指輪
今日は放課後皆とゲーセン行ってクマのとこで飯食ってバッティングセンターに来て。
そうして今、バッティングマシーンを睨み付け、吐き出されてきたものを、ただ力一杯にぶったたいている。
繰り返し、繰り返し。
後方で「そろそろ帰ろうぜ」とか「また腹減ってきた」とか、声がしている気がするけれど
今慎の意識はすべて眼前の機械と白球に注がれている。
外野の声も、苛立つ気持ちも、すべて締め出して。
無機質な機械から次々に吐き出されてくる白球をひたすらバットの芯にとらえて放つ。
こちらもただ、機械的に。
後方の外野たちは。
「………きいちゃいねーよ………」
「俺もう手ぇ痛くてやる気になんない」
「あいつすげーな、全部きっちり芯に当てて同じ場所に打ち返してるぞ」
「(……ぐぅぅうう)食いもん…」
口々にブウたれながらでも例の絶対零度の一睨みが怖くて、自然、声は小さくなる。
やがて一同は視線を合わせ、声には出さず確認しあった。
(……っていうか、慎ちゃん荒れてる……)
怒られそうだから、言わないけれど。
以前不用意にからかってしまったときに見た絶対零度の瞳を思い浮かべて、
自分の身体から一気に血の気が引くのを感じる。
激しい運動のために汗まみれになっていた身体が急に冷やされて、
南と野田は鳥肌を立て、クマの胃が急に痛み、内山が「…チュンッ!!」とくしゃみをした。
……なぜ慎が荒れているのか。
がらにもなく。
ことは朝にさかのぼる。
いつもどおりの朝だった。
受験生らしく遅くまで問題演習にあたっていた慎は今日もやはり、眠気に瞼を重たげにしながら
それでもなんとかかんとか学舎へと歩を進めていた。
……眠い。相当眠い。
ただでさえいつも眠ってばかりだった慎が受験勉強で夜更かしを繰り返しているのである。
この眠気には正直、かなり耐え難いものがあった。
引き返して布団に潜り込みたいという欲求が今日も慎の頭をもたげる。
本日の数学の授業は6限。
午前中は眠って、午後から授業に出ようか、と考える。
しかしすぐに慎は心の中でかぶりを振った。
決めたのだ。
学校は休まない。
遅刻もしない。
あいつの授業は眠らない。
他の授業も、極力、眠らない。……極力。
あいつの横に胸を張って立っていられる人間になりたいと思う。
まだガキだけど。
できるだけ早く。
結局今俺があいつのために、そして自分の成長のためにできる、最良かつ最低限のことは、
「人として、高校生として、まっとうに」ということだ。
あいつを困らせないように、学校から庇護されている者として、
金を出してくれている実家へのせめてもの誠意を保とうと、このくらいは出来ないでどうする。
眠くてたまらないだのといった甘えで簡単に放棄してはならない。
俺の気持ちはそんな程度のものではないはずだ。
……それに。
もうそろそろ、いつもの慌ただしい足音が聞こえてくるはずだ。
バタバタと走り寄る音と、自分の後頭部をかすめる手、のぞき込むふたつの瞳。
タタタタタ
ほら来たぜ。
やっぱりいつもどおりに。
慎がそう指摘したように、久美子は前方に受け持ちの教え子を発見すると、いつもの調子で駆け寄った。
慎の頭を軽くはたいて、顔をのぞき込む。
ちゃんと元気な顔をしているか。
ちゃんと眠っているか食べているか。
春先のような、なげやりな顔をしていないか。
いつも何を考えているかわからない顔。
しかし、朝のこの瞬間だけは、無表情な生徒も少しは読みとりやすい表情をしてくれることを
密かに学んでいた久美子であるから、こうして朝の通勤路で沢田慎を捕まえられると少し安心するのだった。
今日はまた超特段に眠たげな顔をしている。
昨日や一昨日も相当なものだったけれど。
だいじょうぶかね、こいつは。
……がんばってるんだなぁ、ベンキョ。
……ヨシヨシ、えらいぞ?
