春近し








「沢田じゃないか!?今日は一人なのか?」
振り向けば、いつもの笑顔でヤンクミが走ってくる。
学校帰り、友人たちの誘いを断って、一人で歩いている途中だった。
真冬の、今にも雪が降り出しそうな重い色の空なのに、彼女の声が聞こえただけで周りが明るくなったような錯覚を覚える。
実を言えば・・ヤンクミと二人になれる時間と場所を探して、待ち伏せのようなつもりでここに居た。
今日は、教師の彼女にも珍しく業後の仕事が何もないことを知っていたから、これぐらいの時間にはおそらくこの辺りを通るはず・・そんな目論見が見事に的中したわけだ。


3年生の担任であるヤンクミにとって、この時期は多忙の一語に尽きる。
受験のための内申書作成に始まり、まだどこにも合格してない者への進路指導もある。


就職を希望する者たちへの推薦書も書かねばならない。
それ以前の問題として、あまり評判の良くない白金の生徒たちのことだから、就職先を探すこともかなり大変で・・・何にでも、誰に対しても一所懸命な彼女だから、毎日夜遅くまで何やら頑張っているのを、自分たち3Dメンバーは知っていた。
だから、こうしてヤンクミを下校途中に捕まえられるという、そんな幸運な日はめったにあるものではなかったのだ。

3学期の・・2月の下旬になれば、受験が終わった者や就職が内定している者は登校の要なしとなる。
自分も既に受験を終え、進学先も決まっているから、登校すれば普通にヤンクミに会えるという時間も、もう残り少ない。
卒業したら・・晴れて彼女の生徒でなくなったら・・今まで胸にしまってきた想いを打ち明けようと決めている。
だから、卒業は待ち望んでいたことのはずなのに、彼女の生徒でいられる時間もとても大切なもので・・・終わらせたくない気持ちも、また本心だと言える。
楽しくて、バカなこともして、痛い思いもした・・・けれども思い出すと思わず笑みが漏れるような、そんな日々。
この1年こそが青春だったと、それこそ歯の浮くようなセリフが出てきそうな、輝いていた日々。
それも全てヤンクミが居てくれたおかげなのだ。
学生時代で一番充実していたこの1年は、ヤンクミが与えてくれたものなのだ。

そんな温かな時間も、この関係ももうすぐ終わってしまう。
終わらせたい気持ちと、終わらせたくないという気持ち・・こんな矛盾した思いを抱えながらここ数日を過ごしていた。


「沢田、一人で帰るなんて珍しいんじゃないか?」
無邪気な顔でヤンクミが見上げてくる。
「いや、最近はそうでもねえよ。」
「そっか、そうだな。受験組と就職組じゃ、下校時間に結構差が出るもんな・・。」

「ああ。」
「でも、今日は何にもなかっただろ、確か・・・?」
「いや、俺ちょっと寄るとこあったから・・。」
なんか、ウッチー達にもヤンクミにも苦しい言い訳だなと思わないでもなかったが、ともかく、ヤンクミと二人で帰路に就くという当初の目的を果たせて、少しばかり気分がいい。
「なんか、楽しそうだな。」
と、鋭く突っ込んでくる彼女は、この際無視だ。

なんとなく二人で並んで歩きだす。
何も会話を交わさなくても、ヤンクミの隣に居られるというその事実だけで、なんだか心が落ち着く。
決して癒し系のキャラクターではなく、どちらかといえば周りまで巻き込むトラブルメーカーのような気がするのだが、それでも、彼女の存在に自分は確かに癒されているのだ。

と、急にヤンクミがすぐ横の公園の方向へ走り出した。
慌てて目で追うと、10mほど先で振り返り、
「沢田! あそこのベンチでちょっと待っててくれ。」
そう言い置いて、その先にある神社のほうへ駆けて行ってしまった。
(まったく・・行動に予想のつかない奴だな)
思いつくと、もう他のことなど考えられず突っ走っていってしまうところは、相変わらずだ。
そんな彼女に振り回された1年でもあったけれど、それ以上に自分たち生徒は彼女に守られてきたのだと、それは紛れもない事実で・・・。
それは、クラスの全員が同じ認識だろうと思う。
(とりあえず、待ちますか)
公園の、ヤンクミが走って行ったのとは反対側の、小さな東屋にあるベンチに腰かけた。


