携帯のアラームで目覚めた途端
「頭…痛てぇ。」
クシャリと髪を掻き毟り窓から差し込む朝日に目を細めた。
4時間程の睡眠時間は、身体に余計なダルさを与えるには十分で、尚且つ酷い頭痛をも引き起こす。
一端寝るんじゃなかった――――――――。
そう後悔しても、重い身体が直ぐに軽くなってくれる筈もなく
只握り締めたままの携帯電話を、ベットに未だ横たわる己の目の前に運んだ。
ピッ。
ワンボタンで表示された画面の文字。
ソコには4時間程前まで話していた―――― いや、一方的に聞かされていたと言った方が相応しい相手の名前。
着信履歴 山口久美子
厄介な事に電話越しの彼女の声は酷く落ち着くモノで・・・・・
情けないことにも、心底安らぎを与えられるには十分な響きな訳で。
数時間前のそんな彼女の力説が幻聴のように蘇り、仄かに差し込む柔らかい光に包まれながら静かに笑い、吐息が零れた。
『 また明日な 』 ではなくて
『 また後でな 』 と最後に言い残し電話を切った彼女の声の響きを思い出し、ベットから重い身体を引きずるようにして這い上がる。
そして30分後には着慣れた学生拭服に袖を通し、煙草を銜えたままアパートを後にする
そんな一人の男の姿が今日もココには在った。
秋景の片隅で…。
場所は白金学院校門前―――付近。
退職騒動から月日は流れ、頬に触れる秋風が仄かにまだ温かいような、少し寂しく冷たいような―――
日に日に色を付けた紅葉が気付けば落ち葉となって姿を変え、行く手を進む足元に散らばりを見せ始めた。
何気ない通学路の光景の中にある小さな見落としそうな現実は
小さな季節の移り変わりと、確実に流れる月日を今日も物語っている。
「職員会議始まってるよ―――!!」
学生服を身に纏った登校中の生徒達の間をすり抜けて、今日も必死で走り抜ける白金学院ではある意味有名な女教師の姿。
朝のこの光景は決して珍しいものではなく、新鮮な空気に触れながら今日もそんな彼女の背中を、
学年に拘らずその場に居た生徒達は半ば呆れたように笑う。
「あ、ヤンクミだ。」
「あ〜あ。朝っぱらから必死こいてまた走ってるよ。」
彼女が受け持つ3Dの相変らずな身なりをした5人の生徒達も、
そんな担任を今日もまた発見し、向こうからバタバタと走り寄って来る見慣れた姿に振り返りながら、悪戯な笑みを向けては言葉を投げ掛ける。
こんな光景も、ココでは朝の一種の名物行事のようなものだ。
「ヤンクミ、ま〜た遅刻かよ?」
「う、うるさーい!」
「お前それでもホントにセンコーかよ!」
「仕方ねーじゃねぇか!朝は弱いんだからっ!」
「夜更かしの度が超えてんだよ…。」
「ヤンクミ、どうせただの寝坊だろー?」
「ヤンクミ頑張れ〜♪」
誰が見ても聞いても、教師らしくないそんな彼女と生徒達の朝のやり取り。
だがその漂う周りの空気は今日も柔らかい。
悲痛な叫び声と共に彼等の隙間をも、風のように通り過ぎて行った彼女―――
が、何故か 不意に彼女の足がピタリとその場に止まったのだ。
ヒュ〜〜。
シンと静まり返ったその場に吹いた風が、リアルな音を醸し出す。
彼女の小さな背中をキョトンとする見つめる面々は、もちろんこの行動の意味が分かる筈もなく……
「何だぁ?」
「さぁ?」 とでも言うように、熊井の問いに、内山、南、野田と揃って同じ方向に首を傾げた。
その直後、何かに反応をしたかのように唐突に振り返り、未だ理解不能な表情を見せる5人組に
険悪な顔色をさせてツカツカと歩み戻って来て・・・・・・・・・・ガシッ!!!
一人の生徒の胸倉を思いっきり掴んだのだ。
「「「「!!?!!?!」」」」
この予想も出来なかった戦闘態勢の彼女の行動に、皆が一斉に目を見開き言葉を詰まらせた。
「お前は何で遅刻しねぇんだ―――っっ!?」
―――――ハッ!?
