02




霙(みぞれ)混じり雨が降る空だった。
暖冬といわれていた冬の日の、気まぐれに寒い日。
学校帰りの久美子は首に巻いていたマフラーを幾分顔に引き上げ、僅か程度の寒さしのぎをする。
いつもより幾分早い足取りで歩いている久美子の持っている傘にも足元のアスファルトにも、かすかに溶けきれなかった霙が積もっていた。
ふ、と、何かの小さな声のようなものを耳に捕らえ、久美子は持っていた傘の柄を少し上げて左右を見回す。
左側にある小さな児童公園。
冬囲いされた生垣の向こうに、簡素な遊具と、真っ赤な傘が地面に近いところにあった。
眼鏡を押し上げてよくよく見れば、赤い傘の下には人がいて、その人が視線を向けている先には小さなダンボールがあった。
明らかに女物と思われるその赤い傘が地面に近いのは、傘の持ち主の男性がしゃがみこんでいるからだった。
男は何かをダンボールに向かって話し掛けている。
久美子は一瞬危ない人か?と思ったが、次に男がひょいとそのダンボールに手を差し入れて、小さなものを大事そうに持ち上げたのを見て、その疑問は解決した。
先ほど久美子を引きとめた小さな声の主はその男の手の中の小さな塊だった。
たぶん猫だろう。
この寒さの中、どれくらいその箱に入れられていたのか、動きも遅く、衰弱しているように見えた。
男は手にしたその子猫を、濡れているのさえ関係ないように自分の胸元のジッパーを引き下げて、厚い上着の中に無造作に入れた。あとは少しだけジッパーを上げると、布の下に居るであろう子猫にポンと優しい振動を送った。
そうして何事もなかったようにそのまま立ち上がると、赤い傘を手にこちらに向かって歩き出した。
この段になってはじめて、久美子は自分が男の向かってくる先、公園の入り口に居る事に気が付く。
男はさすがに久美子に気がついているだろうに取立てて気にする風でもなくずんずんと進んでくる。
久美子は改めて男の風貌を観察した。
身長は高からず低からず。平均的な身長に、少しやせすぎに見える身体。厚着をしているだろう今日のような日でも、男は薄っぺらいような体形に見えた。
赤い傘が少し目深にさされており、顔は見えないが、髪の毛が肩にかかる位で少し長め。久美子の年代よりも少し上の大学生くらいかなと思った。
そして先ほどから人目を引いていた赤い傘は、やはりどう見ても女物で、遠目では分かりづらかったが、傘の淵にはかわいらしいレース模様が入っていた。
これがもし借り物ではなく本人のものだとすれば、きっと、そっち方面の人だろう。
不躾にじろじろ見ているうちに、その赤い傘の男は久美子のすぐ目の前にまで来た。
そうして、何を思ったのか、ピタリと足を止め、視線を下げてよこした。
傘の下の顔は、男にしては白い、整った顔をしていた。
「・・・アンタ、捨てた人?」
初め何を聞かれたのかわからず黙って見返していると、軽く胸元のふくらみを支えていた手でそのあたりをぽんぽんと優しく叩く、そして、
「こいつ、捨てた人?」
と、もう一度久美子に聞いてきた。その段になって久美子も男の言わんとしている事を理解する。
「動物を捨てたりなんかしない」
きっぱりと睨み上げるようにしてそう言うと、軽く片眉を上げて見せて
「じゃあなんで見てたの」と聞いてきた。
なんでといわれても久美子も困る。
ただ目にとまったから見ていただけだ。猫の小さな声に引き寄せられて・・・。
「猫の声が聞こえたから・・・・アンタが拾わないなら拾って帰ろうと思って」
事実、久美子もよく小さい頃から動物を拾って帰るほうだった。
たぶんこの男がこの猫を拾っていなかったら自分がそうしただろうと思って返事を返した。
だいたいが、突然見ず知らずの人に動物を捨てるような人間に見られたのかと思ったら腹立たしくて、ますます久美子の視線は険しくなる。
男も久美子の睨み上げる視線に気が付いたのだろう、軽く肩を竦めて「悪かったな」そう言うとあっさりと背を向けて歩き出した。
久美子はその後姿を黙って見送った。
確かに疑われたのは腹が立つが、あの男の手が、優しく生き物を抱えていたのを思い出せば、悪い人間ではないのだろうと思えたからだ。
こんな寒い日に捨てられたあの猫は、あの男に拾ってもらえてラッキーだったのかもしれない。
そんな事を考えながら久美子も帰るために歩きだした。
赤い傘はとうに見えなくなっていた。
結局、あの男がその筋の人なのかどうかはわからなかったが、もう二度と会う事もないだろうし、永久に謎は謎のままだと思ったら、なんだか探偵のようなフレーズで少し笑った。


