時の轍
続編 すれ違う想い
久美子と喧嘩をした。
泣かせてしまった。
悪いのはたぶん・・・俺だ。
デートの最中、いつものように久美子の生徒からS.O.Sが入って・・・。
「ごめん・・・。」
と言って、慌てて走り出そうとした久美子の手を掴み
「俺と生徒とどっちが大事なんだよ!?」
とバカな言葉をぶつけて・・・。
言ってから直ぐに後悔したけれど、一度唇から零れ落ちた言葉は、もう取り戻すことが出来ずに・・・振り返って俺を見た久美子の大きな瞳から、涙が零れ落ちるのを見た。
思わず手を離した俺に
「ごめんね。」
ともう一度呟くと、逃げるように走っていった。
俺は久美子の手の感触の残る掌を握り締め、独り自己嫌悪に堕ちていった。
8月も半分以上過ぎた頃のこと。
夏休みだというのに、どうしてあんなに久美子は忙しいのか・・・補習だ何だと学校へは毎日のように行っている。
休み中だから、生徒たちのトラブルもいつもより多いかも知れない。
しかも、たいしたことはなくても、あいつ等は久美子を使いっ走りのように何かにつけて呼び出す。
例えそれがデート中であろうとも、久美子にとって生徒からのS.O.Sは何にも勝る緊急事態なのだ。
解かってた。
ちゃんと理解しているつもりだった。
自分だって、かつて彼女の生徒であった時にはそうやって守られていたのだから。
だけど・・・久美子の恋人の位置にある今、久しぶりに会えたというのに、あっという間に自分の前から居なくなってしまう彼女に、文句の一つも言いたくなるのは当然だと思うのだ。
喧嘩したあの日も、2週間ぶりに会えて・・・久美子を抱きしめやっとその感触を確かめられた矢先の電話だったのだ。
「夏休みも終盤だから、もしかすると今月最後のデートになるかもしれない。」
そう言っていたのは他ならぬ久美子のほうだったのに・・・。
電話で話すだけじゃ物足りない、触れたい、抱きしめたいと思うのは当然で・・・恋人と呼べる位置に立てたから、そういう権利を持てたから・・・。
久美子は違うのか?
俺に会えなくても平気なのか?
そんなことを考えて余計に自己嫌悪を募らせる。
久美子を責めた自分の、子供さ加減に腹が立つ。
最悪なことにあの日の夕方、偶然見かけた久美子の隣には、あの篠原刑事が並んで歩いていた。
電話で謝るつもりも、霧散してしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
慎を怒らせてしまった。
悪いのは多分私・・・。
久しぶりに会えたデートの日、生徒からの電話に慌てて走り出してしまった。
慎は、「俺と生徒とどっちが大事なんだ!?」と私を引きとめようとしたけれど・・・。
その顔には明らかに諦めの表情が浮かんでいて・・・自分がいつか嫌われるんじゃないかってそう思えた。
私はただでさえ6つも年上で、なのに色気の欠片もないし・・・それに、卒業してから付き合いだしたとはいえ、自分はかつて彼の教師だったのだ。
そのことは、社会的にはあまり褒められたことではないに違いない。
反対に慎は、大学ではその整った容姿で相変わらず女の子には気になる存在のようで・・・それは彼の高校時代、仲間たちに合コンの必須人物としていつも駆り出されていたことを思えば、容易に想像出来ることだった。
あの日私を呼んだ生徒は、ゲーセンでもめていたところを、すでに篠原さんによって助け出されていて、慎を怒らせてまで駆けつけた意味はなかった。
生徒を帰して、急いで慎のところへ戻ろうとしたけれど、面倒をかけた篠原さんに誘われては断われる訳もなく・・・結局その日、慎に会いに行くことは出来なかった・・・。
夜になってから電話をしてみたけれど、電源が落とされていて・・・慎がどれだけ怒っているのかを思い知らされたようで・・・。
次の日には、電話をする勇気が失せていた。
本当は、もうすぐ来る慎の誕生日のプレゼントは何が良いかリサーチするつもりで・・・付き合い始めてから初めての誕生日だから余計に・・・ずっとどうしようかって考えてた。
この間のデートの時に、慎自身に選んで貰おうって密かに思ってもいたのに・・・。
夏休みももう終わりに近づいていて、学校へ出る用も増えてきているから、もしかすると8月中にはもう会えないかもしれなくて・・・。
だからこそ、ちゃんと恋人らしく過ごしたかったのに・・・それはきっと慎も同じだったに違いないのに。
