お前を好きになっていく気持ちは幸せだけど。

 お前を好きになってく俺は不幸だと思う。

 
 ライバルは手強すぎて、俺が適うとは思えない。

 なのに諦める事なんか出来ない。

 1分1秒ごとに増していく。


 よく変わる表情を見ている時も、目の前に居ない時も女を思い出す。
 
 気持ちばかりが痛い位の幸福感に膨らんでいって。

 破裂しそうな俺は不幸だ。


 幸せ?

 生徒から恋をされて、それに気付かないでいて、センセーは幸せ?

 


 薄っぺら凶器






 「っくそ・・・・」

 教室に1人。

 日向は数学のプリントと睨めっこしていた。

 
 「裏切りものめ・・・・・」

 毒づいたところで相手にしてくれる人は誰も居ない。


 山口が問答無用で行った数学の抜き打ちテスト。

 傍目から見ても明らかにまともに授業を受けていない3ーDの生徒達はそれは見事な点数をとった。

 ソレを予想していた山口は更に問答無用で補習をする事にした。

 
 当然、3ーDの良い子達は逃げた。
 
 しかし運悪く、日向1人が捕まってしまった。

 ちなみに彼の鞄の中には只今にらめっこ中のプリントと同じ物が4枚入っている。

 
 「アイツ等にだけでも渡しといてくれ」

 明日、朝イチにでも。

 そう、凄みのある笑顔を浮かべた山口に押し付けられた。


 「絶対、渡せよ?」

 断り様が無かった。

 

 「分かるワケね〜じゃんよ〜」

 
 机の上に突っ伏して思いっきりダレる。

 こっそり逃げてしまいたかったが。

 

 「後で見にくるからな。逃げたら・・・・・」

 山口にそう言われれば、従うしか無かった。

 

 「・・・・・・いつ帰れんだよ・・・・」

 
 帰りのHRが終わって大分経った。

 裏切り者な親友どもを恨めしく思う。

 

 「眠いし・・・・」

 うとうとしていたら教室の扉が開いた。

 

 「日向。どうだ、少しは出来たか?」

 「・・・・・」

 

 教室に入って日向に近付きながら山口が問う。

 日向の補習が終わったらすぐに帰るつもりなのか、何時ものジャージから私服に着替えていた。

 日向は机の上でだらけたままソレをぼんやり見ている。


 

 「やっぱり・・・・」


 

 落書きで白い面積が若干減っただけの数学のプリントを見下ろして山口が溜め息を吐いた。

 

 「で〜きるワケないじゃんよぅ」

 ようやく身体を起こした日向が右手のシャーペンを回しながら言った。

 

 「判ってたけどな・・・せめて教科書引っ張り出すくらいの努力をしてくれ」

 「・・・・・・にゃ?」


 

 少なくとも鞄の中には無い、机の中にあるかどうかも分からない

 教科書の事を言われて視線を泳がせながらふざけてみる。

 日向の頭の上から溜め息が降ってきた。続いてガタガタと椅子を移動する音がする。

 山口が日向の正面に山口が向かい合って座ったのだった。

 彼女の右手には赤いボールペンと白い安そうなシャーペンが握られている。

 そして左手には、何かの プリント。

 ミスプリントか何かなのか、ソレの白い面を上にして机の上の数学のプリントの横に置いた。

 日向は、近くなった山口との距離にプレッシャーを感じて顔が上げられなかった。

 

 「先ずは説明するから。その後、自分で問題やってみろ。解らなかったら遠慮なく訊いていいから」

 

 山口の声が、近い。

 

 日向が視線を落としていた先のプリントの白い方に、山口がシャーペンで数式を書いていく。

 それらは全く理解出来ないものばかりだったけれど。

 山口の声が一生懸命だったから日向はソレを理解しようと黙って聴いた。


 日向は、決して優秀とは言えなかったけれど。

 

 「・・・・よし!そうだ。なんだ、やれば出来るじゃないか」

 

 一問ずつ、正解に辿り着く日向を嬉しそうに褒めるに山口をもっと見たくて

 気が付くと四苦八苦しながら数学のプリントと戦っていた。

 

