慈愛
土砂降りの雨の中を必死で走る。
まさか梅雨に入った途端、いきなりこんな激しい降りになるとは思ってもいなかったから・・・。
(あいつ・・・今頃どうしてるだろう?)
簡単な雨よけは作ってやったが、この降りじゃあまり役に立ってはいないだろう。
内山が今走っている訳は、数日前、放っておけずについ拾ってしまった仔犬のことが心配だったからだ。
拾ったものの、母親と二人暮らしのアパートに連れて帰るわけにはいかなかった。
だから、公園の大きな木の下に即席で小さな小屋を作ってやり、鎖が届く範囲には、少しくらいの雨ならよけられる位の簡単な屋根もつけてやった。
餌は毎朝、自分が学校へ行く前に持っていってやっていたし、帰り道にもちょくちょく寄っては遊び相手になってやったりもしていた。
(そのうち、ちゃんと里親を探してやっからな・・・。)
そんな風に考えていた矢先の、今日の土砂降りだ。
今頃は濡れ鼠になっていやしないだろうかと、それが心配で・・・。
さっきから稲光が見える。
まだまだ遠いようで、大きな音は聞こえてこないが、もしかするとこれから近づいてきて、あいつを怯えさせるかもしれない。
(とりあえず今日は家へ連れて帰ってやろう。明日は土曜日だから、ちょっとリキを入れて里親探しでもしてみるかな・・・)
走りながらそこまで考えて、公園に辿り着いた。
が・・・。
仔犬が居ない。
首輪も付けて、ちゃんと犬用の鎖で縛ってあったから、逃げ出すはずはないのに・・・。
いや、見る限りでは自力で逃げたと言うよりは、誰かが首輪のところから金具を外して連れて行ったようだった。
鎖だけが、寂しげに置いてけぼりになっている。
(親切な人に貰われていったのならいいんだけど・・・。でも、誰が・・・?)
一応傘をさしてはいるが、すでに膝から下はずぶ濡れだ。
そんな激しい雨の中、内山は必死で辺りを探し始めた。
雨に気付いて直ぐに走ってきたから、可愛そうに思って誰かが連れ出したのなら、それほど遠くへ行ってはいないはず・・・。
それとも・・・降り出す前から、連れて行かれていたのか・・・?
いずれにしても、今の彼には探してやりたいという考えしかないようだった。
公園内を走り回り、外れに在る噴水の脇を抜けようとしたとき、傍にある東屋にふと意識が向いた。
というより、声が聞こえた気がしたのだ。
仔犬のではない、いつも元気のいいあの担任教師の・・・。
(ヤンクミ・・・?)
近づいてみればやはり、見慣れた彼女の後姿。
「ヤンクミ、こんなとこで何してんの?」
振り向いた久美子のジャージの中、ファスナーの隙間から、捜し求めていた小さな頭が覗いたのを見つけて、内山はほっと息をついた。
と同時に久美子がココに居た理由にも合点がいった。
「おう、内山。お前もこいつが心配で迎えに来たんだな。よかったな、お前のご主人は人でなしじゃなかったぞ。」
前半はもちろん内山に向けて、後半は自分の腕の中の仔犬に向けて、久美子は優しい言葉を紡ぐ。
「なあ、ヤンクミ、お前傘は?」
「いや、私が学校を出てきた時はまだ降ってなかったんだ。空が真っ黒に見えたんで、きっと夕立になるだろうと思って、こいつを迎えに来て、で本降りになる前に帰れると思ったんだけどなぁ・・・いきなり土砂降りになるんだもん、どうしようもなくてさー。」
「ヤンクミ・・・サンキュ。んじゃ、とりあえず相合傘で学校まで帰りますか。この降りじゃ、いつ上がるかわかんねぇし。」
「おっ、気が利くねぇ〜内山君。」
そんなことを言いながら、内山を肘でつついてくる。
「なぁ、お前のご主人は優しい奴だな。ずっと飼ってもらえるといいけどな・・・って、内山ぁ、お前んちじゃ飼えねぇだろ。この子、どうするつもりだ?」
「ああ、明日にでもこいつを飼ってくれる人を探してみるつもりなんだ。」
「それって心当たりあるのか?」
「いや、でも今のまんまじゃこいつが可哀相だし、何とかしてやらねぇと駄目だろ。ちゃんと安心して暮らせるところが必要なはずだし。」
「そうだな・・・でも、そういうことをちゃんと考えてやれるお前は偉いよ。よし、私も一肌脱ごうじゃないか。こう見えても結構顔は広いんだぞ。」
こんな風に、学校まで話をしながら一緒に歩いた。
相変わらず、雨は酷い降りで、内山は久美子をかばうように傘を斜めに差しかけていたから随分と濡れてしまった。
それでも、久美子が自分をちゃんと見ていてくれたことが素直に嬉しくて、仔犬のことも彼女には知られていないと思っていたのに、自分よりも先に気にして迎えに来てくれていた。
そのことが、びしょ濡れの身体を気にさせないほど嬉しかったし、そんな彼女を好きだと改めて認識させてくれたのだった。
翌日、連れ立って仔犬の里親探しをした彼らは、見事に飼ってくれる人を見つけられた。
時折、この仔犬の遊び相手になってくれていた小学生の女の子が、自分が面倒を見るからと言って親を説得してくれたのだ。
もちろん、内山と久美子も直接その子の母親に会って、頭を下げ『くれぐれもよろしく。』と頼んできた。
「なぁ、内山・・よかったな。あの子ならきっと可愛がってくれると思うぞ。お母さんも優しそうな人だったし・・・安心しただろう?」
内山は、久美子が自分よりもあの女の子と親しげだったのに驚いていた。
それだけ久美子があの仔犬のことを気にかけてくれていた証拠なのだから。
「なあヤンクミって結構暇人なんじゃねぇ?おせっかいだし、なんにでも首を突っ込みたがるし。」
「なんだとぅ・・!?このぉ内山、てめぇは恩を仇で返すような言い方しやがって!待て、このー!」
「待つわけねぇだろー。へっへーんだ。」
素直に感謝の言葉が言えずに、こんな風に久美子をからかって、遊んでみる。
それに反応して、すぐに頬を膨らませる担任がかわいらしくて、ふざけあうのも心地よくて。
こんな久美子との掛け合いが、寂しさにちょっと落ち込み気味だった内山の心を、埋めてくれたようだった。
END