…………と「ヨシヨシ」頭をなでられる当の慎は。
「……ヤメロ」
と久美子の手首をつかんで退けようとして、
その手の薬指に光るものがあることに気付き、超特段の眠気から一気に覚醒した。
なぜだか久美子だけは平気なようだが、周囲を往くある者は急激な気温の低下を感じ、
周囲を往くある者は急に薄ら寒い気分になって、きょろきょろと辺りを見回している。
慎は久美子の手首をつかんだまま、その光る物体を凝視した。
無表情のまま、手に力が込められる。
「……痛いよ」
と久美子が声を掛けても動かない表情とその一方で更に強くなる力。
「……痛いです」
と再度声を掛けると、ふっとその手が離された。
「……どうしたんだよ、それ。」
慎は自分の無表情が動じないよう、
声に余分な感情がのらないよう、細心の注意を払いながら言葉を発した。
そして考える。
山口久美子の薬指に、ダイヤの指輪がはまっている。
小指から数えて2本目。
親指から数えて4本目。
間違いなく薬指だ。
一般常識が抜け落ちがちなこいつのことだから意味も考えずに薬指につけているのか。
だがしかし、その指輪は、そんな何の気無しにつけるような造作をしていない。
……いわゆる、給料3か月分で買えるような。
なんでこいつがこんな物を。
なんでこいつがしているんだ。
指輪に視線が注がれていることにようやく気付いた女は、みるみる顔を赤らめ慌てた素振りを見せる。
「どっどどどうもしねーよっ たまには指輪したって、いーじゃねーかよっ」
などとどもりながら、サッとその手を隠す。
「……おい」
といいかけたところで、非常に嫌なタイミングであの男が視界に入った。
少年課の刑事。
随分世話にもなって出来た人間だと認めている男。
山口久美子が慕っていて、それにまんざらでもない男。
……俺が、どうしようもなく気に入らない男。
あいつは気付くなりいそいそと刑事のもとに歩み寄っていく。
「お、おはようございまっす/// 篠原さん」
「これ………。昨日のことは本当に何ていったらいいか……。
あれからも、いっぱいいっぱい考えたんですけど、………どうしても外せなくて///// 」
「山口先生、気にしなくっていいんですよ。 慌てなくても待ちますから……」
あいつは頬を桃色に上気させながら、もごもごと恥ずかしげに声を絞り出している。
いつもと違うの、腹が立つんだよ。
いつものようにハイテンションで空回りするでもなく、切実に語りかけるあいつと、それに誠実に受け答えする男。
それにその会話はまるで。
いや、まるで、と言わずとも決定的なのではないか。
あの女は変われないし、あの男も動けない。
そう、どこか確信めいた余裕があったのに、
今この瞬間にそこは急速に埋められてゆく。
頭の奥が熱くなって、何も聞こえなくなる。
慎はしばらく二人を能面の無表情で眺めていたが、やがて踵を返して校門へと歩き出した。
後ろから「あっ。沢田待てよっ」という久美子の声が
聞こえたけれど、振り向くかわりに歩みの速度を上げた。
いつもは胸にあたたかくこそばゆい久美子の声も、急に不快に感じられて顔をしかめる。
────「どうしても外せなくて」────
なんだそういうことかよ。
ばかばかしくて話にならない。
……いっときでも、負ける気がしないなどと、思ってしまった自分が恥ずかしい。
勝つどころか、勝負にすらなっていなかったことを知らず、舞い上がっていた俺は間抜けな道化だ。
そんな俺を大人たちは、どんな目で見ていただろうか。
常にない慎の様子に息をのむ周囲をよそに、慎は内心泣いてしまいたい気分だった。
「アイタタタターーーー!!!!! 泣!! 」
始業前の保健室に、久美子の絶叫がこだました。
「いっっったいじゃないですか!!!!無理なもんは無理なんですっっ。もうっ!!」
久美子は涙目になって、いましがた自分の指を力一杯に引っ張った相手──
保険医の川嶋菊乃に非難の声を上げた。
「だってもくそもあらへんわ。何とかして抜かなぁ」
しゃーないでしょうに、ほらもう一回、と再び川嶋の手がのびてくる。
「家でさんざんやってダメだったんですから!!」
久美子は手をパーカーの中に入れて隠してしまった。
先程からの久美子と川嶋の攻防をニヤニヤと眺めていた藤山だったが、
「さすがにどうしたものかしらねぇ……」
とため息をつく。
そろそろ教室に入らなければならない時間だ。
職員室では手をポケットに入れて、ぎこちなくも、なんとか指輪が見えないようにしていたが、
今日一日生徒にも教職員にもばれずになんて、絶対無理に決まっている。