 「よし。良くやったな、日向」

 

 問題数自体あまり多く無かったプリントの最後の一問に赤い丸をつけて山口が言った。

 

 「俺だって本気でやればこんなもんよー?」

 嬉しくて楽しくて、日向が顔を上げたのと山口が日向の頭に手を伸ばしたのは同時。

 山口の顔が余りに近くて日向が固まったのと、山口の手が日向の頭に到着して乱暴になで回したのが同時だった。

 

 「よっし!次も期待してるからな〜」

 「次もあんのかよ!?」

 「当たり前だ!」

 「かーんべーんしてぇ〜っ!?」

 

 山口と戯れ合うのが楽しくて。

 笑う担任教師が愛おしかった。

 今、教室に2人しか居ない事が幸せで。

 

 山口が日向の頭から手を引くと、日向は数学のプリントと山口が数学の問題を説明する為に使った

 何かのプリントを鞄の中に仕舞おうと手に取った。

 

 「よーし、帰るか」

 山口が立ち上がった時。

 「って・・・・」



 

 日向の左手の人差し指に赤い筋が走るとプクリ、と粘りのある丸い玉が顔を出した。

 それは小さく、てらてらと光る。


 

 「あーあ・・・・ほら、貸せ」

 

 山口が屈んで日向の左手を引っ張った。

 その瞬間、日向の全身が泡立った。

 硬直する。息が止まる。頭の中が真っ白になった。

 

 山口はもう一度、日向の正面の椅子に座ると側に置いてあった

 鞄の中から小さな救急セットを出した。

 

 「〜〜〜・・・・・は〜・・・・」

 日向は何となく恥ずかしくなって視線を落とした。




 

 ――傷を舐められるのかと思った。





 「どした?」

 

 山口の不思議そうな声に顔を上げる。

 彼の眼に入ったのは女の手に手当てされる自分の左手だった。

 

 「あ・・・いや、別に」


 

 山口の手は何故か、日向が思っていたよりも小さくて冷たかった。

 それだけで、顔に、指先に熱が集中するのに。

 

 どうして。

 舐められる、なんて。


 

 「はい。出来たぞ」

 「お〜ぅ」

 

 日向は無性に恥ずかしくて。

 有難う、と言えなかった。

 けれど山口は気にした様子も無く、当たり前の様に笑った。

 

 「今度こそ、帰るぞ」

 

 再び立ち上がった山口は鞄を肩にかけて日向を見下ろす。

 日向は山口の唇から視線を引っ剥がして仕舞い損ねたプリント二枚を鞄の中に入れて立ち上がった。


 2人連れ立って教室を出た。

 それが当たり前だと思っているのだろう、担任教師は楽しそうに取り留めの無い事を話す。

 当たり前の様に隣に居る事が、嬉しいと言う様に。

 

 日向は山口の話に茶々を入れながらポケットの中で左手を握った。

 緩く、そっと。


 2つに括った山口の髪が緩い風に吹かれて小さく舞った。

 それに触ってみようかと日向は手を伸ばしかけて、止めた。



 理由は後から付いてくる。

 

 無邪気さとか一生懸命なトコとか真っ直ぐでバカ正直なトコとか。

 好きだと気が付いたのは彼女を観てて意識が飛ぶのに気が付いた後だった。

 

 苦しくなるのもそれからだった。



 

 あえて好きになった理由を挙げるとするなら

 相手が山口久美子だったから。






 勝手に振り回されてる。

 勝手に苦しんでいる。

 勝手に舞い上がったりもする。

 勝手に恋をしている。




 

 いつの間にか、当たり前の様に居座ってた青臭い恋愛感情は

 心の中で王様みたいにふんぞり返って我が儘放題。

 欲しくて欲しくてしょうがない、と。




 振り回されてこき使われてヘトヘトになっても終わる事は無い。

 それでも振り回されるのが幸せだなんて。


 「最悪に幸せ」





 「ん?」

 

 日向は不思議そうに日向を見上げてくる山口の頭を軽く撫でた。

 

 

 END