03




新しい教師が赴任してきて、白金学院がなにか変わったか?といえば、特にそんな事もなかった。
もちろん彼が担当しているクラスも同じ事で、日々は変わりなく過ぎ去ってゆく。


校舎南の実験棟の上。屋上とはいえない、柵さえないこの場所は生徒たちの喫煙スポットとなっていた。
実際問題、ここは立ち入り禁止なのだが、入り口の鍵が壊されてからしばらくたった今もそのまま放置されている。
誰か落下して怪我でもしないかぎり、このままだろう。
いつもお決まりの生徒たちはそこにしゃがみこんでグラウンドを眺めながらタバコをふかしていた。
メンバーは隼人、竜、土屋、日向の四人。
真下のグラウンドでは体育の授業が行われ、本来ならば彼らもその中にいるべきである。

「サボりかー?」

声が聞こえて振り返れば、彼らの担任が口にタバコを咥えながら校舎から出てくる所だった。
「おー沢田ー」
隼人がとても教師にかけるようなものではない軽い調子で名前を呼んだ。口にはタバコを咥えたままである。
だが呼ばれた沢田慎もそれに構うでもなく彼らが溜まっている所へ寄ってきて「誰か火、もってねーか」なんぞと聞いてくる。
どうやら職員室に忘れてきたらしい。
土屋が笑いながらまるでホストがするようにすちゃ、とライターを取り出して左手で風よけをしながら慎の前でライターの火を灯した。
「わりー」
慎はそれから火をもらって、おもいっきり肺に煙を吸い込むと、ようやっと一息ついた、というようにゆっくり煙を吐き出した。

隼人たちのクラスは素行の悪い白金学院内でもさらに素行の悪いものを集めた、いわゆる”ふきだまり”である。2年Dクラス。(1年も2年も3年も、素行のわるいのがDクラスと決まっていた)
今まで赴任してきた教師はあまりの退廃ぶりに去ってゆくものが多かった。
この沢田慎という教師も、一見優男で神経質そうで、生徒も教師も長続きしないだろうと誰もが思っていた。
が、しかし、予想は大いに外れた。
一風変わった・・・といえばいいのか、こうして生徒の喫煙を咎めるでもなく自分もその輪に入ってタバコなんぞ吸っている。
かといって、別に生徒となれあっている、という風でもないのだ。
はっきりいって、いい加減。
一番初めに喫煙を見つかったときは「しまった」と思った隼人たちだったが、本人いわく「俺も吸ってんのに、注意する権利なんざねぇよ」というそっけないものだった。
これだけ聞くと、話がわかる教師・・・という感じだがそういうわけでは決してない。
先のセリフの後に「お前らがお前らの肺を悪くしようと知ったこっちゃねぇ」だそうだ。
つまり”話がわかる教師”ではなく、”モラルにかけた教師”なのだと、この数ヶ月の付き合いで、2年Dクラスの生徒たちはわかっていた。
しかも、この教師のモラルのなさはそれどころではないのだ・・・。

一息にタバコの煙を吐き出した沢田センセーは、真下のグラウンドを見て事も無げに聞いてくる。
「なに、お前ら今体育?」
「そー」
自分の受け持ちの生徒の授業を把握していないどころか、こうしてサボっていてもかまわない。
日向はそんな自分の担任に面白そうな顔をして話しかける。
「あんたは?授業は?」
「ああ。この時間はねえよ。最近は喫煙権がなくってなぁ・・・」
だからここまで来た、という事か。
沢田センセーは、もう一度さも旨そうにタバコを吸いながらそんな事を言った。

だが一見して仲の良さそうな彼らだが、こうしていても別に馴れ合っているわけではない。
ただ喫煙場所が一緒になっただけ、たとえばここに他の生徒がいたって、この沢田という教師は同じなのだ。
そういった意味で、2年Dクラスの彼らは、この担任を嫌ってはいない。嫌う要素も好きになる要素もまったくないのだ。
ここまで”お前らなんかどうでもいい”という態度をとられると、むしろ”あっぱれ”という気持ちにもなるものだ。
「お。武田はまじめにやってんじゃねーか」
煙を吐き出しながらグラウンドの生徒を見つつそんな事をいった。
ホントはそれすらただの話のネタで、武田を評価したとかそういう話でもない。
数ヶ月の付き合いで彼らにもその辺のことがわかってきた。

