「は?」
「いや、な。内山しか思いつかなくて。野田に言ったら笑われそうだし、南はあることないこと教えてくれそうだし、クマはあんなだし」
確かにその選択は間違ってはいない。
「いや、つーか俺は笑いたいよ」
「笑いたいなら笑ってくれ…」
「うん、なんか既に笑えないっていうか」
とりあえず、と俺は向かいにある喫茶店を彼女に指し示した。
どこから聞いたのか突然仕事場に現れた眼鏡の女は、睨むような顔をして『内山を呼べ』と叫んだのだった。
ロッカールームなどあるはずもなく、作業場の片隅で着替え始めた。
おれの姿を見止めた先輩である壮年の男が面白そうに近づいてくるのが気配で分かったが、あえてその手を止めることはない。
さして視力が良いほうではないが、道路を挟んで向かいにある喫茶店のガラス越しに、睨むようにこちらを見る、二つの瞳が見える。
「内山、揉め事か」
長身の俺よりさらに背が高く、体重は優に十キロは違うだろう。
がっしりとした体に人の良さそうな笑みを張り付かせて、男は言う。
「いや揉め事っつーか。まあ……揉め事なんだろうな」
「なんだ。はっきりしねぇな」
聞きたいのは俺とて一緒だ。
ちょうど上がりの時間だったからまだマシではあるが、皆の好奇の視線が痛い。
「あの譲さん、お前のコレか?」
ちなみにコレ、という台詞にはご丁寧にも小指を立てる決まりのポーズが付いてくる。
言われると思って用意はしていたが、どうも心臓に悪い。
「違います。高校時代のセンコーっスよ」
ダセェでしょ、と付け足す。
男は驚いた、とばかりに少々大げさに眼を見開く。
そして気持ちよく笑った。
「ほー。じゃあ、あれが例の先生様か」
「なんっスか。例のって」
「前、社長に聞いたことあんだよな。内山の内定事件」
ガンガンと金属が打ち合う、激しい音がする。
最初は辟易したそれにも、もう慣れてしまった。
今ではこの音を聞きながら、昼寝することだって出来る。
誰にも言ったことはないが、俺の密やかな自慢だ。
「事件って。大げさな」
「そりゃ事件だろ。柄の悪い高校生がズラッと並んで。俺は見てねぇけど、完璧に警察沙汰だと思ったって後で笑ってたよ」
ふうん、そういう話もするんだ。と不思議に思った。
始まりがそんな事情だっただけあり、俺は社長に感謝はすれど、近寄りたくない存在、という印象がある。
そんな話をこの男に漏らしているとは、さすがに思っていなかった。
「運が良かったな」
少ない荷物をまとめようとしゃがみ込んだ俺の頭を、男のごつごつした手がかき混ぜた。
あの女と通じるその姿に、俺は少しくすぐったくなる。
「何するんスか」
「汚かったな」
悪ぃ悪ぃ、と男は悪びれず背を向ける。
作業中の男の手は油で汚れていたが、そんな考え毛頭なかった自分に呆れた。
あの女にあってからは、大人を一方的に拒否することはやめた。
この男もその一人だ。
父親の姿を重ねてるんじゃないの?
という母親の言葉に同意するつもりはなかったけれど。
「で?なんだって」
「だーかーらー!男と女について…」
「そういうことを大声で言うな!」
俺は彼女の口を右手で塞いだ。
仕事上がりのため少々薄汚いが、これは彼女の落ち度であるので文句は御免被りたい。
コーヒーを持ってきた店員が俺たち二人のやり取りに驚いて、一瞬身を硬くする。
それに気づいたヤンクミは、いまさら遅い愛想笑いで店員に礼を言った。
「ちゃんと一から説明してみ。聞いてやるから」
そう言って俺は目の前のコーヒーカップにミルクを入れた。
かき混ぜるとまだら模様にゆるゆる揺れる。
「だから、その。アイツのことだよ」
「慎?」
「そう。沢田慎」
その名前を聞いて思い浮かぶのは真っ黒な学生服に手を突っ込んで、無愛想に話す友人の姿だ。
もちろん彼も自分と同様に高校は無事卒業し、今は大学生をやっている。
やっている、という言い方はおかしいかもしれないが、突然アフリカへ一年間行った後、
急に日本の大学を受験した彼の姿は、少し一般の大学生とは異なる気がする。
「え、もしかしてお前ら……」
彼女は少し俯いて残り少ないオレンジジュースをストローでかき回す。
カシャカシャと乾いた音が俺の耳をくすぐった。
「もしかして生々しい話?」
「へ?」
「だから体の相性が悪いとか…もしや慎、勃たないとか…」
「わーーーーーーーーー」
