聖日
いつもの登校風景。
だが、今朝はほんのちょっといつもと違っていたりする。
今日は2月14日、天下に名高いバレンタインデー。
男にとっても女にとっても、わくわく、ドキドキ、不安や期待の入り混じった一日なのだ。
それは我らが白金学院の生徒にとっても同じことで・・。
「あ〜、なんで俺達男子校なんだよ〜。」
「だよな。」
「共学だったら、チョコの1個・・や2個・・・くらいは・・・・もらえるかも知んねぇのに。」
「なんだよ、その間はぁ。」
「仕方ねぇよ。白金の、それも3Dじゃ開き直りもするってぇの!」
「ヤケクソかよ。」
こんな無意味な会話をさっきから延々しているのは、われらが3Dメンバーの、野田と南である。
「いいじゃん、今年もきっと慎ちゃんが山ほどもらうし。そのおこぼれは全部もらえるんだし。」
「クマぁ、お前にはプライドってもんがねぇのかよ!」
「ダメだって。クマは食欲第一! 食えりゃ誰にあてたチョコだって関係ねぇもん。」
「そうそう、プライドで腹は膨れねぇよ。」
まだ未知数のチョコに想いを馳せて、心底嬉しそうなクマである。
「あ〜、でも今年は慎の奴いくつ貰うんだろ?」
「だよな、いくつ俺に回ってくるかは、今日の最大の関心事だ。」
クマは、まだ見ぬチョコレートを指を折って数えだす始末。
「それは、今年は無理だと思うぜ。」
と、突然会話に加わってきたのは、内山だった。
「えっ!?それ、どういうこと?なんで、なんで?」
チョコレートの分け前にありつけるかどうか、一体いくつ食べられるのかということが今の最大の興味であるクマがうろたえる。
「ウッチー、なんで?」
「おう、なんで?なんで?」
と3つの頭が、内山を取り囲む。
「いや、だってさっき慎の奴、誰かからのチョコレート断ってたもん。」
「え〜!?どこで?」
「見てたのかよ、ウッチ〜?」
さらに3つの頭が近づく。
「あ〜、うん。さっきそこの角まがったところの公園とこでさー。」
と、振り向いて今自分がやってきた方を指さす。
「「それで?」」」
「ごめん。とか、受け取れねぇ。とか言っちゃってるのが聞こえたんだ。」
「えー、なんでだよ!?今までいつでも来るもの拒まずでもらってたじゃねぇか。」
「ってか、受け取った物をそのまま俺たちに回してたけど。」
「ああ、どんな女からのも全部受け取ってたぜ。付き合ったって話は聞いた事ねえけど・・。」
「だよな。」
「「「うんうん。」」」
「あ。」
「「「何?何?」」」
なにか閃いたという風の内山に、他の三人の視線が集まる。
「慎って、もしかして・・・。」
「なんだよ。」
「誰か好きなやつでも出来たんじゃねぇ!?」
「それで、その女以外の奴からは受け取らねぇとか?」
「それとも、俺たちに隠してる彼女でも出来たとか?」
「「「あり得るかも!!」」」
そう頷き合った三人に対し、一人悲愴な顔をしているのは、クマで・・。
それは勿論、今年は慎からのおこぼれのチョコレートが貰えなさそうだという事実に直面したからに他ならない。
例年通り、両手いっぱいのチョコレートを期待して登校してきたクマにしてみれば(毎年慎が貰うチョコレートの殆どをもらっていた)今の落胆ぶりは可哀そうなくらいだ。
三人はしぼんだ風船のように元気のなくなったクマを、そこから引きずるようにして学校まで行かねばならなかった。
さらに、野田と南は、頼まれて受け取ってしまった慎宛のチョコレートをどうしたらいいかと、悩ませられる破目になったのだ。
さて、噂の張本人の慎はといえば、本日4人目となるどこかの女子高生のチョコレートを断り、校門までたどり着いたところで、再び見知らぬ誰かに呼び止められたところだった。
さすがに一人で白金学院の近くで待っているのには抵抗があったのか、友人なのであろう同じ制服の三人の塊の中から、一人がおずおずと進み出て慎の前に立った。
「受け取ってくださるだけでいいんです。」
そう蚊の鳴くような声で告げる彼女に
「悪ぃけど、受け取れねぇ。」
そう言って立ち去ろうとする慎。
「あの・・・。」
涙声でその女の子が呼び止め、そして、
「受け取ってくれるだけでいいって、言ってるのに!」