しかし、ばれたら大騒ぎだ。
……ま、ばれたらばれたで面白そうだけど……
そんな意地悪は押し込めて、
「しかたがないわ。川嶋センセ、この子の手、包帯でぐるぐるしちゃいましょう」
と藤山は提案した。
久美子が教室に入ると、案の定、
「なにー??ケガ??」
「どんくっせーなー」
などなどと、方々から声がかかった。
なんで「ケガ=どんくっさい」としかとれないの。
いたわれよ!!と思うけれど、本当のことが知れたらこんなじゃすまないから、
耐えるのよ、久美子、と自分を制して出欠をとる。
「明智──」と呼びながら、目は教室の後方に向かう。
……沢田は。やだなあ、あいつ朝会っちまったから何で包帯なんかしてんだよ、って絶対思ってる。
あとで言われるだろうなぁ……そんで吐かされて馬鹿にされるんだ。
……ああやだぁーーーと久美子は心の中でぼやいた。
4・5人出欠をとったところで、バタンと出席簿を閉じ、
「あーもういいや。全員出席!連絡事項特になし!!」
と言って久美子は足早に教室を出ていった。
「なんだー? 今日のあいつ、チョー怪しい」
そう言う南にクラス中が「だよな〜」と同調する。
「な〜んか変だよな。なあ?慎」
クマが隣の席に座る慎に話しかけたが、
慎は斜め前方に視線を落として、何やら考え込んだまま反応を示さない。
「なあ、慎ってば」「慎ちゃん」
クマは何度も話しかけるけど、梨のつぶてである。
(……眼開けたまま寝てる……??勉強のしすぎだよ…)
担任だけでなく慎までもが様子がおかしくて、今日は変な日だ、とクマは思った。
とても器用な慎といえども、眼を開けて眠ることは出来ない。
教室にたどり着いてからこっち、慎はずっと考え込んでいた。
……自分が行動を起こしていたら。
不戦敗は免れただろうか。
やはり結果は同じだったろうか。
それとももっと深手を負って負けただろうか。
そもそも俺は本当に負けたのだろうか。
何をもって負けとするのか。
負け。
篠原があの女の心をつかんだから。
いや、それは以前からのことだ。
篠原があの女に告げて、想いが通じ合ったから。
想いが通じたから、ダイヤの指輪を。
おい気の早い話だな。
想いが通じたって、いつの話だ。
あんな指輪を贈るのだから、黒田には話を通したのだろうか。
週始めに顔を出したときには、そんな話聞こえてこなかったし、そんな素振りもなかった。
テツさんが平気な顔をしていられるはずがないのに。
俺にいちいち教えるいわれはないかもしれないけれど、テツさんの表情もまともに読み取れないほど、
俺はもうろくしていたのだろうか?
三代目は、認めたのだろうか。
……いや、三代目が認める認めないは関係ないな。
あの女が認めたということが問題なのだ。
……認めるって、そりゃ認めるよな。惚れてたんだし。
慎は外界のあらゆる刺激にも反応せず、ずっと考え込んでいる。
だめだ。
結局行き着くところはそこで、でもだからといってじゃー仕方ないじゃん、と考えを放棄してはいけない。
恐らく考える余地は残っているはずだ。
まだ勝負する余地すら見出せるかも知れない。
冷静に、思考を辿れ。
客観的に見て。
あの二人がつき合っている形跡はなかった。
今日はシノハラサンとお話しできた
今日はシノハラサンと合コン
それだけのことで一日中顔が綻びっぱなしだった女が想いが通じてつき合うとなったら、
ただの状態でいられるはずがない。
何か事情があって隠していたって、絶対に俺にはわかる。
ずっと必死に見つめてきたから。そこは譲れない。
もう2度と、あいつの隠した感情を見過ごさないと、あのとき固く誓ったのだから。
山口久美子という人間。
あの刑事の性格。
あの家の人たち。
俺とあいつが話したたくさんのこと。
ずっと見つめつづけた俺の双眸。
それらすべてが二人の交際を否定する。
でも自信がないんだ。
あの二人には、実は互いが思い合っているという事実がある。
いつだってそれに思い至るたび、どうしようもなく苦しくなる。
あのダイヤの指輪、いきなり突飛すぎると思うけれど、
現実にあの細指におさまった光をないものにする理屈がどうしても思いつかない。
やはり、あの二人は……って、思わずにいられようか。
「どうしても外せなくて」
「待ちますから」
「どうしても外せなくて」
「待ちますから」
「どうしても外せなくて」
「待ちますから」
この台詞に隙間は……
────「どうしても外せなくて」────
────「どうしても外せなくて」────
────「どうしても外せなくて」────
『どうしても外せなくて』 ……!!!