どうやって謝ったらいいか迷っているうちに、慎の誕生日は目の前になっていて・・・悩んだ挙句に手紙を書いた。
直接話をせずに、一方的に送りつける手紙はなんだか逃げているようで気が引けたのだけれど、今の気持ちを正直に綴るには最良の方法に思えて・・・。
慎に何とか謝りたくて、自分の正直な気持ちを伝えたいとそれだけを考えて・・・。
慎へ
いつも我侭ばかりでごめんね。
この間も急に呼び出されて、せっかく会えたのに中途半端なデートになっちゃって。
慎が怒るのも当たり前だって自覚してる。
私、慎の優しさに甘えてばかりだね。
慎が支えてくれているから、自分を見失わずに居られるのに。
自信を持って生徒と対峙出来るのも、慎が教えてくれたことなのに・・・。
本当にごめんなさい。
今の私には謝ることしかできないけれど・・・嫌われちゃうかもしれないって、それも心配だけれど・・・生徒からの電話は放っておく訳にはいかないよ。
そのことは・・分かって欲しいんだ。
それと・・話は変わるけど、もうすぐ来る慎の誕生日のこと。
この間のデートの時、本当はプレゼントをいっしょに選ぼうと思ってたんだけど、結局あんなことになっちゃったから・・・私なりに考えてみたんだ。
で、今年は誕生日前日の夕食をご馳走するよ。
それから、慎が大人になるその時を一緒にカウントダウンしよう。
誕生日は、ずうっと一緒に居るから。
24時間、私の時間をあげる。
校長に何と言われようと、その日は絶対休みをもぎ取るから!
呼び出されるのも嫌だから、携帯も持っていかないよ。
一緒の時間が、私からのバースデープレゼントということで・・・。
もしかして、実家の方でお祝いしてもらうとか、他に予定があって都合が悪かったら、連絡頂戴ね。
29日の午後5時、公園の噴水の所で待ってるから。
じゃあ楽しみにしてる。
8月28日 久美子
朝、学校へ行く前に慎のマンションのエントランスにある郵便受けに入れてきた。
郵便では間に合わないと思ったから・・・。
慎と仲直りしたい、また笑顔で会いたい、ただそれだけを願っていた。
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俺はいったい何に拘っているんだろう。
久美子に連絡もしないで、もう5日になる。
つまらないセリフを吐いた自分がただのバカにも思えてくるけれど・・・あの後見かけた久美子の、篠原刑事に向けていた笑顔が気になって仕方がない。
無視できるほど大人でもなくて、問い詰めて聞けるほど子供でもない、中途半端な自分。
彼女には、どう映っているんだろう。
♪ピンポーン♪
玄関のチャイムに慌てて出れば
「お兄ちゃん、ハッピーバースデーvv」
ナツミが笑顔で立っていた。
(え?誕生日?)
このところの憂鬱な気分で、自分の誕生日のことなんてすっかり忘れていた。
「一日早いけど、私明日は来られないから今日プレゼント持ってきたの。気に入ってくれるといいんだけど・・・。」
と、綺麗にラッピングされた包みを渡された。
「サンキュ、上がれよ。」
「ごめん、せっかくだけど友達と文化祭の準備の為の買い物に行くことになってるの。7時に待ち合わせだからもう行かないと・・・それに、山口先生とデートとかあるんじゃないの?野暮なことはしないよぉ・・・。あっ、そうだ。お兄ちゃん、郵便受けいっぱいだったよ、ちゃんと見ないの?」
そう言って、どさっとばかりに手渡される。
「あぁ、どうせダイレクトメールの類ばっかりだからな。じゃあ、気をつけて行けよ、あんまり遅くならないうちに帰るんだぞ。」
「うん、じゃあまたね。山口先生によろしく。」
ナツミを見送った後、テーブルに手紙の束を載せ、プレゼントの包みを開ける。
小さな香水の瓶だ。
この夏、話題になっていた香りで、メンズとレディスがあるらしい。
二つあるのは・・・久美子とペアで付けろということか・・・。
並べて、テーブルに置いてみる。
光を反射して薄いグリーンの液体がきらきらと輝く。
久美子と喧嘩するまでは、自分たちもこんな風に並んでいた。
例え頻繁には会えなくても、気持ちだけは常に隣にあったと思えたのに・・・。
このままじゃあ、最悪の誕生日になる。
(久美子に謝ろう。悪いのは俺なんだから。)
そう考えて携帯に掛けてみたけど、コール音が聞こえるばかりで・・・。
会いに行こうか・・・でも、何処に居るんだ・・・?
