05
「だから、言ってるだろ。そんな強い相手じゃなかったし、今だってこうしてピンピンしてんだから」 「そういう事を言ってるんじゃないだろ」 「隼人の言うとおりだ。なんでお前はいっつも勝手に一人で片をつけようとするんだよ」 食後の一服、と、いつもの喫煙所(生徒が勝手に命名)にやってきて、最初の一口の美味い煙を唇から吐き出した慎は、背後から聞こえてきた争う声に振り返った。 三人の声ともよく聞くものだったので振り返らずとも誰かはわかったが、だからこそ、その三人が揉めているという状況の珍しさにほんの少し好奇心を刺激されてしまったのだ。 振り返った先にはちょうど外へ出てくる山口と小田切と矢吹、それに一歩遅れるようにして話には加わっていない武田の姿があった。 慎はまだまだ長いタバコから煙を肺まで吸い込んでやはりゆっくりとそれを吐き出した。 珍しいからと言って、間に割ってはいるほど酔狂ではない。 だが、どうやら相手は違ったようだ。 そこに慎の姿を認めた山口久美子が現在の話を打ち切るためだけに慎に声をかけてきた。 「あ、沢田先生っ」 その一言で他の三人も慎の存在に気がつく。 矢吹などは軽く舌打ちまでしてみせた。それはこっちがしたいくらいだ。 二人の男は山口の思惑にのって、黙り込んだ。 山口は特に用もないだろうにわざわざ慎の横まで寄ってきた。 「まぁたタバコ吸ってんですか?」 「おお」お前には関係ないだろ、とばかりに顔も見ずに煙を吸い込む。 「あ。今朝もナツミさんに会いましたよ」 ゲホゴホと慎は吸い込んだばかりの煙に咽た。 その慎の反応に驚いたのか武田が話しに混ざってくる。 「なになに?ナツミさんって誰?センセーのカノジョ?」 「・・・・・・」 慎が無言で否定するのに山口は笑った。 「違う違う。先生の妹さん。すっごいキレイな人なんだよ」 「え。マジ?紹介してセンセー」 「誰が紹介するか」 やっと咳がやんだ慎はジロリと山口を睨みつけてから武田に返事をした。 「アタシも最初はカノジョかと思って、なんて男運の悪い・・・って可哀想になったんだけど、妹さんだったよ。本当によかった。ね、先生」 「それを俺に同意を求めるわけか」 嫌そうに眉間に皺を寄せた慎を武田と二人で笑って見ている。 その間終始無言で小田切と矢吹はそっぽを向いている。 山口がいるためにタバコも吸えず、所在なさ気だ。 「ナツミさん。お兄さんが学校でこんなんだって知ったら悲しむよねぇ」 「あはははは。知らないんだ」 「うん。お兄さんは学校でどう?って聞かれて止まっちゃたよアタシ」 「まさか、そこら中の女子高生誰彼かまわず食っちゃってるなんて知らないほうがいいよなー」 散々な言いようである。だが、慎にだってそれなりに主張はある。 「俺は別に誰彼かまわずってワケじゃねぇよ」 "食っちゃってる”所は否定しない所がどうしようもない。 「なに?センセーにも好みとかあんの?」 「好みだ?んなもんねぇよ。女は女だ」 「うっわ。サイテー」 山口が自分で話題をふっておきながら嫌そうに慎から身を引いた。 その態度には少しながらカチンとくるものがあって「お前は対象外だ。安心しろ」と付け加えた。 山口もそれにはカチンときたのだろう「アタシだって女だっての」と抗議してくる。 「お前は女じゃねえよ。お子ちゃまだ、ガキ。・・・それに、俺でも一応自分の受けもちの生徒には手を出してねぇ」 「へー・・・センセーなりのモラルってやつ?」 武田はあいかわらずケラケラ笑いながら慎と久美子のやり取りを見て茶々を入れてくる。 「モラルっつうより、面倒くせぇからな」 「やっぱサイアクだよ。あんた」 「どーでもいいけどな」 久美子はベーと舌を出して憎まれ口をたたいたのに、当の本人は何処吹く風、である。 やはりこういう所は掴みどころのない男だな、と、久美子も武田も思った。 コッチの話に乗ってきて少し感情を覗かせたかと思えば、返す手でまったくの無表情になってしまう。 今まで色々な教師・・・いや、教師という枠でくくらなくても、大人として見て。こんなにわけのわからない人物は初めてだった。 慎にしてみればたかだか十何年しか生きてないこわっぱに自分の事なんぞ分かられてたまるか、という所だが、表面同様、静かに凪いだ気持ちで”教え子”を見た。 結局は慎にしてみれば話しかけてくるから話し返す。 女だって、誘ってくるからそれにのる。 人間関係なんてそんな基準でしかない。 なにも好き好んで自分から相手に関わろうなどとは思わなかった。 きっと、そういう所が久美子には理解できないのであろう。 慎は吸い終わったタバコを携帯灰皿に押し込むと軽く伸びをして踵をかえす。 「ほら、お邪魔虫は消えるてやるから勝手に話の続きでもなんでもしろ」 そっぽを向いたままの矢吹と小田切に声をかけるとそのまま入り口に歩いてゆく。 「そんなぁ。先生のけちー」 という山口の声が聞こえたが、自分をダシに使おうなど10年早いわ、と思いながらヒラヒラと後手に右手を振った。 あとは勝手に揉めるなり仲直りなりしろ、という所だ。 生徒の事は生徒同士で。 慎なりの教師のポリシーであった。 一応、あるのである。 三人が揉めていた理由を知る羽目になったのは、その翌日の事だった。 「沢田先生」 いかにも話しかけるのも嫌そうに眉間に皺を寄せた猿渡校長が話しかけてきた。 「ちょっといいですか」 「どうぞ」 どっちの立場が上なんだか、慎は自分の席に腰をかけたまま椅子だけ回転させてそこで鷹揚に頷いた。 