慎がハッとして頭を上げた瞬間、
ボカ!!!
何かに頭を思い切りはたかれた。
「……沢田クン、眼開けてたって、何にも聞いてないんじゃ寝てるのと一緒よ??」
2限の英語担当の藤山が、丸めた教科書を手に慎の目の前に仁王立ちしている。
どうやら教科書ではたかれたらしい。
もう2限なのか。
慎は思わぬ時間の経過に驚いた。
怒った顔の藤山が、ニヤリと口元をゆがめて言う。
「寝ていた人にはペナルティ。
でも、沢田クンは優秀だから、今から英語で話す内容がちゃんと把握できたら許してあげる。
ネイティブのスピードで話すから、頑張って聞いてね?」
「Once
upon a time, a princess were living in a castle.
She had an elder
sister that marry into neighboring
country a month later. She
envied. She dreamed her bride.
So, she secretly took the bridal
ring from sister's room
when her sister was out. But,actually, it was
not bridal,
it was a witch's ring. It was a witch's trick.
Magical ring was never unwore. However she tried,
it's impossible.
On the contrary, magic ring went to
smaller and smaller, and it
brought pain. She cried every
day. A day, a night came her castle.
she fell in love to
him. He accepted her love, and proposed her. When
he
kissed her finger, ring was unwore. She was glad.
They
lived with happiness for long
time.」
(むかしむかし、あるお城に、お姫様がいました。
彼女には来月隣国へ嫁ぐお姉さんがおりましたが、彼女はお姉さんがうらやましかったのでした。
彼女は自分の結婚を夢みていました。そこで、彼女はお姉さんがいないときに、
こっそり部屋に忍び込んでお姉さんの結婚指輪をはめてみました。
しかし、それは、実は結婚指輪ではなく、魔女が仕掛けたいたずらの魔法の指輪でした。
魔法の指輪はけっして指から外れません。さらに悪いことに、指輪は日に日に小さくなって、
痛みをもたらします。彼女は毎日泣いて暮らしました。
ある日、一人の騎士が城にやって来ました。彼女は彼に恋しました。
騎士は姫の想いを受け入れ、求婚しました。
騎士が彼女の指にキスすると、魔法の指輪は外れました。 姫は喜び、二人は末永く幸せに暮らしました。)
慎は藤山の英語を理解して、心の中で深いため息をついた。
でっちあげの童話の中に、真実が的確に語られている。
先程脳内にひらめいたここと符合する。
そういうことか……。
ざけんなよ……紛らわしい。
「(指輪が)どうしても外せなくて (大事なものなのにごめんなさい)」
「(外れるまで)待ちますから(大丈夫ですよ)」
そういえば、あの刑事の親族が結婚するという話をあいつから聞いた気がする。
指輪はその人のものか。
要するに、あいつは他人の婚約指輪を興味本位ではめて、
間抜けにも、抜けなくなって困っているということのようだ。
さらに、俺としては目の前真っ暗な状況である。
この背の高い女教師は、俺の気持ちなどお見通しらしい。
「Thank you
for your telling, my teacher.
But, please don't try to enjoy by
teasing
me.