俺たち、もうこんな風に並んで立てることはないのか?
二つ並んで光る香水の瓶を見ているうちに、ふと手紙の束に意識が向いた。
どうせ、読むに値しない物ばっかりだけど・・・。
だが、ダイレクトメールに混じって綺麗な水色の封筒に気付いた。
差出人の名前を見て心臓の鼓動が跳ね上がる。
久美子から手紙だなんて・・・嫌な予感が脳裏を掠めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
慎は来てくれないのだろうか?
手紙は直接届けたのだから、読んでいない筈はないと思うのに・・・時刻はすでに7時半になろうとしている。
まだ怒ってる?
それとも、嫌われてしまったのだろうか?
何時もいつも、会えなかったり、デートの途中で用が出来たりするのは私の方ばっかりだし・・・。
電話してみようかとも思うけれど、公衆電話はここからじゃ見えない。
もし掛けに言っている間に慎が来たら・・・そう思うとここから動けない。
今の自分には待つことしか出来ないんだ、携帯も置いてきたし・・・。
今日は慎に私の時間をあげるって約束したんだから。
あれ?なんか視界がぼやけてきちゃった。
もしかして私、泣いてる?
「ヤンクミ、どしたの?」
「え・・・?」
声に顔を上げると目の前にいるのは担任している生徒達。
こんな時間にまだ制服のままで・・・今迄どこかで遊んでいたのだろうか?
何時もなら『早く、家に帰りやがれ。』なんて言って背中をはたいてやるのに、今日はそんなことも出来ない。
慎が来てくれたんじゃない、そう思っただけでまた涙が溢れてきて・・・虚勢を張ることも忘れている。
「大丈・夫・・だよ。なんでも・・ない・・んだ。」
そう答えるのが精一杯で・・・。
「ヤンクミらしくねえじゃん?」
「話してみなよ。俺たち、ヤンクミの味方よ・・。」
そう言って私の顔を覗き込んで・・・何時も私がするように、ポンポンと頭をたたいてくれる。でも、私はただ俯いて首を振ることしか出来なくて。
生徒達に慰められるなんて、情けないけど・・・でも・・。
(慎、会いたいよ。)
思うのはそのことばかりだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
走って、走ってやっと公園の入り口まで辿り着いた。
久美子からの手紙を読んで、直ぐに部屋を飛び出したけど・・・でもその時点ですでに待ち合わせ時間を2時間半も過ぎていて・・・。
久美子は待っていてくれるだろうか?
あんなひどい言葉を投げつけた俺を、許してくれたのに。
ちゃんと俺の気持ちを解かってくれてたのに。
気付かなかったとはいえ、こんなに待たせて・・・。
(久美子ゴメン。)
心の中でひたすら謝ってみたところで久美子に聞こえはしないけれど・・・。
今日すれ違ってしまったら、きっともう自分たちの関係は修復できない、久美子に愛想をつかされる、そう思うと言い知れない不安に襲われる。
噴水の前・・・久美子は・・・居た。
待っていてくれた。
周りに居る奴ら・・・見覚えのある顔も居る、今の久美子のクラスの奴らだろう。
俺が飛び出していったら拙いかもしれない、一瞬そんなことを考えたけれど・・・でも、今はあんな奴らになんか構っていられない。
「久美子!」
走り寄って抱きしめる。
「久美子・・・ごめん。」
ありったけの心を込めてもう一度言うよ。
「ホントにごめん。泣かせたことも、待たせたことも、みんな俺のせいだ。悪かった。」
涙を湛えた瞳で俺を見た久美子に噛み付くようにキスをして、そしてもう一度強く抱きしめた。
腕の中で久美子が抵抗する。
生徒達が見てる前だ、当たり前か。
だけど・・・
「ちょっとあんた、この間学校に来た奴だろ。」
「ヤンクミ泣かすなんて、どういうことだよ!」
「てめぇ、離れろよ。」
