った事ではない。
先ほど聞いた山口の事を考えていた。
いや、山口という生徒を介して自分の事を考えていた、と言ってもいい。

慎自身はなんの努力もせずに高校に入り、大学に入り、一応でとった教員免許で、しかも卒業後採用試験に受かり、とんとんとん、と特になりたかったわけでもない教職についている。
だが、自分の教え子は、その教職を目指しながら、何個もの高いハードルを越えなければならない。
元来、人間の人生は不公平にできている。
それにしたって、自分と山口のまったくの正反対さといったらどうだろう。
別に慎は自分のほうが優位に立っている、と思っているわけではない。なんといったって、別に教師になりたかったわけではないのだから。

なんで山口は教師になんかなりたいのだろう。

自分で言うのもなんだが、学生時代から数えて数年。まともな教師には、一人もめぐり合ってこなかった。
そう、”ひとりも”・・・。
慎は小さくため息をついた。
自分でさえこうなのだ、山口だったらもっと教師にろくでもない扱いを受けているだろうに
なのになんで教師になりたいのかまったく理解できなかった。
ーーーー理解。
そこまで考えて、慎は自分が山口久美子の事を理解しようとしていた事に気がつく。
理解してどうするというのだ。
長くて2年。短くて今年のみの担任教師がなにを知ったところで山口にも、自分にも利益などないだろう。
ただ、教師になりたいというその一点において、山口に、不思議なほど強い興味を持ってしまっている自分に気がつく。
それは、何故自分がなりたくもなかった教師になったのか、にも起因している疑問だった。
自分は・・・・。

手にしていたペンを机の上に置く。
皮肉なものだ。
自分のあてがわれたこの、席。
職員室に来るたび視線で追っていた人物の席。
あの人がこの学校を去ってから、いったい何人がこの席に座ったのかはわからないが
まさか自分がこの席に座ることになるとは思わなかった。
本当に、皮肉なものだ・・・。
自嘲ぎみに唇だけで笑った慎は立ち上がった。
もう放課後だ、別に用もないし帰ってもいいが、寄りたい所があった。
きっと、アイツはまた効率の悪い勉強方法でもしているだろう。
ただ、なんとなく
顔が見たくなった。






「よ」
図書室の扉は開け放たれていて、そのまま踏み込んだ慎は予想通り一人で勉強している山口久美子の所へ歩いていった。
それにチラリと視線をよこした山口はそのまま黙ってまた問題集に視線を落としている。
基本的に誰に対してもフレンドリーなほうだと思われる山口だが、この放課後の勉強をしている時間だけは邪魔されたくないらしく、いつ見ても不機嫌だ。
だが慎はそれにも構わず問題集の広げられた席までくると、久美子の前の席に座る。
そして、来る途中食堂の自販機で買ってきた缶コーヒーをひとつ、久美子の前に置いた。
自分の分は手の中で、すでにプルタブを空けて口をつけている。
「・・・図書室って飲食禁止って知ってます?」
小さくため息をついて目の前の缶に手を伸ばした山口は、言いながらも自分もプルタブを空けて缶に口をつけた。
慎はニヤリと口元だけで笑う。もちろん久美子が言うことは知っている。だが、図書室を逢引の場所に選んでいるような不良教師がたかだか飲食くらい気にするはずもない。
久美子もそれに気がついたのか、どうでも良さそうに話しかけてきた。
勉強がひと段落ついたのか、それとも行き詰まったのか、だろう。
「待ち合わせ、ですか?」
誰と、とは聞かない。どうせ聞いたところで覚えていないし、覚える必要もない。
まあ何人かは顔くらいは知っているが。
この不良教師の手をだすタイプは顔立ち、という意味ではなく、皆同じような女ばかりだ。
化粧が派手で、恋愛を遊び程度にしか考えていないタイプ。かつ、尻が軽い、という所だろうか。
ああ、あと、自分の受け持ちではない生徒。
「いや、今日は誰からもお誘いがなかったからな」
慎もしれっとしたもので簡単に答えてコーヒーを一口飲んだ。
「暇なら自分から誘いに行けばいいじゃないですか」
どうやら自分とこうして話しているのは暇つぶしだろうと踏んだらしく、面倒そうに山口は問いかける。
だが慎は不思議そうな顔をした。
「は?なんで?俺は自分から誘ったことなんか一度もねえよ?」
それはそれでムカつく話なのだろうが、久美子はそんな事よりも不思議そうに目を見開いた表情の、思いのほかの子供っぽさに目を奪われた。
考えて見れば、大卒ですぐ教師になったのだ。自分と5,6歳しか違わないのである。
久美子は何故か目の前の教師の考え方に興味をひかれた。
先ほどの子供っぽい態度が、なんとなく、気になったからかもしれない。
「じゃあ断ったことってあるんですか?」
「あー・・・基本的にはねぇな。けど、面倒そうなタイプとか真面目そうなのにはさすがに、な」
なにが「な」なのか、やはり久美子は少し呆れた。
「で?その引く手あまたの先生が、アタシになんか用ですか?」
手にしていた缶を机に置いて、山口は放り出していたシャープペンシルに手を伸ばした。
そろそろ勉強する気になったのだろう。