(教えていただいてありがとう、センセイ。 でも俺をいじって遊ぼうとするな。 )
慎は感情を抑えるのを止めて、不機嫌などす黒いオーラを発散させた。
よどみない英語のやり取りに、ちっとも理解が出来ない3Dは呆然と慎と藤山を眺めていたが、慎の異変に騒然としだす。
しかしその中にあって、藤山は「ウフフ」と満面の笑みを浮かべて
「Great!!」 と言った。
慎はものすごく腹を立てていた。
藤山に、久美子に、自分自身に。
一見すると決定的ととれる光景に、尻尾を巻いて逃げ出した。
よくよく考えれば、それは綻びだらけであったのに。
聞けばよかったのだ、二人に、どうしたんだよと。
あいつは言い淀んでも、あの刑事はいつもの爽やかな調子で教えてくれたに違いない。
なのに俺は、拗ねて、諦めて、逃げ出した。
あの刑事の目に、俺はどう映ったか。
ガキだ。とるに足らない、ただのガキ。
あの刑事だけじゃない。
必死に隠してきた気持ちも、藤山にはばれていた。
俺があいつの指輪を見て打ちのめされているのを見透かしていた。
目聡かったのは、なにも藤山だけではないのではないか。
無表情で、感情を水面下にひそめて、完璧に演じているつもりの俺を、
随分な数の大人たちが、実は見破っていて、うすら笑っているのかもしれない。
周りにいる大人たち──。
彼らの人となりは知っている。
この半年の間に出会った彼らは、皆が皆、誠実で嘘がない。
俺をガキなりに一人前に思ってくれていると知っているけれど──
それでもやはり、穴があったら隠れたい気持ちは拭えない。
慎はもう、どうしたらよいかわからなかった。
今日の沢田はなんだか様子がおかしかったな、と久美子は思う。
朝はいつも通りだった。
朝会の時はどうだったっけ。
昼休みに廊下ですれ違って、絶対指輪のことを言われるって構えたけど、何にも言われなかった。
なんか不機嫌にしていたなあ……生理か?
って、沢田にゃそんなもんねーじゃん。
6限の数学の授業中も、ずっと不機嫌にして、なんつーか……ずっとわたしのこと睨んでんだよ。
八つ当たりかよおい……。
完璧な無表情を決め込まれるのも考えがわからなくて嫌だけど、真剣に睨まれるのもちょっと困る。
春先は沢田に睨まれるのになれっこで、たまに笑ってるとこ見ると儲け!!って感じだったけど、
今は、頻繁に見せてくれるようになった穏やかな笑顔に慣れてしまって、
逆に怖い顔を見ると胸がギュッてなるようになってしまった。
ただ不機嫌なだけならいいのだけれど。
八つ当たりだって、受けてやるよ。
わたしは心の広いセンセイだ。
いっつも、助けてもらってるしな。
校門を出た久美子は、自販機の前にクマがいるのを発見して呼び止めた。
沢田のヤツ、どうかしたのと訊いてみると、クマもやはり困った顔をして、
なんだかわからないけど様子が変だという。
クマ曰く、
沢田は眼を開けたまま眠っていて、藤山先生に頭叩かれて起こされて、
英語をベラベラとしゃべった後、ブチギレモードに突入した
ということだ。………わけがわからない。
とりあえず久美子とクマの間で一致した意見は、とにかく沢田は勉強のしすぎで、
息抜きと充分な睡眠が必要ということ。
「睡眠は、明日休みだからまあ大丈夫だろ?? 息抜きは、今から大決行の予定!!」
と意気込むクマを、久美子は
「よし!!しっかり遊んでこい!!」
と送り出した。
しっかり遊んで、いつもの沢田に戻るといいけど、と久美子は思う。
今日の沢田の顔には、疲れた、眠い、不機嫌、気に入らない……
そんな多種雑多なものに紛れて、あの日警察署で見た苦しげな表情に
似た色があったような気がして、久美子は不安にかられるのだった。
戻ってくる頃合いをみて、様子を見に行ってみようか、と思う。
会って確かめたい。
おまえ、大丈夫だな??と。
晩秋の冷たい風が、汗だくになった身体から容赦なく体温を奪ってゆく。吐き出される息は、わずかに白い。
とりあえず最悪な一日だった
と、湿ったところに風がなぜ、冷やされた頭髪の内側で、慎は妙に冷静に考えていた。
悪夢のような一日から、早く解放されたい。
部屋についたら、風呂で汗を流して、速攻で寝てしまおう。
あいつを見ては、睨み付けた。
元凶はあいつのアホさ加減なのだから、これくらいいいだろう?