本日の授業は何が面白くてするのか、トラック競技。
体育の教師がタイムウォッチ片手に生徒を走らせている。
明らかに面倒そうな声を滲ませて言う担任に土屋が笑いながら説明をする。
「ウチは陸上部がないから授業中にいいタイム出した奴が無理やり競技会に連れていかれんだよ」
「へー・・・白金も変わったな」
担任の何気なく漏らした言葉に四人の生徒が振り返った。
「へ?なに、あんた昔の白金知ってんの?」
「あ、もしかして青玉出身とかか?」
隼人が同じ学区内であまり仲のよろしくない学力トップの学校の名を上げたが、沢田は軽く眉間に皺を寄せた。
「何言ってんだよ。俺はここの出身だ」
いかにも青玉出と言われたのが不愉快な様子に皆が一瞬ぽかんと口を開けた。
今まで一度も口を開いていなかった竜が担任に近寄る。
「マジかよ。だってアンタ有名大学出だって噂聞いたぜ」
「なんでその噂が広がってんのに白金出だって事のが知られてないんだよ。・・・俺らの時は校長の猿渡が教頭だったな」
自分の上司を呼び捨てで呼ぶあたり、よっぽどだ。
「へー・・・白金から有名大学・・・」
「いたんだね。そんな変わりモン」
「ちなみに俺も一年からずっとDクラスだ」
「「「「はぁぁぁ?」」」」
これには流石に皆驚きの声を上げる。
沢田センセーはにやりと笑ってそんな生徒たちを見た。
「お前ら新学期の朝礼の時、猿渡見てなかっただろ。すんげー嫌そうな顔して俺を紹介してたぜ」
今思い出しても笑える、というように沢田センセーはくっく、と喉の奥で笑った。
もはや何も言う気力のない4人は、目の前の一見繊細そうな顔立ちをした教師を唖然と見つめていた。

「お、お前ら体育終わったぞ。山口に見つかるとマズいんじゃねえのか?」
キンコンカンと授業の終わりを告げる鐘が鳴る。
先ほどの人をくったような顔をあっさり消し去り、もとのなんの感情もうかがわせない顔にもどった担任がそう言うのに、四人は慌てて手元のタバコの火を消した。
グラウンドでは久美子と武田がこちらを指差している。
担任にタバコを見つかるよりも友人に見つかるほうが困るらしい。
まったくおかしな話だ。

「沢田、ヤンクミには内緒の方向で」
「おー」
「じゃ、俺ら行くからー」

パタパタと校舎へともどってゆく生徒の中、竜だけが立ち止まって慎を見た。
「・・・アンタさ」
「んー」
「白金からどうやって大学行ったんだ」
「はぁ?進路相談か?」
「ちげーよ・・・・」
「ああ、山口か」
合点がいった、という風に短くなったタバコを惜しそうに一息吸って靴底で火を消した慎が頷くと、一瞬だけ竜は頬を染めた。
(わーかりやす)
心でそんな事を思いつつ、慎はなんでもない事のように応えた。
「受験勉強しただけだ」
「一人で?」
「おう」
「塾とかは?」
「行ってねぇけど?」
「・・・・・じゃあ、山口も、行けるかな」
放課後、一人図書室に残って勉強している女子生徒の姿を慎は思い浮かべた。
「今のままじゃ厳しいかもな」
「・・・・そうか」
それだけ言うと、竜も友人たちが去っていった校舎の中へと入っていった。