それが高校一年の三学期の事だった。




もう二度と会う事もないと思っていたその男にもう一度会う事になったのは、それからたったの2ヶ月後の春の新学期のことだった。
だれたようにきちんと並んでいない全校生徒が集った式の中、校長が話す後ろ。並べられた椅子に座るその男を見た瞬間、久美子は「あ」の形に口をあけてしばらく固まった。
新任の教師だと言って紹介されたその男は名を名乗り簡単な挨拶を終えるとまた椅子に戻る。
当然と言うか、その男の容姿に、漣のように女生徒の黄色い声があがる。
久美子はそれを見ながら「でも女に興味ないかもしれないし」なんてことを考えて一人小さく笑った。
あの赤い傘のことを思い出したのだ。

「ん?どしたのヤンクミ」

すぐ隣に立っていたタケが久美子が小さく笑ったのに反応して振り返った。
この男は中学一年から高校に入った今もずっと同じクラス、という腐れ縁の友人で、女の自分よりもはるかにかわいらしい外見をしている。
中学一年の出会った当時などは、今よりももっと少女めいていて、なんで学生服を着ているのか一瞬悩んだくらいに可愛らしかったのだ。
「んーなんでもない、ちょっと思い出し笑い」
へらりと笑って返事をすると背後からポンと肩に手が乗せられた。
「はよっすヤンクミ」
「あれ、隼人、さっきまでいなかったじゃん」
これまた中学からの腐れ縁の友人が眠そうな顔で立っていた。
「んー。さっきこっそり後ろから入ってきた。新任のセンコーっつうから楽しみに来たのに」
「男だよ」
「んっだよ、ついてねー」
「しかも俺らの担任だってさ」
「さーいあーくぅー」
ちなみにタケと隼人は幼馴染だ。そしてもう一人・・・
「あれ?竜は?」
姿の見えない友人を探して視線をめぐらせると、クァッと大きなあくびをした隼人が涙の滲んだ目を擦りながら返事をくれる。
「んー。たぶん遅刻じゃねーかなー。昨日遅かったし」
「ナニお前らまたクラブとか行ってんの?補導されないようにしなよ」
久美子が眉間に皺をつくってそう言うと「んなヘマしないって」と笑った。
「お、隼人、出てきたのかよ」
「今日はこないのかと思ってたぜ」
ちっとも静かではない朝礼の中、いつもつるんでいるもう二人の友人が隼人に気が付いて久美子たちの列までやってくる。日向と土屋だ。
この二人は高校に入ってから仲良くなったのだが、今年も同じクラスなのは今朝掲示板で見た。
ちなみに久美子もタケもでかい方ではないので、随分壇上に近い位置にいるのだが、そんな所にやたらでかい土屋や、土屋ほどではなくても平均身長を越した隼人や日向などがくるとさすがに目立つし、それ以上に煩い。
けれど、どんなに騒いでも教師達は注意をしないのだ。
今ここにいない竜を含め、今話している生徒。
久美子、武田、隼人、日向、土屋の6人は、教師たちの覚えが非常にめでたい。・・・悪いほうの意味で、なのだが。

一見してみれば髪の毛を可愛らしくピンで留めているタケも、髪の一部を染めている隼人も、他の二人も、今ココにいない竜も、まったく制服を規定どおりに着てはいない。(まぁそれについては全校的にその傾向にあるのだが)
そんなあきらかに「不良です」といっているルックスの生徒の中で、久美子だけは制服は規定どおり、しかも決められてもいないのに、きっちりお下げに髪を結い、真面目そうな眼鏡までかけているので、6人がつるんでいると、なんだか久美子一人が浮いているように見える。
けれど、誰もそのことについてはつっこまない。
というか、つっこめない。
この学校で久美子に親しげに声をかけてくる人間など、この5人を除いて他にいないのだ。
教師も含めて。


「で?新しいセンコー。なんてーの?」
隼人の質問に全員が首を傾げる。誰一人真面目に聞いてやしないのだ。
「沢田センセーだってよ。」
久美子が呆れたようにつけたす。
「ふーん」
聞いたくせに興味のなさそうな隼人は久美子の顔をジッと覗き込んだ。
「なに?」
「んーー・・・お前もああいうの、タイプ?」
言われたことの意味が解らなくて久美子はキョトンとした。
すぐ近くでタケと土屋と日向が笑っている。

「なにが?」
「・・・なんでもないデス」

まだ3人は笑っていた。





...to be continued......?

2007.8.30
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