「んー・・・なんつか、気になったから」
「・・・は?」

思わず顔を上げて見詰め合ってしまって、久美子は嫌そうに眉をひそめた。
「アタシ何かしましたっけ」
「・・・ああ!したな」
ふいに今思い出した、というように慎は頓狂な声を上げた。
「・・・なんだ・・・猿渡がよ」
自分の上司、仮にも校長を呼び捨てである。
「お前が昨日喧嘩した相手の親が訴えるとかっつって学校に電話かけてきたって息巻いてたぞ」
久美子は呆れたようにため息をついた。
別に電話をかけてきた愚息をもつ親のことではない。”息巻いてたぞ”って・・・注意するでもなく、あくまで第三者視線、他人事、な自分の担任の話し方に呆れたのである。
「先生ってさ・・・なんで先生やってんの?」
今更ながら、ちょっと聞いてみたくなって、久美子はまたシャープペンシルを机の上に置いて缶コーヒーに手を伸ばすと最後まで飲みきった。
沢田先生はなんだか少し変な顔をした。そして
「・・・だったら、なんでお前は教師になりたいんだ」
聞かれてみて初めて、久美子はこの教師がそれを聞きたくてこの図書館にやってきたのだと核心した。
なんでか、核心、したのだ。
いつもより、真面目そうに見えるのも、缶コーヒーまで買って来たのも。
なんでそんな事が知りたいんだろう。
「・・・別に、先生には関係ないし」
久美子はプイっとそっぽを向いた。
どうせ話したってしかたがない。今まで久美子のこの話を聞いて笑わなかったのは自分の祖父くらいである。
「まぁ、関係はたしかに、まったく、ちっとも、全然ないけどよ」
「・・・何もそこまで否定しなくても。・・・一応担任じゃないですか」
これにも沢田慎は「ああ、そうか!」と今気がついたように頷いた。
久美子は眉間を揉み解すようにしながらまたため息をついた。
本当に、よくわからない男である。
なんだかどうでもよくなって、久美子はどうせ笑われるだろうな、と覚悟しながら口を開いた。
「隼人とか、竜とか・・・・あと、アタシの家のやつらとか、結構学校に行けない思いしたヤツが多くって・・・・あの二人も去年退学しそうになってるし・・・・そういうの、わかってやれる教師が一人くらいいてもいいんじゃないかと思っただけだ」
「・・・・・・・・・」
「な、なんだよ、笑いたければ笑えばいいだろ」
ちょっと頬を赤く染めて慎を睨みつけた久美子は、けれど全然笑っていない担任の顔に逆に驚いた。
そして
「だったらお前、その問6の問題間違ってるようじゃ、大学なんて夢のまた夢だぞ」
そう言って担任はひょいと指を伸ばすと久美子の目の前の問題集を指差したのだ。
「え。うそ。間違ってる?」
「間違ってる」
慌てて問題集の答えの欄を見ようとする久美子を制し、慎はころがっているシャープペンシルを取り上げると、問題集の上にわかりやすく解く方法をサラサラと書いた。
なるほど。と久美子が唸ってしまうほど、担任の書いた解き方はわかりやすい。
「あ、ありがと」
礼を言った久美子に、クスリと担任は笑った。
「今日は棒読みじゃねぇんだな」
まだ笑っている担任を久美子は不思議そうな目で見上げた。自分が知る限り、というか、この教師がこの学校にやってきて以来、こんな風に笑うのを始めてみた。
(なんだ、普通の笑い方もできんじゃねぇか)