4人の生徒は見事に声揃えて同じツッコミをいれるが、肝心の胸倉をつかまれた本人は冷めた表情で
担任の理解に苦しむ行動をされるがまま、ただ無言で見下ろしている。
「こ、これで、職員会議遅刻数が記念すべき20回に到達したじゃねぇか…うぅぅ。」
「知るか、アホ。」
「薄情者〜〜〜!!」
生徒の胸倉を掴んだまま、子供の様に涙目で訴える担任の姿と
冷静に言葉を淡々と返す友人の姿を目の当たりにして、やっと言葉を発する事を思い出した面々。
「あ…あの。」
「お、お二人さーん??」
「どういう事?」
「さっぱり話しが読めねぇ。」
仲間達のその場に最も相応しい問いに小さく溜息を零した彼は、スルリと彼女の手を離し身なりを軽く整える。
唇を噛み締めながら、未だ潤んだ瞳で睨み上げてくる目の前の彼女に苦笑する彼は
何処で付けて来たのか分からない、彼女の服についた一枚の葉をそっと指先で払い除けてやるとゆっくり話し始めた。
「コイツ、昨日最新の極妻のビデオ借りてきて見たらしいんだけど」
「はぁ。」
「延々とその内容を電話で喋りやがんの…。」
「…げ」
「11時から。」
「うん。」
「4時まで延々と…。」
「うわ」
彼の簡潔な説明に、全員が事の成り行きを全て理解出来るのだから、
彼等も中々侮れないと奴等だと言えるだろう。
「し、仕方ねぇだろ!あの感動を誰かに聞いて貰いたかったんだからっ。」
「だからって何もそんな時間まで…。」
「遅刻したのは、あたしの方なんだぞ!?」
「威張んな」
「…うっ。」
「こんな所で愚痴っても仕方ねぇだろ…ホラ、早く行けよ。」
「あ、そうだった! お、お、お前らも送れんなよーっ!!」
お決まりの台詞をしっかりと言い残し、またバタバタと学校へと向けて走り出す彼女。
慌しく小さくなっていく背中を、秋空の下5人は呆れに似た笑みで、今日もまた無事に送り出したのだった。
「なるほどねぇ。そういう事かぁー。」
彼女の背中が完全に見えなくなった頃、腕を組んだ一人の言葉を先頭に皆で揃って頷き合う仲間達。
その異様な光景に普段は顔色を変える事のない彼が、不機嫌そうに過敏に眉を顰めた。
その反応は彼等からすれば非常に面白く―――――――そして嬉しい事でもある。
「……何だよ。」
「「「「 べっつに〜〜〜♪ 」」」
仲間達の不気味な程の意味ありげな顔を揃って向けられ、言葉に困る
そんな何時もの彼とは想像も付かない姿を、担任である問題教師は――――――――今日も知らない。
「まぁ慎にこんな顔させれんのも、アイツだけってことだなー♪」
「「「「 うんうん 」」」」
「…お前ら本気で殴られたいのか?」
彼の冷えきった言葉に少し度が過ぎた行動を認識し始めた面々は、逃げるようにまた学校へと足を進ませる。
そんな彼等の分かりやすい行動に深く溜息を零したのは単純に出たものだったのか、安堵の溜息だったのか、
それとも否定出来ない自分に対して出たものだったのか。
―そう。
恋など似付わない二人が互いに頼りにし、求め合い
密かに想い合っている事は3Dの皆が理解し把握している事。
その中でも2人を一番近くから何時も見ている存在の彼等が一番理解していても当然な訳で――――――――。
大切な友と、大切な担任。
時には今日のようにハラハラさせられる奇妙な間柄の関係だが、二人の距離は確実に縮まっていると言えるだろう。
何故なら、彼女のあの笑みを最大限に引き出せるのは、悔しい事にも彼だけなのだという事実を
皆が痛い程知っているから。
お互いの気持や想いが通じ合い、心から祝福してやれるのは
近い未来なのか、それとも果てしない程の遠い未来なのか。
恋には超がつくほど不器用な相変らずな二人を、それまで温かく静かに見守ってやろうというのは―――
3Dの暗黙の了解みたいなもの。
ズボンのポケットに手を仕舞い歩き出そうとした彼に
またしても追い討ちをかけるように長身の男から肩を組まれ、今度は何やらボソリと耳元で囁かれる。
「でも本当のことじゃん?」
「…うっせぇよ。」
「可愛くね。」
「嬉しかねぇよ。」
「まっ、ゆっくりいけばいいんじゃね?」
「は?」
「なるようになるってモンだな、慎とアイツの場合。」
「…何だソレ。」
「どう転ぶのか。」
「転ぶのかよ。」
「何つうか、生徒やってる間とか―――関係ねぇよ。 んなことは。」
「………。」
「…ま、どっちにしろ俺が言うことじゃネェかもな。 …あぁっ!クマの奴、俺が買ったガムをーーー!」
肩に回した腕をスルリと解き、前を行くガム風船を楽しむ3人の姿目がけて走り出そうとした親友。
そんな子供染みた一面を昔から持つ彼を思わず呼び止めた。
「うっちー。」
呼び止められた本人は意外だっただろう。
「ん?」
「…。」
「何だよ。」
「結構効いたカモ。今の。」
「…ふっ。可愛いじゃん。」