今度は彼女が両手で俺の口を塞いだ。
見れば耳まで真っ赤である。
もちろん半分くらい冗談で言ったのだが、その可愛らしい反応に、内心ホッとさせられる。
「お前、声デカイ」
「内山が馬鹿なこと言うからだろ!」
見れば時間帯が外れているため少ない客が、こちらを見つめている。
学生時代を思い出し睨みを利かせると、途端に視線はなくなった。
「アタシと沢田はそういう仲じゃねぇよ」
ズッと鈍い音がして、彼女のグラスの液体が消えた。
「だからこうして悩んでいるんじゃねぇか」
そう言って空になったそれを人差し指で弾く。
チンと高い音がした。
俺は深く息を吐いた。
「最近慎とはどうなの?」
「たまに、アタシがアイツの部屋に遊びに行ったり。たまに、アイツから電話がかかって来て話したり…そんな感じ」
それは付き合っているとはいわないのだろうか、と俺は少ない脳みそで考える。
自分の場合どうだろう、と記憶を掘り出すが、生憎そういう色っぽい経験は多くない。
「慎がお前に惚れてるって事は気づいてるんだろ?」
だからこそ彼女は悩んでいるのだ。
この質問は嫌がらせでしかない。
ヤンクミは、うっと呻いた。
「……やっぱり勘違いじゃねぇか?」
「お前、まだ言うか」
実のところ、これは彼らの間で散々交わされた議論である。
事の発端は去年の暮れ。
俺の働く工事現場に、見覚えある男女が通りかかったところから始まった。
噂には聞いていたが、連れ立って歩く二人を見るのは初めてで。
気づいていたものの、向こうが声をかけてくるまで、俺は知らぬ振りを通していた。
久しぶり、と微笑む元担任。
それは少し疲れて見えた。
その数日後である。
女のほうから連絡があったのは。
――わからねぇんだ。
彼女はそう言って、辛そうに眉をしかめた。
――アタシは篠原さんに惚れていて。でもアイツから電話があって。
初耳だった。
辺境の地にいる慎から連絡を貰ったヤツは、誰もいない。
彼女の辛そうな顔は嫌いだ。
否応なしに、あのシンポジウムの一件を思い出してしまう。
涙も流さずに泣いているような女の様子に、思わず手を伸ばす。
――内山?
頬に触れようとした手を止め、俺は昔彼女が良くしたように、彼女の頭に手を置いた。
「俺でよかったら聞くから。な?」
「だってあいつ、全然そんなそぶり見せねぇし」
俺は片手を上げて再び店員を呼んだ。
コーヒーのお代わりと彼女のためにケーキとジュースを追加する。
「その、あれだ。普通男と女が一つの部屋にいたらな……色々あるだろ…?」
「それってあの刑事との体験談?」
使われないまま置かれていた角砂糖が飛んできて、俺の額に当たって落ちた。
「ヤンクミ、食べ物を投げるなって」
「内山が余計なことを言うからだ!黙って聞け!!」
言葉は男らしいのに話すだけで真っ赤になってしまう。
なんともアンバランスな女だ。
「で、慎が手を出してこないのが悩みですか?センセェ」
「うるせぇ!そうは言ってねぇ!」
「じゃあ何なんだよ…」
再び俯いてしまった女の旋毛を見る。
きっちり分けて結ばれたおさげは昔のままだ。
「だから……何にもないんだよ。
アタシが篠原さんとの事にケジメつけてから今まで。ちょっと拍子抜けでさ。でもアタシから言うわけにはいかないし…」
「なんで?元センコーだから?」
「そういうわけじゃないけど。恥ずかしいじゃねぇか!」
教え子相手に延々と恋の相談を続けるよりは、余程まともだと思うのは俺の気のせいだろうか。
ヤンクミは運ばれてきたショートケーキに、親の敵が如くフォークを入れる。
「俺は慎が不憫だよ…」
「え?」
何でも、と答え今度はブラックでコーヒーを啜る。
それは酷く苦い。
慎の心情は痛いほど理解できた。
分かりやすいようで分かりにくいこの女のことだ。
きっと慎の前では、こんな態度おくびにも出さないのだろう。
それを思えば慎の態度は必然的に決まる。
慎はどうしてヤンクミが篠原と別れたのか、気づいていないのだろう。
その原因が自分にあることなんて、きっと考えてもいない。
恋人と別れ傷心であるはずの女に手を出すほど、彼は軽率じゃないはずだ。
それだけ彼の想いは深い。
でも、それをこの女に説明してやるのは嫌だった。
正直言って自分が間に入れば、彼らの関係はいとも容易く変わるだろう。
それをしないのは、俺の小さな我侭。
「要はきっかけなんじゃねぇ?」