と、様子を見守っていた友人から声が掛かる。
その声を背中に受けた慎は、
「俺には好きな奴がいる。そいつ以外からはもらわねぇって決めてるんだ。」
そう言い捨てて校門をくぐった。
慎の頭からは、今までチョコレートを持って告白してきた女の子たちの顔は露ほども記憶に残ってはいない。
ただ、去年と違うのは、自分に想い人ができ、彼女たちの切ない気持ちとか想いとかそんなものに考えが及ぶようになったことだ。
だから、ただ受け取るだけでそのまま自分の友人たちに回すような、そんなことが出来なくなった。
自分にその気がないならば、ほんの少しの希望でも持たせないほうが、当人の為だとそう思ったのだった。
それにしても、何も知らない自分のことを好きだとか、付き合ってほしいとか・・バレンタインデーだか何だか知らないが、簡単に言ってくる神経が理解できない。
自分の友人たちも、合コンだなんだと大騒ぎしているが、それだって一応会って、話して、気が合えば遊びに行こうと、そういう順序がある。
ただ町で見かけて、ちょっと気になったとか、一度くらいは合コンで会ったことがある程度の女から告白されたところで、鬱陶しいだけなのだ。
校庭から見上げた校舎には、自分の想い人がいるはずだ。
いつも笑顔で自分らを迎えてくれる、太陽のような彼女が・・・。
何にでも一所懸命で、誰にでも誠実で・・ドジで破天荒で、少し自分勝手な思い込みが過ぎて・・・それでも、自分を惹きつけて止まない彼女が・・・。
本当に一年前の自分からは考えられない。
まさか、教師という職業の女に惚れるなんて!
けれども・・否、だからこそ、この恋は本物だと言える。
自分の中の弱さや、甘えや子供さ加減や、何もかもを知られた上で、そして彼女の正義感や、破天荒さや、さらには強さの中にある弱さや、そんなものを全部ひっくるめて彼女に惹かれたのだから。
慎は、再び校舎を見上げ、そして口元に珍しく笑みを湛えながら、校舎の中に入って行った。
その日の教室の中は、ちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。
何故ならば、クラス全員の机の中にチョコレートが忍ばせてあったからで・・・それはもちろん担任教師からの愛情の賜物だったのだけれど・・。
そして、それを発見して、改めて生徒たちは今年の担任が女だったのだと再認識したのだった。
「なんだよ、これ。」
「だよな、きっと勝っト!って・・・。」
「メーカーの回し者かよ。」
等々、不満そうなセリフではあるが、皆が嬉しそうな顔なのは間違いがない。
それに、そのチョコレートには、生徒一人一人に宛ててメッセージカードが付されていた。
曰く、【希望大学合格祈願!】、【就職という人生の荒波を乗り越えろ!】或いは、【社会に出てゆくお前に祝福あれ!】など・・どれも、これから卒業し、就職や進学などでバラバラになってゆく生徒たちへの応援メッセージで。
最後には一様に【迷ったり、弱ったりした時はいつでも遊びに来いよ。】と、そう記されていた。
彼らは互いにそのカードを見せ合い、チョコレートを頬張っていたのだった。
そんな騒ぎの中、教室に最後に入ってきたのは慎だ。
慎も他の生徒同様、机の中のチョコレートとカードを見つけ、メッセージを読み終えると大事そうに鞄の中にしまいこんだ。
そんな彼の元に、6人のクラスメイトが近づいてきては、手にしたチョコレートの包みらしきものを置いていく。
「慎、これ・・学校へ来る途中で預かったんだ。桃女の制服着てたぜ。」
「俺も預かり物。俺のは・・白百合学園の制服着てた子からのだ。」
そんな風に一言づつ説明しては、慎の前から去っていった。
その後、慎の机の周りに集まったのはいつものメンバーで・・・野田と南は、自分が預かってきた包みを、紛れ込ませるようにこっそり置き、慎の反応を窺いつつ、さりげなく一歩後ろに下がった。
「慎、そのチョコどうすんだよ?お前、今朝直接渡されたやつは断ってたじゃん。」
そう言う内山をちょっと驚いた顔で見上げつつ、慎は思案顔だ。
クマはそんな慎を心配げに見守っている。
彼にとっては、そのチョコレートの行方が一番気になることだからだ。
