04




『ごめんね』

謝って欲しかったわけじゃなかった。
どうしてなのか理由が知りたかった。

自分の何がいけないのか知りたかった。

早く大人になりたかった。

一分一秒でも早く。

そうすれば、繋ぎとめられると、信じていた・・・。







「にゃー」

顔の上をざりざりと舐める猫の舌の感触で慎は目が覚めた。
「・・・・っ」
もともと寝起きの良いほうではない慎である。
平日のまじめな教師生活(?)で、ただでさえ朝早く起きているのだ。
休みの日くらいはゆっくり寝かせてほしい。
しかも。今日の起きる寸前まで見ていた夢が、また、サイアクだった。

「んにゃーん」
「ぶふ〜」
可愛らしい泣き声に重なってオヤジの鼻息のような声も聞こえる。
慎は仕方なしに目を開けた。
超どアップに白に茶色のブチのある子猫がいる。
「あーはいはい。飯ね飯」
動物を飼っていると自然と独り言が多くなる。
子猫の首をひょいと持ち上げて身体を起こすと、ベットの下に真っ黒な塊が陣取っていた。
これが先ほどのおやじくさい鼻息の正体だ。いや、正確には鼻息ではなくれっきとした猫の鳴き声である。
その黒い物体も慎が起きたのに合わせてもう一度声をあげる
「ぶぶぁ〜」
どうやったらこんな声が出るのか不思議でならない黒くてずんぐりした猫の頭の上を軽く撫でて、ベットから立ち上がる。
途端に子猫がニャニャアとかしましく鳴きだした。
「はいはいはい。ちょっと待ってろ」
子猫も黒猫の横に下ろして小さなキッチンへとTシャツを捲り上げた背中をぼりぼりと掻きながら歩く。
冷蔵庫から牛乳を取り出して浅い皿に入れて床におろす。
そうして今度は棚の上からキャットフードの箱を取り出して餌皿にカラカラと空けた。
子猫が慎の足に小さな頭を何度も擦り付けるようにまとわりつく。
「こら。あぶねっつの。踏んじまうだろ」
春前に拾った子猫はこれでもかというくらい甘えん坊だ。
それに引き換え、黒くてでかい、長い付き合いになる猫のほうは餌さえくれれば用がないとばかりにもう餌皿に顔をつっこんでいる。
「ほら、お前も食いっぱぐれるなよ」
また子猫の首根っこを掴んで黒猫の横に下ろす
今度は一緒に食べだした。

犬に比べると、猫は上下関係が希薄だ。
新参者だろうが古参だろうが、気に入れば一緒にいる。
しかも猫の良い所は狭い世界にストレスを感じない所だろう。
アパートの一室にずっと飼っていても、その小さな世界を自分の世界にして暮らすので、アパート暮らし向きだ。
犬のように散歩がいらないところも気に入っている。

慎は棚にキャットフードを戻すと大きく伸びをしながらシャワー室に向かった。
さっぱりしたら何か食い物でも買いに出ようと思った。

慎自身も基本的にはこの部屋の中でずーーーっと一人でも苦痛ではない。
食事や本、タバコの在庫。あとは仕事に出なければならないやむをえないこと以外では外に出たいと思わない。
そういう所は猫派なのかもしれない。
だから、いつでも自然体で、変に媚びてこない猫は好きだ。

シャワーのノズルを捻る。
熱い湯を頭から浴びながら、そういえば犬の散歩もそろそろ行かないと妹が怒りそうだな、と気がつく。
慎の動物の拾いぐせはなにも猫に限ったことではない。
犬だってなんだって拾う。
そういう時は仕方がないので実家に帰って妹に世話を頼む。
「また?」という態度ながらも妹も動物好きなのでなんだかんだで可愛がっている。・・・が、拾ってきたのが慎である以上、まかせっきりにするとあとでボッタクリにあう。
「あのバックが欲しいなぁ〜」とかいう可愛いレベルなのだが、年頃のせいか実家の金銭感覚に慣れきってしまっているせいか年々求められるものの値段が上がってきている。
・・・なので、たまに気が向いたときは実家に帰って妹のご機嫌取りと犬の散歩をしなければならない。
せっかく早く起きたのだし、たまには実家に顔をだすか、と思いながら髪を洗った。