「きっかけ?」
鸚鵡返しに彼女が問う。
かくりと首を曲げた様は、実年齢よりずっと幼い。
「お前らが『コイビトドーシ』になる、きっかけ」
「こっ、恋人って……」
いまさら何を照れることがあるのか。
「な、ヤンクミ。ちょっといい案があるんだけど…」
顔を寄せた彼女から、石鹸の香りがする。
ちらりと窓の外を見ると、先ほど彼がいた現場では、複数の男たちが今もなお働いていた。
そこに、先ほどの男を認める。
そろそろ大人になるのも悪くない、と思った。
■ □ ■ □ ■
部屋には俺一人だった。
悪友たちは、彼女を連れて慎の後を追っている。
この部屋の主が鍵を置いていかなかったので、用心のため俺は留守番を買って出た。
―アタシ、結婚決まったんだ。
心配していた彼女の演技は上出来だった。
野田や南が面白がってあれこれ指導したおかげかも知れない。
「面白いもん、見れたなぁ」
声に出して言う。
誰も聞くものはいない。
顔から血の気の引いた友人の顔。
普段ポーカーフェイスを気取っているだけに、なかなか貴重な反応だった。
「『良かったんじゃん?』って。よく言うよ」
そう言ってケラケラ笑う。
喋りながら一人で残りのビールを飲んでいると、まさに酔っ払いのようだった。
でも、今日はそんな自分を許すことにする。
―おめでとう、かぁ。
先ほどの俺自身が放った台詞。
今度は二人に言わねばなるまい。
「ちゃんと言えるかねぇ」
足音が聞こえる。
それとともに話し声。
笑い声。
少なくとも、今考えるのはよそう。
今日は二人の話題を肴に、皆で飲み明かすのも悪くない。
――きっと二人は、いないのだから。
俺は小さく笑って、内側からドアを開けた。
END
■T:I:M 管理人の雪生様から、内→久美子 ssですー!!!
◎雪生様からのコメント
「宴」を書いた後、どうしても消化不良になってしまい書いたものです。
一応「宴」は企画小説だったので、送ろうかどうか迷ったのですが、せっかくなので。
自分で書きながら「ウッチーーーー!」って叫びそうになりました。
どうやら私は慎ちゃんを格好悪く、ウッチーを格好良く書く癖があるようです。
おかしいな、一応シンクミスキーなんですが(笑)
◎有希乱入コメント
「ウッチーーーーーーー!!!!!!」←師匠の代わりに思いっきり叫ぶ。笑
エエ男や〜〜〜〜〜!!!!>< ホント、エエ男!!!!(大拍手)
深いよね〜〜何て言うか、凄く内容が深いです、素晴らしいの一言ですよね(感涙)
久美子姐さんへの想い、親友の慎ちゃんへの想い・・・2人を認めているんだねぇ><
何処を読んでもホント素敵っっv その中でも私的には、『そろそろ大人になるのも悪くない、と思った。』
ココの一文が凄くズシンと胸に響きました。(凄く印象深い)ウゥゥゥ、ウッチー、アナタは大人だよ十分><
2人の距離がグンと近付いた「宴」の裏には、ウッチーの溢れんばかりの
切ない優しさと、愛があったのだなぁと知れて、本当に感動しましたぁあ〜!!
雪生ちゃんへv
ひ、姫ーー!!ゆきお師匠ーーーー!!!!!宴万歳ですよーー!!!><(大感動)
毎回毎回感動を与えてくれますが、今回も最高に感動致しましたぁぁあ〜!!!しかも、表と(?)裏、両方!!!
雪生ちゃんが書く慎クミはもちろんの事、ウッチーがこれまた大好きデス〜〜!!ホント、どのキャラもらしくって・・・v
師匠の作品は切ないだけじゃなくて、切ない中に色んな・・言葉には出来ないような深いものがたくさん詰まってますよね。
一つ一つ考えさせられるような文章はホント毎回感動し、それと同時に勉強もさせて頂いてますv
そして、毎回こんなにも素敵な世界を作り出している、雪生姫のキャラが、いつか皆様にバレないか、弟子は心配ですv(爆)
コチラこそ、いつも素敵な刺激(?)を有難うv この企画を今回も開催出来たのは、雪生ちゃんを始めとする
優しくて温かい皆様が居てくれるからこそですよ><v (時には怖い存在ですが・・。容赦ないしねぇ)笑
極中同士(極先中毒)、これからも、どうか宜しくお願い致しますネv 産みの親だしねぇ、フフフ(怪)笑。
この度も当サイト競作企画に参加して頂きまして、本当に有難うゴザイマシタv 創作お疲れさまですー!!!
ふへへ、轟姉妹で、壁紙オソロイにさせて頂きましたよ@@クスクスv