口々にそう言って、俺を睨みつけてくる。
中には俺の腕をとり、引き剥がそうとする奴もいて・・・。
(悪かったよ、お前らの大事な担任泣かせてよ。でも、離す気は毛頭ないぜ。)
この際だから、こいつ等にはっきり自分の存在を見せ付けてやるつもりで言葉を選ぶ。
「これは、久美子と俺の問題だ。お前らには関係ねぇ。大体お前らが・・・」
「慎・・やめて・・・。」
俺を見上げて久美子が制止する。
「お前ら、ありがと。心配かけて悪かった。みっともないトコ見せちゃったけど、私は大丈夫だから・・・。あの・・さっきのことは忘れてくれ。」
こんな風に言う久美子の気持ちも分かるから、彼女を引き寄せることで我慢をした。
おそらくさっきのキスで、こいつ等にも解っただろうし・・・。
「わかったよ、ヤンクミ。けど、また泣かされるようなことがあったら、俺らに言えよ。俺たちがついてるってこと忘れんなよ。」
「じゃあな、ヤンクミ。」
「あんた、今度こんなヤンクミ見つけたら、ただじゃおかねぇ・・・。覚えとけよ。」
そんな捨て台詞を残し、生徒達が帰って行く。
それを見送って、俺は改めて久美子を抱き寄せた。
「慎・・・来てくれたんだ。待ってて良かった・・・。」
腕の中で、久美子が呟く。
「当たり前だろ、悪いのは俺のほうだ。手紙に気付くのが遅くなっちまって、こんなに待たせちまった。ごめん、久美子。」
見上げる久美子の瞳から、また涙がこぼれ落ちた。
と、同時に唇に柔らかな感触。
羽の触れるような軽いキスだったけれど・・・驚いて久美子を見つめた。
彼女から貰ったのは初めてだったから。
だから実感できた、俺は許しをもらえたんだと。
そして気持ちを新たにする。
もっと、もっと大人になろうと・・・。
もう一度久美子にキスを贈り、肩を抱いて歩き出す。
「なあ久美子・・・俺、考えたんだけど・・・。」
「・・・・・?」
「今後・・・二人で居る時に生徒に呼び出されたら・・さ・・。」
「ゴメン・・・悪かったと思ってる・・・でも。」
「分かってる、行くななんて言わねぇよ。ってか行かなかったらヤンクミじゃねぇダロ・・?」
「え・・・・?じゃあどうしたら・・・?」
「そんな時は、これからは俺を巻き込めってことだよ!お前、なんでも自分ひとりで解決しようとしすぎで、俺のこと忘れて置いてきぼりにするから・・・。」
「だって・・当たり前だろ・・?私はあいつ等の先生なんだから・・!」
「だから、一人で行くなって言ってんだ!俺はいつだってお前の傍に居て、助けてやりたいって思ってんだよ!」
そう言った瞬間、久美子は目を見開き俺を見上げて・・・そして何度も大きく頷いた。
「慎・・・ありがとう。」
「やっと分かったのかよ。このニブチンが・・・。」
そんなセリフに、頬を膨らませる久美子が可愛らしくて・・・。
こうして自分の気持ちを正直にぶちまけてしまえば、あんなに辛いすれ違いを生むこともなかったのにと、改めて思う。
「さーて、美味いもん食べに行くぞ。なんたって今日は久美子の奢りだからな・・・。」
「ダーメ!ものすごーく待たせたから、今日は慎の奢り!」
二人顔を見合わせて笑い合う。
これから迎える、誕生日へのカウントダウン。
二人で迎えるそれは、本当の意味での大人へのワンステップ。
久美子を追い越すことは出来なくても、せめて一緒に歩いていきたい。
隣に並び立つ権利をくれた彼女に恥じないように。
二人でいれば幸せでいられることを、ちゃんと伝えながら・・・。
これからも、ずっと一緒に。
End
※ドラマ版慎ちゃん役の松本潤くんの誕生日を意識して書いています。
この作品は以前自サイトで掲載していたものですが、今回B-PEA様にもらって頂くにあたり大幅に加筆修正を加えました。
消化不良だった以前のものより、多少は読み易くなっていると思います。