不慮







(しまった・・・)

そう思って手を伸ばした時にはすでに遅く。



その華奢で小さな身体は、一段下に居た野田を巻き込み、その下に居た南の体躯を掠めて転がるように落ちていった。

すでに階下に降り立っていた内山によって抱きとめられた時には、心底ホッと胸を撫で下ろしたのだが・・・・。

次の瞬間には猛烈な自責の念と、喉の辺りに何か重いものを飲み込んだような違和感を覚えたのだ。





昼休み終了のチャイムを合図に屋上から教室へ向かう途中。

階段を2〜3段降りかけた辺りで

(来るな・・・?)

と、そう思った。

案の定、ヤンクミはいつも癖のようにするその仕草で、俺の背中を叩こうとしたのだった。

予感があったのだから、そのまま受けてやればよかったのに、何故だか無意識に身体がその手を避けていたのだ。

そのせいで、バランスを崩したヤンクミは、あっと思って伸ばした自分の手をすり抜けてしまったのだった。

運動神経抜群の彼女が、まさかあんなふうに落ちるなんて思ってもいなかったから・・・。

だから、手を伸ばすのが一瞬遅れたのかもしれない。



内山に抱きしめられた格好になったヤンクミは、しばし呆然といった顔でその場に固まっていた。

自分がこんな無防備に階段を落ちるなんて、余程のショックだったのだろうか。

「ヤンクミ・・・?大丈夫か?怪我してないか?」

そう覗き込む内山に、はっと我に返った彼女は

「あ、そうだ・・・野田?お前は大丈夫なのか?」

自分が巻き込んだ野田を心配している。

「なんでもないよ、大丈夫。」

そう言って立ち上がった野田を見て、ホッとしたように顔を綻ばせると、やっと内山の腕から離れた。



「あっ・・・つっ。」

いきなり倒れそうになったヤンクミを支えたのは、やっぱり内山で・・・。

「どした・・・?ヤンクミ・・?」

「いや・なんか・・足をひねったみたいだ。」

そう聞いた内山は、無言のままその背にヤンクミを背負って歩き出した。

「ちょっ・・・内山っ。降ろせって。自分で歩けるよ。」

そう叫ぶヤンクミは無視だ。

「保健室までなんだから、黙っておぶってもらえよ。」

「いい男の背中なんて、なかなか経験できねぇだろ。」

軽口をたたいてはやし立てるクマと南。

「仕方ない、おぶわれてやろう。いい男というのはかなり疑問なところだがな。」

そんなふうに、照れ隠しに憎まれ口を言いながら、嬉しそうに頬を染めているのに気持がざわめく。



「あれ、ヤンクミどしたの?」

「階段から落ちたって?ドジな奴〜。」

そんな台詞を吐きながら途中で彼女を見つけたクラスの奴らは、みんな保健室まで付き添うつもりのようだ。

2ヶ月ほど前には考えられなかった光景だ。

教師や大人を拒絶して、信用なんて絶対しなかった。

それが今は、彼女の周りにはこんなに穏やかな笑顔が取り巻いている。



放課後、ヤンクミを心配したクラスメイトたちが、

「「家まで送ってやる」」

と口を揃える。

「や、その気持ちだけでいいよ。たいした怪我じゃないんだから・・・。一人で帰れる。」


そう言って手を振るヤンクミの困惑顔を見かねて、つい言ってしまった。 

「俺が送る。そもそもの原因は俺だし・・・。」

みんなの視線が信じられない言葉を聞いたといわんばかりだ。



ヤンクミの実家が極道の家だということは、たとえ仲間たちにでも話すことは出来ない。


その秘密を守ってやることがヤンクミの教師の座を守ることなのだ。

ただそれだけの気持ちだ。

そのはずなんだ。

でも・・・。



「悪いな、沢田。助かったよ。」

そう言うヤンクミの身体を支えて、一緒にタクシーに乗り込みながら、今日の内山やクラスメイトの態度にイラつく自分を振り返っていた。

この気持ちがなんなのか、答えは未だ出ない。







                    END