あいつのこうゆうとこも、好きなのかもしれないけれど、やはり腹が立つではないか。
あいつが視界から消えたので、クマたちの誘いにのってセンター街に出た。
八つ当たりの相手を画面の中の対戦相手に変える。
これはいいよな、手加減しなくていい。
店のレコード記録を叩き出してもまだ気は収まらない。
ゲーセンからバッティングセンターに場所を変える。
(その間腹が減って動けないとのクマの主張によりクマんちで飯を食った)
さんざん白球を叩きのめして、少しは気が晴れたろうか。
まだ足りない気がするけれど、時計が21時をまわっていることに気がついて切り上げた。
(クマは明日も朝早くから仕込みがあるから)
アパートの階段をノロノロと登る。
登り切ったところで、
「あっ 沢田」
とあいつの声が。
……なんでいるんだよ……
まだ八つ当たりし足りないんだよ。
そんな時にのこのこやってくるな。
「……おかえり。しっかり遊んできたか??」
おっとりとのんきな声。
腹が立つ。
無視して部屋の鍵を開けると、図々しいこの女は一緒に部屋に入ろうとする。
──と、フワリと香る石鹸の香り。
こいつ風呂はいってきたのか。
腹が立つ。
デリカシーがなさ過ぎるんだよ、人のことをガキだと思って。
頼むから、そんなんで、髪をほどいて、眼鏡外して俺の前に立つな。
……抱き締めたくなる。
「邪魔。帰れ」
と冷たく突き放してやるが、相手は引き下がらない。
少し眉をひそめたかと思うと、語気を荒げてつっかかってくる。
「てめーが平気な顔してたら、言われなくともすぐに帰る。
でもな、お前のその顔はなんだ。今階段上がってきたとき、お前ひどい顔だったよ。
構われたくないなら、そーゆー顔してんじゃねえ。お前のそんな顔見るだけ見て、帰れねーじゃんかよっ。」
「わたし、お前がそんなに疲れてんの今日まで気付かなかったよ……ちゃんと見てるつもりだったのに」
最後の方は俯いてしまって、声が弱々しくなっていた。
「……悪かったよ。外冷えるし、とりあえず中入れ」
慎は観念して久美子を部屋に入れた。
慎がいれたコーヒーで一服して、久美子は訊きたかったことを口にした。
「それでさ、オマエ、大丈夫なの?」
「……ん。お前が心配してるようなのじゃねーよ。安心しろ。今日はたまたま虫の居所が悪かったんだよ」
慎は久美子の向かい側に腰を下ろして答えた。
ふうん、そっか。と久美子は呟いてまたコーヒーを啜る。
「なんで虫の居所がわるかったの?」
安心したのか今度は軽い口調で訊く。
朝は普通だったじゃないか。
「…別に」
「別にって…。なあほんとに」
「大丈夫だから」
言いかける久美子を慎がさえぎる。
「そりゃ、受験あるし、いろいろ考えて苦しくなることもあるよ。
周りにわかるほどストレス溜めることだってあると思う。
でもこんな風におかしくなるのはたまのことだし、ちゃんとのりこえる。
……もし、こんなのが三日も四日も続くようなら心配してくれてもいい。……でも、今日のは大丈夫だから」
きっぱり言い切る慎に、今度こそ本当に久美子は胸をなで下ろす。
「了解」と久美子は目を細めて微笑んだ。
久美子を見ながら、慎は考える。
悪夢の元凶はこの女だけれど、それを払拭していくのもまたこの女なのだ。