慎は大きな溜息を一つ吐くと、独り言のように呟いた。
「どうすっかなぁ〜。やっぱ返すべきかも知んないけど・・・探すのも面倒だし・・。かと言って受け取る気もねぇしなぁ・・・。」
「だったら、慎・・・。」
と、クマが言いかけたところで
「はーい、お前ら席に着けよ〜。ホームルーム始めるぞ。」
久美子が元気よく教室に入って来た。
それを見てしぶしぶといった風に各々の席に戻る面々。
それとは対照的に、慎は慌てて机の上の包みを片付ける。
慎の、そんな不審な態度に久美子一人が気付いていた・・・。
その日の、昼休みも終わりに近付いた頃、慎は一人屋上へと上がってきていた。
朝、よく晴れていた空にはいつの間にか雲が垂れこめ、今にも雪が降り出しそうに、鉛色に変わっていた。
それだから、もちろん気温も低く寒さも相当なもので・・他には誰もこんな所にはやってきては居ないし、来そうにもなかった。
それでも、慎は辺りに人がいないのを慎重に確かめると、いつものベンチに腰をおろした。
そして、いつの間に鞄から移してきたのか、ポケットから久美子からのチョコレートを取り出すと、改めてカードを読み返す。
【春からの新生活、気を入れて頑張れよ!ヤル気を見せろ!!】
「ありきたりなこと書きやがって、つまんねぇ。」
「なんだと!?文句を言ってるのは、この口か!?」
いつの間に上がってきたのか、久美子に言葉じりを捕らえられ、頬を摘まれたりしている。
「やめろ。」
慎は、そう言うなり久美子の手を取り自分の横に座らせると、その身体を抱き寄せた。
そうして、耳元で囁く。
「誰彼かまわずチョコ配ってんじゃねぇぞ。俺だけにしとけ。」
「フフ、沢田君、それはヤキモチという奴かね?」
「ば〜か、ちげぇよ。」
「そうだよな。お前は私じゃなくても、チョコレートくれる女の子、いっぱいいるみたいだし?」
「朝のあれ、見たのか?」
「見えるだろ、普通。」
慎は、久美子を抱く手をほんの少し緩めると、彼女の前でうなだれる。
「ごめん。でもあれは、俺が受け取ったやつじゃねぇから。」
「分かってるよ、ちょっと言ってみただけ。」
「くそ。分かってんなら、言うなよ。」
「分かってるけど・・結局はたくさんもらったんだから、もう要らないだろ?」
「何が?」
「私からのチョコレートvv」
「要る!要るに決まってんだろ!」
少し焦り気味に抗議する慎。
「そっか、素直でよろしい。それではそんな沢田君にご褒美をあげましょう。」
そう言って慎から身体を離し、久美子が取り出したのは、綺麗にラッピングされた小さな包み。
「頑張って作ったんだぞ。形は不細工だし、悔しいけど味のほうも、多分・・・普通だ。だけど、愛情だけはたっぷり練込んであるからな。」
少し赤くなった頬で、照れくさそうに言いつつそれを差し出した。
「ヤンクミ、サンキュ。」
慎はそれを嬉しそうに受け取り、素早く久美子の頬に口づけると、リボンに挟まれているカードに目を遣る。
【これからもずっと、二人で一緒にいられますように。】
きっとこれが、慎が一番欲しかったメッセージ。
ずっと一緒に居たいというのは、慎にとっても一番大切なことなのだ。
「ヤンクミ、このメッセージ、俺も同じ気持ちだ。ホントに、マジずっと一緒に居られたらいいな。」
「うん。」
そんな言葉を交わして見つめ合う二人に、静かに雪が舞い落ちる。
次第に激しく落ちてくる雪に隠れて・・・慎はそっと久美子の唇にキスを落とした。
優しく、体温を与えるような、包み込むような愛を込めて・・・。
そのキスは、今まで食べたどんなチョコレートよりも、甘く深く慎の心を蕩かした、
朝、クラスメートが受け取ってしまったチョコレートは、結局そのまま級友たちのものとなり、分け前を多くもらったクマは、ホクホクとした幸せそうな顔で家路に就いていた。
そして、チョコレートを一つも受け取らなかった慎には、内山と野田・南から、
「好きな女でも出来たのか?」
「彼女が出来たんじゃないのか?」
等と厳しい追及がなされたが、
「秘密だ。」
と、慎にはそう一言でかわされてしまったのだった。
ただ、「秘密だ。」とそう言った時の慎の顔で、三人ともが答えを得たと感じたという。
END