話があるならココでしろ、という慎の態度にますます猿渡の眉間には皺が寄った。 だが、話は他にあるらしく、そこは注意しないままイライラといったカンジで話し始めた。 「先生の受け持ちの山口久美子ですが。昨日青玉の生徒と揉めたようでして」 「揉めた?」 「はっきり言えば喧嘩です。今時決闘だかなんだか知りませんが、相手の呼び出しに応じて喧嘩をしたらしいんですが」 そんな事は昔の自分たちにもあったなぁ、と感慨深く思いながら聞いていると、猿渡はやはり自分が学生だったときに聞いたような事をクドクドと言い出した。 「相手の生徒の中に議員の息子がいたようで、怪我の責任をとれ、とウチに電話がかかってきて困ってるんですよ。なんとかしてください」 「はあ、議員の息子ですか」 慎自身、代議士の息子である。昔はそれをよくあてこすられたものだったが、喧嘩の尻拭いを親にさせたような事はなかった。 「けど、子供同士の喧嘩ですよね。子供同士で話し合えばいいんじゃないですか」 「っ!・・・そ、そうもいかないから困ってるんじゃないですか。相手は訴えるとまで言ってきてるんですよっ」 「・・・・アホらし。」 「あ、あほう?!な、なななな、なんて事をっ!」 「訴えるんなら勝手にその生徒を訴えればいいじゃないですか。学校は関係ないでしょう。そういう対応くらい校長が自分でしてください」 もう自分は関係ないとばかりに椅子を回転させて机に向かった慎に頭から湯気を出しそうな勢いでぷるぷる震えている猿渡が怒鳴った。 「相手の親だって山口久美子を訴えられないから学校に電話してきてるんですよ!アナタも担任ならなんとかしてください!」 言うだけ言うとグルンと方向を変えて自分の席に戻っていった。 「相変わらずヒステリーだな」 「そうさせてるのは沢田君でしょ?」 からからと椅子を近寄せてきた藤山静香が小さな声で話しかけてきた。 この教師は自分がここの生徒だった時からここにおり、男子校だった学院中のマドンナだった教師だ。 あれから4年たった今も外見上はあまりかわらず、慎と同じ年くらいに見える。 学生時代はそれなりに友人がお目こぼししてもらった過去があるので、未だに強くでられない。 「沢田君のところの山口さん。悪い子じゃないんだけど、校長はかかわりあいになりたくないのよ。」 「はぁ・・・。けど、なんで山口の家は訴えられないんですかね?」 飲みかけていたコーヒーを手にとり、すすりながら聞くと、静香は一瞬目を丸くした。 「え?自分の教え子なのに知らないの?」 「だから何をです?」 静香はますます声を低くするようにして身を寄せてきた。こうしてみれば美男美女で結構絵になる。 「山口さんのおじいさん、有名な極道一家の親分なのよ」 「・・・は?」 「猿渡先生が校長になったのが去年で、その前の校長は、ほら沢田君も知ってる」 「ああ、あの人の良さそうな、騙されやすそうな」 「そうそう。だから山口さんの入学を許可したんだけど、当時の猿渡”教頭”は随分反対したって話よ」 「極道だから、ですか?」 「そ。本当は彼女、もっと上の学校狙えたのに、どこの学校でも入れてくれなくて、やっとウチに入れたのよ」 慎はあまりのあほらしさに頭を抱えた。 世の学校はそんなに門扉が狭いのか。 「ま、今回もだけど、中学時代からよく喧嘩してて素行に問題が・・・ってのも他の学校が入学させなかった理由になるでしょうかどね」 「山口が、喧嘩、ですか?」 慎の脳裏にきちんとまじめに制服を身に付けた、お下げ髪の少女の顔が浮かぶ。 あんなちっこい、細い身体でどうやったら素行が悪くなるくらい喧嘩できるのだ。 と、そこで昨日の矢吹と小田切と会話していた山口の言葉を思いだした。 『だから、言ってるだろ。そんな強い相手じゃなかったし、今だってこうしてピンピンしてんだから』 黙ってしまった慎に何を思ったのか、静香は小さくため息をつきながら頬に手を添えた。 「喧嘩っていったって、どうせ相手からふっかけられて、しかも一対何人っていうのがほとんどなのよ。それで親を使って文句言ってくること自体間違ってるわよね。アタシは彼女のこと嫌いじゃないけどなぁ」 そういえば自分が生徒だった時も「嫌いじゃない」という理由だけでDクラスに過剰反応しなかった藤山教諭である。山口についても思うところがあるのだろう。 しかし。 「一対何人?」 慎にしてみればそっちのほうが驚きだ。 「ええ。なんか昨日の喧嘩は相手は10人くらいいたみたいよ。ホント最近の子って女の子相手に男らしくないったら!情けないわよねっ」 猿渡とは違う理由で怒りながら情報提供者の藤山静香は自分の席に戻っていった。 放課後、図書室で勉強している山口久美子が慎の脳裏に浮かぶ。 アイツはたしか教師になる為に大学に行きたいといっていた。 何をそんな好き好んで苦労してまで教師になりたいのか。 普通に高校に入学する事すらできないのだから、教員免許なんかとった所でどこも雇ってくれないだろう。 しかもあんな勉強の仕方では大学入学だって危うい。 自分がこの学校でDクラスだった時も色んな問題を抱えた生徒はいたが 山口の立場はそれ以上に面倒なものだった。 その山口の教師が、こんないい加減な自分だ。 なんだか慎はおかしくなってきて、喉の奥で小さく笑った。 世の中には色んなヤツがいるもんだ。 ...to be continued......? |