策略
「おーい、慎。帰るぞ〜。」
放課後、散り始めたクラスメイトたち。
内山に声を掛けられた慎は、
「いや、俺ちょっと野暮用・・。」
そう言って顔の前に手をかざす。
「ふ〜〜ん。分かった、じゃあな。」
訳知り顔で頷くと、不満顔のクマを(いいから・・・帰るぞ)と、そんな風な台詞で引きずるように教室を出て行った。
野田も南も何も言わずに手を振る。
そんなみんなに手を振り返し、腕時計で時刻を確認すると、慎は所在無げに溜息を一つ吐き出し自分の椅子に背を預けた。
今日は職員会議も無いから、もう直ぐ彼女は戸締りの確認をしにここを訪れ、帰路につく筈。
そしてきっと脱履場まで行って、初めて雨に気づくのだ。
1時間ほど前から降り始めた雨は、今は傘なしでは歩けないほどの本降りになっていた。
学校の中にいると外部の物音は殆ど聞こえない。
特に騒がしい3Dの中では・・・。
戸締りの時だって、高い位置に小さな小窓があるだけのこの教室では気づかないことも多い。
施錠されているのを目視確認するだけの、開けられることの無い小窓だ。
(ヤンクミのことだから、きっと置き傘なんてそんなものは無いだろう。朝はいい天気だったから、持って出てきているとも思えないし。)
慎はそんな風に考えて、今、久美子を待っているのだった。
もちろん、彼女を送ってやるために。
いつからだろう・・・彼女を守ってやりたいと思うようになったのは・・・?
純粋で強い魂に惹かれた。
大人と子供が同居しているようなアンバランスさの中に、純真さを見た。
いつの間にか信頼できる教師というだけでは括れなくなった教師という名の一人の女。
今はまだ、このぬるま湯のような関係を大切にしたいから、自分の想いを告げるつもりは毛頭ないが、それでも彼女といる時間を少しでもたくさん持ちたい。
どんな言い訳じみた理由でも、こじつけのような理由でも、彼女と一緒に居られれば単純に嬉しいのだ。
慎はそんな自分に自嘲しながらも、一途に彼女を想っていたのだ。
「あれ・・・?沢田、まだ居たのか・・?」
久美子の声にぼんやりと目を閉じていた慎が覚醒する。
目を開けた瞬間、思ったより近くに久美子の顔があってうろたえる自分をポーカーフェイスで隠して、
「ちょっと考え事してたんだよ、悪いか。」
と、そう憎まれ口を吐いてみる。
そうしている間にも、久美子はさっさと戸締りの確認を済ませていた。
「さてと・・・帰るぞ沢田。脱履場で待ってるからなぁ〜。」
そんな、待ってましたの台詞を残して久美子は教室を出て行った。
自分のこの気持ちに彼女が気づくことは無いだろう。
少なくとも彼女の生徒で居るうちは、自分も今の立場を変えるつもりは無いから・・・。
だから今は少しでも彼女と一緒に居よう。
それがたった一つ許されたことなのだから。
(内山たちにはあっという間にばれちゃったけどなぁ・・・。)
慎はほんの少し笑みを浮かべながら、傘を手に脱履場に向かった。
「あ〜〜、雨じゃん。沢田ぁ、傘持ってる?」
(ほらな、やっぱり・・・)
慎はこんな風に自分の考えどおりの台詞を言ってくる久美子が可笑しくて仕方が無かった。
「うわ、こら沢田、お前今笑ったろ。にくったらしい奴だな。もういい、一人で帰る。」
ぷいと横を向いて雨の中を走り出そうとする久美子の肩をそっと引き寄せる。
「風邪引くぞ・・・。」
そう言って相合傘で歩き出す。
もちろん彼女の家まで・・・こうして・・・。
直ぐに左の肩がびしょ濡れになったけれど、そんなことは気にならない慎だった。
END