そういう微笑みを俺に向けて惑わせる悪魔のような、天使。
久美子の手にはまだ包帯が巻き付いている。まだ指輪は外れないらしい。
おもむろに久美子の手をとって、包帯を外しにかかる。
久美子は「おいおい何だ何だ」と慌てた声を上げる。
包帯を取ると相変わらずそこに輝く光。
こうゆうの、似合わないかと思っていたけど、結構似合うのな。
でも、今はそこにあるのがムカツク。
指輪をグイと引っ張ってみる。
「痛!」
やっぱり抜けないな。
もう一度
「アイタタタ!!!なにすんだよアホ沢田!」
久美子は突然の慎の暴挙に、額に青筋を立てて怒る。
「てめーに言われる筋合いはない。これ、抜かなきゃなんねーだろーが。我慢しろ」
「……なんだよ……知ってるのか……」
久美子はガックリうなだれた。
「…ん?え??わたし言ってないじゃん。なんで知ってんの???」
頭上にハテナマークを浮かべる久美子の問いに答えず逆に慎は問い返す。
「お前石鹸とか油とかは試したよな?」
久美子はキョトンとして「ううん」という。
……今度は慎がガックリとうなだれる番だった。
何でそんなことも知らないんだよ……。
何で誰も教えてやらねーんだよ………。
黒田の家の人達は、あのメンツじゃ仕方ないかもしれない。
でも藤山は。
あの女、許せねーー。
「指輪が外れなくなったら、まず石鹸とかですべりよくするするのが基本だろーが。
そんなの知らないなんて呆れてものもいえないぜ、俺は。 お前、藤山たちに完全に遊ばれてるぞ」
「え」
「お前からかって遊んでないっていうなら、なんでそんな基本的なこと教えねーんだよ」
「あ。 あ〜〜〜〜〜〜」
なんだよう、非道いじゃないかーとわめく久美子をおいて慎はてきぱきと支度をする。
慎は台所からオリーブオイルをもってきて、久美子の指に塗った。
手を心臓より高くさせてむくみを抜き、指輪の周りにオイルをのばして優しくもみほぐす。
見るとこいつは真っ赤になっている。指までほんのり色づいて。
こーゆーの慣れてないんだ。知ってるけど。
こいつのせいで今日はさんざんで。
でもこれは役得だな、と慎は心の中でほくそ笑む。
小さくて柔らかな手。白く細い指。
離したくなくなりそうで、慎は少し怖くなった。
重ねる手を離したくならないうちに、ゆっくりと指輪を押し上げてみる。
難なくスルリと抜けた。
「沢田はなんでも出来てすごいなぁ」「ホント、ありがとな」
久美子は赤くなったままつぶやく。
俺がすごいんじゃない、誰がやっても一緒と言ってやってもまだ「すごいなぁ」と繰り返している。
久美子は照れを隠すように
「明日店できれいに洗浄して、返しに行かなくちゃ。うん!!」
と一人元気良くうなずいて、
「ねえ、このお礼、何がいい??」と問う。
慎はぼんやりと考える。
礼はもらったようなものだけど……。
そりゃ、ここで頬を上気させたままのお前を抱き締められたらいいけどな。
不毛な考えに思わず笑いがこみ上げてくる。
自信をつけたこの数ヶ月に、
自信をなくした今日。
「………じゃあ今度またグラタン作りに来て」
笑いながら、グラタンを作りに来いという慎に、久美子は困惑して「はあ?」という反応をする。
そんなもんでいいの??
ていうかまた作っていいの???