「そういやよ」
ふと、その笑みがひっこんで、沢田先生は思い出した、とでもいうようにまた問いかけた。
「お前んち、極道なんだって?さっき聞いたんだけど、”家のやつら”ってそういう事?」
本当になんでもない事の様に聞かれたので、久美子は素直に「うん」と頷いた。
そして頷いてからはた、と気がつく。
「え?なに?先生今まで知らなかったの?」
「あ?ああ。さっき藤山から聞いた」
「静香ちゃんから?」
「なんだ。藤山、相変わらず生徒に"静香ちゃん”呼ばわりされてるのかよ」
いい年して、と笑った慎に、久美子が訝しげに聞いてくる
「相変わらずって・・・なんで知ってんの?」
「なんでって。俺ここの卒業生だし」
前にこいつのお仲間に話したからコイツも知ってるもんだと思っていた慎は意外そうにそう言ったが
久美子はやはり初めて聞いたようで目が落ちるくらい見開いて驚いている。
「ウチの卒業生?だって先生、大学出てるんでしょ」
「出てなけりゃ教員免許とれねえよ」
「・・・・・ふ、ふーん・・・そうだよね」
言いながら久美子は満面の笑顔になった。
その顔も、慎にとっては初めて見る顔だったので思わず見入ってしまった。
けれど
「あ、けど、今のお前のレベルじゃ、受かるの難しいぞ」
しっかり釘をさしておく。
「えーーーー。せっかくウチからでも大学にいけるんだっていう希望がみえたのに」
久美子の口調が少し砕けたものにかわっていた。少しだけ、二人の距離が近づいたように感じたからかもしれない。
「もっと机に噛り付いてでも勉強しろよ。」
「お。初めて教師らしいこと言ってる」
「教師だからな」
「うん。教師だもんね」
二人同時に噴出した。

「ま、たま〜に暇なときでも勉強みてやるよ」
「ほんと!?」
あからさまに喜ぶ久美子の顔に、慎は”ちょっと早まったかなぁ”と思った。けれど、”ま、いいか”で結論づける。
たまにはこんな事もいいだろう。暇つぶしにはいいかもしれない。
「暇なときにな」
それでも、と釘はさしておいた。




それから1,2問本当に勉強を教えてくれてから、沢田先生は図書室を後にした。
久美子の飲み終わった缶も一緒に持っていってくれる。

「なーんか、ちょっとはいい奴じゃんか」
久美子は一人ごちる。

久美子に面と向かって家の事を聞いてきたのも、その上で態度が変わらないのも、今つるんでいる5人以外では初めてだ。
しかも、時々勉強を見てくれる気があるらしい。

久美子はシャープペンシルを片手に小首を傾げた。
「へーんな先生」
そういえば、久美子が聞いた『先生ってさ・・・なんで先生やってんの?』という質問には答えてもらっていなかった。
まさか女子高生に手を出すためでもあるまい。
本人が言うように、誘わなくても相手には困らないくらいに女には飢えていないみたいだし。

「変なの」
クスクスと笑う。

担任に対するイメージがどんどんかわってゆく。


それは、不思議な感覚を久美子に植え付けた。





...to be continued......?

2007.9.14
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