慎の左手に握られたリードの先にいるのがボスと、ぽん。
妹のリードの先にいるのがサーカスだ。
ちなみに名前はすべて妹が考えている。
ボスはそのまんんま、ボスだから。(最古参でもある)
ポンは鳴き声がそう聞こえることから。ちなみにサーカスは片方の目の周りにある黒いブチがピエロっぽいからだそうだ。

「お兄ちゃん最近どう?」
「んー?」
並んで公園を歩きながら妹は色々と話しかけてくる。
ふたつ下の妹は慎が卒業した大学に通っており、現在大学3年生だ。
まだ2年近くあるというのにもう院に進むことを考えていて、慎からすればよくそんなに学校なんかいきたいもんだな、という所だ。
まあ学校を職場にした慎が言うべき事ではないが。
「んーじゃわかんないでしょ?教師生活はどうなの?うまくやってる?」
「とどこおりなく」
慎の言い方が可笑しかったのか妹はクスクスと笑って肩をゆらした。
「お前こそどうなんだよ」
「何が?」
「せっかくの休みにデートもなしかよ。つーかサークル活動とかしてねぇのか?」
「お兄ちゃんと一緒にしないで。アタシはあたしなりにちゃんとやってます。お兄ちゃんもそろそろきちんとした彼女作ったほうがいいんじゃないの?お母さんが心配してたよ?」
「なんの心配だよ」
「お兄ちゃんが一度も彼女を家に連れてこないから、”あの子モテないのかしら”ですって。逆だっつーの」
「おいおい」
「いっぱい居すぎて呼べないのよね。」
「いねぇよ。昔から、そんな奴」
「ふーん」
ならいいけどね、と言って妹はそっぽを向いた。

と、その時、ボスがいきなりウォンっと吼えた。
なんだろうかとナツミと二人でボスの視線の先を見ると、前方から三匹の犬がやってくる。
これまた飼い犬なのだろう。リードの先には小柄な女が一人。
だが、ボスが吼えるのも頷けるくらい、三匹ともでかい犬ばかりだ。
あの飼い主では引きずられるのがオチじゃないか、と慎がいらぬ心配をすると
ナツミが思いがけずその飼い主に声をかけた。
「おはようございます」
相手もナツミの顔をみて微笑むと
「あ。おはようございます」
と返してきた。
慎のリードの先でボスが早く前に進もうとわふわふ鳴いている。
どうやら威嚇したのではなく馴染みの犬に会えて嬉しかったらしい。
だが、慎はボスが前に進もうとするのに足をピタリと止めてしまった。
三匹の大きな犬をしたがえているのは、学校でもよく見知った顔で・・・。
「あれ、沢田センセー。」
相手も気がついたのだろう、慎に声をかけてくる。
ナツミが慎のわき腹を肘でつついて「知り合い?」と聞いてくる。
慎は小さくため息をついた。
出来ることなら慎の私生活は妹に知られたくない。
「・・・ああ、教え子」
そんな二人のやりとりを見ていた山口は眉間に小さく皺を寄せた。そうして顔なじみであるらしいナツミに近寄って、いかにも嫌そうに
「カレシさんですか?」
と聞きやがった。
いかにも、なんでこんな男と付き合ってるんですか?という響きが慎に伝わって、慎は空いていた方の手で額を押さえる。
だが妹は幸いな事にそのニュアンスに気がつかなかったらしい。
「ううん。兄なの。アナタは今日は一人でお散歩?」
「あ。お兄さんなんですか・・・・・。ええと、今日は一人です」
”お兄さんなんですか”の後に続いた沈黙も慎は見逃さない。
だが山口はもうそんな事はどうでもいいのか、慎とナツミのリードに繋がれている犬たちに挨拶をしだした。
「ボス、ぽん、サーカスも、おはよう。今日も元気だね」
ナツミもなれた様に山口の犬に声をかけている。
「とん、ちん、かん、おはよう」
「・・・・・は?」
慎は思わず妹の声に耳を疑った。
「とんちんかん?」
そうすると今度は山口がボスとじゃれている犬を”とん”だといい。おとなしくお座りしている犬を”ちん”だと紹介して、最後にサーカスと舐めあっている犬を”かん”だと言った。
なんだか頭痛がする。
妹のネーミングセンスもいかがなものかと思っていたが、山口のそれもそうとうだ。