炭だ人殺しって言ったのはお前じゃないか。
「……いいけど……なんでグラタン…??」
慎は笑っていた顔を引き締めて久美子を見る。
もう絶対に見失わない。
「しきり直しだ」
真顔でそう言う慎に、久美子はわけもわからずただ「うん」と頷いた。
呼び出したタクシーが階下に到着したので、慎は久美子をエントランスまで送った。
行こうとする久美子を慎が呼び止める。
「お前って、自分の指輪持ってるのか?」
久美子は小首をかしげて「ううん」と答える。
「買ってみたりもしたけど、すぐなくしちゃうんだ。手洗うときに置いてけぼりにしちゃったりとか」
すると、慎が自分の小指のシルバーリングを外して、久美子の手をとりその人差し指にはめた。
「やるよ」
「えっ なんで!?」
それに答えず慎は久美子をタクシーに押し込めてドアを閉めた。
走り出すタクシー。
──と、後部座席の窓が開いて、久美子が顔を出す。
サンキュ!!置いてきぼりにしたりしないからな!!」
大声で叫ぶ声は充分に慎のもとに届く。
……馬鹿。近所迷惑だよ。
慎は頬をゆるめ、タクシーがカーブを曲がって見えなくなるまで見送った。
辺りがすっかり静けさを取り戻して、さあ中に入ろうか、と思う。
身体は疲れているし、眠りたい。
──でも。
あの部屋に戻ったら、きっとあいつの石鹸の香りとか、長い睫毛とか、
すべらかな指の感触がよみがえって、いてもたってもいられなくなるだろう。
ベッドに潜り込むのは、もう少し身体を苛めてからだと決心して、慎は歩き出した。
慎は再び無機質な灰色の機械と対峙する。
吐き出されてくる白球をとらえようとするが、疲れた身体では微妙に振り遅れてファウルばかりを飛ばしてしまう。
それでも先程来たときより何倍も楽しく感じる。
慎はがむしゃらにバットを振り回した。
気障なことをしたと思う。
きっとあいつは笑っているな。
でも。
いつか人差し指じゃなくて薬指にはまるやつを絶対に贈ってやるから。
慎は力を込めてバットを振る。
── 指輪が外れたお姫様と、指輪を外した騎士は、
二人末永く幸せに暮らしました。 ──
……そうなると、いいけどさ。
力みすぎた一振りは芯に捉えるのに失敗して
手のひらを痺れさせたが、それでも慎は笑っていた。
END
■cherry petals 管理人の続木日名様から、慎クミssですv
◎日名様からのコメントです。
テーマは「結婚」か「指輪」ということで。 「指輪」で書かせていただきました。
ウチの慎クミは結婚SSはまだまだ早いわってことですんなり指輪テーマをチョイスしました。
でも考えてみれば、イラスト投稿でもよかったんだから絵で結婚モノを描けばよかったじゃん!
ということに書き上げてから気付きました。
まあでも着物とか大人慎とか上手く書けそうにないし、まあいいや、と思います。
有希さん、皆様、お目汚しをお許し下さい///
そしてそして、せっかくの素敵なテーマなのにしょぼい出来映えでごめんなさい/////
泣
無駄に長いし…。英語は超てきとーです。
へたれ慎です。うじうじしてますねー。しゃらくさいです!!ほんっとごめんなさい。
荒れモードは上手く打てなくて、ウカレモードは天才的に打てるバージョンと、迷いましたが、結局へたれな方向で。苦笑
バッティングセンターって、青春の香りがしていいですよね。
実はウッチーのかわいいくしゃみが書いていて一番ラブかったです。ははは。
かわいいくしゃみウッチーは心広き有希さんに捧げます。笑
◎有希乱入コメント
頂きます!!←飛び蹴り。 えへへ、うっちーのクシャミかわぇぇー有難く頂きました(笑)
えとえと、まず叫びたいのは……(叫ぶなよ)
え、英語、かっこぇぇーーーー!!!!!!てか、日名さん凄いですね!!!有希感動です><v←馬鹿
てか、慎ちゃんだから似合うんだよね〜〜〜コレが、うっちーや、南だったら、わたくし心底ずっこけてましたよ(爆)
へたれ慎ちゃん、ふへへ、大好きですよ〜〜v 両思いも大好きですが、片思いとかも大好物ですv
でもでも、久美子姐さんのことは誰よりも慎ちゃんが分かっているんだなぁ〜というトコロが文の中から
凄くよく伝わってソコが私的に胸が一番熱くなりましたv 日名さんの慎クミへの愛が満タン感じる事が出来ました><v
日名さんへv
うはは〜いvまさか日名さんが参加してくれるとは思ってもみなかったので、初め聞いた時は心底驚き、そして感動でした><v
私も慎クミ大好きですよ〜vいつも何気に違うのかと勘違いされがちなんですが、本命ですよv(ぇ)え
ただ少し皆様と違うのは本命が一つじゃないだけの事です。はい。(えへv)←浮気物で有名人 爆。
いつもウルサイくらいに明るい管理人と、賑やかなpurelyでございますが、これからもサイト共々どうか宜しくお願い致しますv
@@ニヤリ。冬のオフも参加してくれるようで…へへへ、募集かけたらマッハで宜しくお願い致しますネ(笑)
この度は当サイト競作企画に参加して頂き本当に有難うゴザイマシタ!!m(__)mペコリ。 創作お疲れさまでしたっv