「厳しいっつうか、無理に近いだろうな・・・」
これは、誰にも聞かれない、独り言。
ポケットの中からタバコを取り出して口に咥え、火がなかったことを思い出してしかたなしにケースに戻す。
放課後、要領のわるい勉強を頑張ってしている生徒の事を考える。
別に自分が気にしてやる必要はまったくない。
だが、時々真っ直ぐに自分に向けられる睨むような強い光の瞳を見てしまうと、ついついお節介など似合わない自分が勉強をみてやったりしている。
「なんなんだろうね、まったく」
これは自分自身に対する言葉だ。


「あれ!?」

唐突に背後で頓狂な声が上がる。
振り返ると、未だ体操着なままの山口と武田がいた。
慎を見て、周りを見回す。

「沢田先生、さっきまで、隼人たちいなかった?」
「すれ違ったんじゃねえの?さっき帰っていったぜ」
「ほらー。だから言ったじゃん。もうあいつら教室いってるって」
「くそー。せっかく現行犯逮捕だと思ったのに」
こちらのほうがよほど教師らしい。
当の不良教師は久美子の隣の武田に
「あ、お前火、持ってない?」
なんぞと聞いている。
武田はついついポケットを探る手つきをして「あ、ジャージだから持ってねーや」なんて応えて、パシリと横から伸びた手に叩(はた)かれていた。

「戻るぞタケ」
「はいはい」
まるでお転婆なお姫様とそれに従う従者のような関係の二人に喉の奥で笑う。

たった数ヶ月しかこの学校にいない慎でも、彼ら・・・先ほどの4人を含めた5人組が山口久美子の事を大切にしているのはわかった。
取り立てて綺麗なわけでも可愛いわけでもないメガネにお下げのこの女のどこが少年たちにそうさせるのか、未だ慎にはわからない。が、見ていて微笑ましいものはある。

自分たちが在学していた頃は男子校だったこの白金学院が共学になってまだ数年。
決して女子生徒が多いほうではないが、それにしたって、もっと色々いるのに、なんでまた・・・。と思わないこともない。
すでにその色々な女子生徒たち何人かに手を出した沢田ダメ教師はそう思った。

二人は踵を返して校舎に戻ろうとしていた。
が、先ほどの竜のように久美子が立ち止まって慎を振り返る。

「アンタもあんまりタバコ吸いすぎんなよ」

ピシリと指さして本当にどっちが教師かわからない事を言うと、今度こそ校舎の中に消えていった。


「変な奴ら」

しばらくたってから慎はポツリとそんな事を言った。

同じ校舎のせいだろうか・・・彼らを見ていると、まだ高校生だった自分を思い出す。
今、この場所でも友人たちと、タバコを吸ったり授業をフケたりした。
懐かしい友人たち。
クマ、うっちー、南、野田。
・・・・それから。

慎は軽く頭を振ると、スーツのポケットのズボンに両手を突っ込んで歩き出した。
そろそろ職員室に戻って授業の準備をしなくてはならない。

なにもかもが懐かしいこの学校に戻ってくれば、なにかが変わるとでも思っていたのだろうか・・・。
慎はそんな事を思いながら校舎の中に入る。
外と内との光の差に軽く眩暈を覚える。

あの頃と何も変わっていない自分に、慎は小さなため息をついた。

自分も、彼らのように、大切なものを大切だと素直にあらわせる人間だったら、今も、何かが変わっていたのだろうか。
今となってはもう過去のことすぎて、どうにもならない事だけれど。
ふと、立ち止まってあの頃の自分を・・・そして、あの人を思い出してしまう。

「この学校に来たのは失敗かもしれねえな・・・」

また、誰にとも聞こえない独り言。

廊下を歩いていると前方から女子生徒が歩いてくる。
「あ、沢田先生〜。今日の放課後、空いてますかぁ〜」
やたら語尾を延ばして自分を見上げてくるこの少女には見覚えがあった。
たしか、数回相手をしたことがある。・・・名前は思い出せない。

「ああ。あいてるよ」

慎は女受けする笑顔を顔に貼り付ける。
それだけで少女は慎の腕にしなだれかかってきた。


人生は単調で退屈だった。





...to be continued......?

2007.9.1
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