火傷
コンビニの袋を手に自分の部屋に戻った慎は、玄関で手を差し伸べてその袋を受け取ってくれるはずの久美子が、キッチンの流しに凭れて俯いているのを認めて、慌ててその顔を覗き込む。
目を合わせられないといった風の久美子の手には、割れたマグカップが握られていた。
いつか二人で行った神山神社の夜祭で開かれていた陶器市。
慎がその深い緑の色合いに惹かれて買った、夫婦茶碗ならぬ夫婦マグカップ(?)
『手作りの一品物で、同じものは何処にも売っていないよ。』
と、店主は言っていた。
普通大きな方が男性用で、小さいほうが女性用・・・でもこの二人の場合は大きな方を久美子が使っていた。
少し猫舌気味の久美子は、コーヒーにはいつもたっぷりのミルクを入れて、カフェオレにして飲むのが好きだった。
一方慎は、いつもブラック。
そんな理由からだったのだけれど・・・。
そんな久美子のために、慎がコンビニで買ってきたミルクの袋は受け取られることなく、テーブルの上に置き去りにされていた。
「久美子、どうした?」
聞くまでもない。
彼女が目を合わせらないのは、マグカップを割ってしまったから。
割れたのは小さいほう、慎のカップだった。
あまり物には執着しない慎だが、このマグカップは彼のお気に入りだった。
そのことは久美子もよく承知のことで・・・お気に入りにしている理由が、久美子と一緒に初めて買ったものだからだということには思い至っていないのだけれど。
「慎・・・ごめ・・・ごめんね。このカップ・・さっき流しで落として、割っちゃったんだ。慎の・・お気に入りだったのに・・・ごめんなさい。」
そう言う久美子は今にも泣きそうだ。
「そんなことより、手、見せてみろ。」
割れたカップを握り締めている久美子の、左手の中指と薬指の先が真っ赤だ。
「ばかやろう、火傷してんじゃねぇか。」
慌てて手を取り、蛇口の下へ持っていく。
とりあえず水道水で冷やさなければ・・・。
「大丈夫、自分で出来る・・・たいした火傷じゃないんだ。そんなことより、慎のお気に入りのカップ割っちゃって・・・ホントにごめん。」
冷えてきた久美子の手をそっとタオルでぬぐってやり
「痛いか?」
そう言って唇で優しくなぞる。
思わず手を引っ込め、逃げようとする身体を抱きこむと、耳元でそっと呟いた。
「形あるものは必ず壊れるよ。それに幾ら気に入っていたからって、ただのカップでしかないし、代わりは幾らでも見つけられる。それよりもお前の方が大事なんだ。絶対に代わりなんかいねぇからな。」
「慎、ごめんね。ありがと。」
数日後、以前のものとそっくりなデザインのマグカップを久美子が見つけ、慎へプレゼントしたのだったが・・それは漆黒に近い藍色だった。
そして、今回のものもペアで売られていたため、残っていた久美子用のカップは当然その役目を追われ、今では洗面所から二人を見守っている。
二本の歯ブラシとともに・・・。
END