携帯が小さく震えて、
[時間が出来たら合流しようぜ。いつものゲーセンにいるからサ]
そんなメールがウッチーから届いていた。
(悪ぃけど、行かれねぇわ)
と心の中だけで呟く。
せっかくヤンクミを捕まえたのだ、こんな貴重な時間を無駄にはできない。

「沢田、お待たせ。」
いつ戻ってきたのか、そんな言葉とともに、目の前にタコ焼きが差し出された。

「あっちの神社の境内でテツたちがタコ焼き焼いてるって思い出したから、ひとっ走り行ってきちゃった。遠慮すんな、私の奢りだ。」
「って、どうせ貰って来たんだろ。威張んな。」
「ほー、沢田くんはそういうこと言うんだ。だったらあげない。」
そう言ってむくれるヤンクミは無視して、箸を手にパックを開ける。
冷たい空気に、タコ焼の温かな湯気が立ち上って美味そうだ。
その湯気にヤンクミの眼鏡が曇って、ちょっと食べにくそうにしているのが、可愛らしい。
たまに本当に年上なのかと疑いたくなる時がある。
「沢田、美味いな。」
語尾にハートマークでも付いていそうなくらい、ホクホクした顔。
「熱っ!」って、分かり切っているだろうに。
(子供か、お前・・)なんて突っ込みたくなったり、思わず噴き出しそうになれば「笑うな!」とか怒るし。

ヤンクミとの他愛のない会話、何気ない仕草、そんなものが自分を幸福で満たしてくれる。
彼女はやはり俺のトランキライザーらしい。


「山口先生、生徒と二人っきりで、こんな所でデートですか!?クビですよ、クビ!」


(猿渡・・?)
と振り返れば、東屋の柱の陰から覗く顔が4つ。
「お前ら、脅かすんじゃねえよ!」
ヤンクミの抗議の声に、
「似てるだろ、俺!?」
そうはしゃぐ野田。
「慎だけズルイぞ。俺にもタコ焼きくれよ。」
と、クマから抗議の声が上がり、
「「「俺も、俺も!」」」
残りの3人の声が見事にユニゾンする。
悪友たちの出現に(やっぱ邪魔が入ったか・・・。)と、そう心の中だけで呟くしかなかった。


「しょうがないなぁ・・・。ほら、一緒に行ってやるよ。」
とヤンクミが立ち上がり、クマが「いよっしゃ!!」とガッツポーズをし、二人で神社のほうへ歩いて行った。
野田と南が
「俺、コーヒーも欲しいな。」
「俺は、ミルクティー。」
などと好きなことを言いつつ見送っている。
その横で気遣い屋のウッチーだけは
「慎、ごめん・・・。でも、ヤンクミ独り占めはずるくねぇ?」
と、牽制するのも忘れない。
その言葉に小さく笑みで返し
「邪魔なんだよ。」
と、パンチを繰り出してやった。
「あー、慎とウッチー楽しそうじゃん。」
「何、何、なんか揉め事??」
速攻混ざってくる、野田と南。
「お前らうるせえ。」
「えー、慎ちゃん冷た〜い。」
仲間たちの笑い声が響く。
「あ、雪だぜ。」
ウッチーの声にみんなが空を見上げて、また歓声が起こった。

こんな風に、あっさりとヤンクミとの時間は幕を下ろしてしまったが、ヤンクミや仲間とつるんで居られるのも、後暫くの間だけなんだなと、感傷的な気持ちも湧いてきて・・・卒業までの僅かな日々を楽しんでやろうと、改めて思ったのだ。
そしてそれは、ウッチーを始め、他の奴らも同じみたいだった。



END