そうして、ふと、何か記憶にひっかかるものを感じた。

「山口、この犬、拾ったのか?」
「・・・はい」
それがどうした、というように睨み付けてくる視線に見覚えがある。
「あーー・・・」
力の抜けたような声をだして人差し指で山口を指差す。
「お前、前に会ってるだろ」
その慎の一言にナツミが噴出す。
「なに言ってんのお兄ちゃん。なんか古いナンパみたいなこと言って。だいたい教え子さんなんでしょ?」
だが慎が言っているのはそんな事ではない。
自分のアパートでくつろいでいるであろう茶色のブチの子猫を拾った霙(みぞれ)混じりの雨の日、どうやらコイツに会ったぞ、という事を思い出したのだ。
山口は何を今更、というような顔をしてしゃがみこんで自分の犬の頭をぐりぐりと撫でた。
「センセー今頃思い出したんですか?記憶力わるー」
そんな事を言われたって、日に何人も会う女をたった一回会っただけで覚えてられるほうがおかしい。と、いうか。今思い出したのさえ奇跡だ。

「そんな事より」
ナツミが何の話をしているのかわからないなりに二人の間に入ってきて
「お兄ちゃん、紹介してよ」
と、また慎の脇を肘で突いてきた。
「あ?知り合いなんじゃねえの?」
「毎朝散歩の時に会うから顔なじみではあるけど・・・」
お互いの犬の名前しか知らないらしい。
「あー・・・山口。コレ、妹のナツミ。・・・で、ナツミ、こっちが・・・」
「沢田先生の教え子の山口久美子です。」
慎が説明するより早く、立ち上がって自己紹介をするとペコリと行儀よく頭をさげる。
こういう仕草をみると、コイツは本当にしっかり育てられたんだな、と思う。
しっかり育てられながら反抗した慎は久美子を見てそんな事を思う。
「お互いに今頃自己紹介ってなんかおかしいね。ナツミです。よろしく」
妹もペコリと頭を下げた。
やはり妹もきちんと育てられた、躾のよさがにじみでている。
「久美子ちゃんって呼んでもいい?」
「はい。じゃあアタシはナツミさんって呼びます」
お互いに笑いあって話し始める。
「ねえ、久美子ちゃん、お兄ちゃん、学校ではどう?」
「え?」
久美子は一瞬顔をこわばらせ、慎は一瞬固まった。
「いくら聞いても教えてくれないの。今日なんて”とどこおりなく”ですって」
ころころとナツミが笑いながら言うのを見ていた山口はチラリと視線を慎によこしてからニッコリ笑った。

「そうですね。とどこおりなく、先生をやってらっしゃいます」

このやろーと思ったが、ナツミはそれも冗談だと思ったようで、コロコロと笑った。




それじゃあ、と互いに別れたのは、話し始めてから30分近くたったころだった。
慎は内心でホッとしながら教え子を見送る。

「よく会うのか?」
「久美子ちゃん?」
「ああ」
また歩き出しながらそう聞くと妹はジトリと慎を見上げた。
「アタシも久美子ちゃんも一人で三匹も犬の散歩してるでしょ。だから「お互い大変ですね」って声を掛け合ってたの!」
つまりは慎への批判なのだが、その辺は軽くスルーする。
「けどお前さっき”今日は一人”とか聞いてなかったか?」
「ああ、うん。時々ね、男の人と一緒の時があるから」
「へー・・・」
一瞬自分のクラスの仲良し5人組の顔が浮かぶ。
「・・・男の人?」
だったら男の子、と表現するだろうな、と思ってもう一度聞いてみる。
「うん。お兄ちゃんと同じくらいの年頃かな・・・もう少し上かも。お兄さんかしら」
山口久美子の身内が祖父一人であることを知っている慎は曖昧に頷いた。

この分だと小田切と矢吹は失恋決定だな、と。
そんな事を思いながら慎はボスに引きづられながら歩く。

まあ、そんな事はどうでもいいのだが。




雨の中、自分を睨みつけた強い眼差しをふと思い出した。





...to be continued......?

2007.9.13
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