「だから嬉しかねぇよ。」
「へへン」と満面な笑みで答えた彼は、ご褒美を与えられ満足した子供のような表情を見せ
前を行く3人の背を向けてスキップをも序でとばかりと言うように彼に見せた。
「ガキかよ。」
小さな季節の移り変わりと、確実に流れる月日を感じる者は、自分以外にも案外居るようだ…。
そんな風に感じた彼は、親友の後姿を見ながら静かに笑って、彼もまた学校へと足を進ませた。
■■■
昼休みの屋上。
休み時間に拘らずココに来る生徒達は多い。
そしてそれは、この5人組も一緒の事であり、あくまでも主に3Dが陣とっている場所だと言えるだろう。
ココはそんな強い弱いの差が最も評価される処の有名な白金学院なのだから仕方がない。
「うわっ…。」
校内に昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響くそんな中
何気なくフェンス越しで地上を見下ろしながら漏らした異様な一声に、皆が過敏に反応した。
「どうした?」
彼の静かな問いに皆も揃ってフェンスにしがみつき、内山が見下ろすその視線の先を同じく見下ろす。
「スゲぇ…。」
それは校門を潜り抜けた玄関前に停められた一台の高級車。
その真っ黒な高級車の窓には全て黒のスモークが貼られ、学校という場では場違いな程の異様な雰囲気が醸し出されている。
「いかにもって感じだな。」
「ヤンクミの知り合いだったりして。」
「不思議ではねぇわな…。」
「でもいくらなんでも、ヤンクミの知り合いは来ねぇだろ?」
「アイツ、そういうの嫌いだかんな。なぁ慎?」
未だその車を見下ろす彼の横顔は厳しいものだったが、内山の質問に小さく只黙って頷いた。
彼女を一番よく知る彼のその返答に、誰もが何故か安堵に似た気持が胸に小さく溢れた。
それ位に皆の中では嫌な予感が、同時に―――感覚的に瞬時に感じていたのだ。
コレが直感というものだろうか。
「あっ!もうこんあ時間だー!早く行くかネェと!次ヤンクミだからまたスネんぞー!」
「じゃ、行きますか。」
些かぼんやりとハッキリしない蟠りのようなものが皆の心にはあったが、何が何でも出席しないといけない5限の授業―――。
そう我等が担任の数学を受けるために、3Dの教室へと戻ったのだった。
ガチャリ。
ドアを開けると仁王立ちでご立腹姿の―――。
担任のもう既に見慣れてしまったその得意の体勢。
「お前ら5人、遅ーーいっ!!あたしの授業に遅れるなんて良い根性じてんじゃねぇか。100年早いんだよ!」
「そのぉ、車を見てたら…つい遅くなって?」
体格のわりには律儀な彼が、遅れた原因を教卓前で説明しようとするが、誰からの助け舟も無く
残りの4人は何事もなかったようにスタスタと彼方此方に向いた生徒の席の間を縫って、自分の席へと向かう。
「車〜!?何寝ぼけたこと言ってんだよ!!」
丸められた教科書でパコンと金髪の丸刈りをした頭を叩く音が虚しく教室内に響き、
それと同時に沸きあがる生徒達の笑い声。
「第一なぁ朝っぱらから、あたしをバカにしてるから、罰があたんだよ!」
笑いの渦の中を恨めしそうに「関係ねぇし。」と、膨れた頬のままスゴスゴと自分の席に戻る熊井と、
授業に遅れた4人に目がけて言葉を投げ続ける担任が、何処か勝ち誇ったか顔をしているのは気のせいだろうか。
「あたしを馬鹿にしてる暇があんならなぁ、これからは、ちっとは自分を引き締めててだなぁ―――。」
「お前が言うな。」
カチン。
彼女の標的が一人の生徒に搾られた瞬間だっただろう。
だがこの事にも3Dの生徒が一番慣れているのだから、ソレを知らない本人は幸せなのかもしれない。
『また始まった。』 誰もが今からまた見せてくれる2人の可笑しいほどの展開を期待した、その時だった。
バターンッ!!
勢いよく開いた3Dのドア。
身体が思わず震えるようなその大きな音に、彼女と皆が一斉に開いた扉を自然と注目すると、
ネクタイを緩めながら何か獲物を探すように光輝く眼光で教室内を見回す教頭の姿と、
その横では額に汗を光らせ息切れする国語教師の鷲尾の姿。
3Dにとっては招かざる客と言って相応しい2人の人物の異様な出現の仕方に、自然と眉間に皺を寄せる生徒達も何人か居る。
だが、退職騒動がキッカケで嘗て以上にこの二人を嫌っている生徒はいないだろう――――――好きになった生徒もいなだろうが。
「今、ココに侵入者はなかったかー!?」
一騒動起きそうな、そんな予感をさせられるには十分過ぎる程の叫び声。
そしてそれは見事に的中し、波乱の幕開けとなるのだ。
窓の外に広がる秋景。
そんな片隅で、この二人の恋の行方は大きく左右される事になるのは間違いない。
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