溢れる想いは行き場を失くし、夜となく昼となく心を苛む。
夢にその人のなめらかな肌を感じ、現にその人の優しい声を聞く。
俺、壊れそうだ‥。
溢れる想い
「あー、腹減ったぁ。なんか食ってこーぜ!」
ゲーセンからの帰り道、つっちぃがでかい声を張り上げる。
「いーね、いーねぇ。今日はつっちぃの奢りだにゃっ」
などと、タケと日向がじゃれあいながら続く。
隼人も異存は無いらしく、四人の足は近くのファミレスへ向かう‥、
四人?
歩き出した隼人がいぶかしげに振り向く。
「竜、どした?」
その視線から思わず目をそらしてしまった自分にイラ立ちを覚えながら、
「わりぃ。俺今日やめとくわ。」 と答えて、反対方向に歩き出した。
「なんだ?、竜のやつ‥。」 つっちぃがつぶやく。
「りゅうぅ、明日学校遅刻すんなよぉー」 タケの明るい声が追いかけてくる。
振り返らずに手だけ振って答えた。
振り向かなくても判る。隼人が俺を見てるのが判る。
方眉を少し上げ、ちょっと心配そうな顔で‥。
長いつきあいだから。あいつが今どんな表情で何を考えてるのかまで想像ついちまう。
お互い様か‥。苦笑いの後に小さく溜息がでた。
「‥ふうっ。」
もう一度、今度は大きく息を吸ってゆっくり吐き出す。
「ふーっ。」
今まで体を縛っていた緊張が解けていく。
やっと自分の気持ちに素直になれる。
‥寄ってみようか。
会えるかもしれないと思った途端、心臓がトクンと音を立てる。
冷たい風が火照った頬に気持ちいい。
いつしか足はいつもの喫茶店に向かっていた。
「チリンチリン」
ドアを押すと軽い鈴の音が響く。
マスターが、読んでいた本から視線を上げた。他に客は居ない。
「カプチーノ。アイスで。」
ボソッと言っていつもの椅子に座った。
居るわけないよな‥。
何やってんだ、俺。
運ばれてきたカプチーノを一気に半分飲み干した。
会いたい。会いたい。会いたい‥。
強くまっすぐな瞳で俺を見て欲しい。あの細い指で俺に触れて欲しい。
夜毎に見る夢と同じ様に‥‥。
ヤマグチ クミコ。 俺の担任。
笑ってるあいつ、怒ってるあいつ、俺達のために必死になってるあいつを見てると、
胸んとこが熱くなって‥。
自分の心を覆っていた硬い殻が一枚また一枚とはがれていく様な気がした。
と同時に胸の中の熱い塊はどんどん膨れ上がる。
自分ではもうどうすることも出来ないくらいに。
湧き上がる想いを何度も打ち消した。
あいつは、山口は俺の担任。俺が先公にこんな気持ちを抱くなんてあり得ない。
だけど。
いつの間にか俺は、いつもあいつを探している。
あいつが他の誰かに微笑むと、どうしようもなくイライラして。
誰かがあいつの肩に触れただけで体中がギュッと痛くなる。
抑えても抑えても溢れる想いに俺は押し潰されそうになる。
ひた隠しにしているこの気持ちをあいつ等が知ったら何て言うだろう?
つっちぃや日向の驚く顔が浮かんだ。タケは面白がるかもな。
隼人は‥あいつは多分俺の気持ちに気付いてる。
そして俺もあいつの視線がいつも山口を追っていることを知っている。
隼人が強引に女を落とすのは何度も見てきたけど、こんなあいつは初めてだ。
隼人は何のテライも無く、ただ真っ直ぐに、切ない程に真っ直ぐに山口を見る。
その視線の強さに引き寄せられるかの様に、山口が視線を返す。
それを傍で見ている俺は、どす黒い嫉妬で一杯になりながらも殊更何気ない風を装う。
隼人に微笑む山口を見たくないから、目の前の光景から逃げるように目を伏せてしまう。
昔はもうちょっと素直だったんだけどな‥。
いつからか、自分の本当にやりたい事を、素直に「やりたい」と言えなくなった。
欲しい物を「欲しい」と言えなくなった。
気持ちを抑えてポーカーフェイスで居る方が楽だった。
タケに相談されて、喧嘩の相手に頭を下げた時も別に何も感じなかった。
親友の隼人に裏切り者と言われても、弁明する気にならなかった。
何か、全てがもうどうでもよかった。
山口に会うまでは‥。
そう、山口。あいつが目の前に現れてから、何かが狂い始めたんだ。
今までは自分の気持ちを抑えるなんて簡単だったのに。
あいつが俺の前に現れてから感情をコントロール出来ない。
そんな自分がもどかしくて、こんな自分を知られたくなくて、仲間たちの目も避けてしまう。
さっきみたいに‥。
「‥ぉだぎり、小田切っ!」
名前を呼ばれて視線を上げると、びっくりする程近くに山口の顔があった。
「!!」
突然のことで思考がついていかない。
ここにつっちぃが居たら、「何でおまえはいっつも突然居んだよっっ!」
って突っ込むんだろうな なんて、どうでもいい事が頭をよぎる。
「小田切、もう9時過ぎだぞ。こんなとこでなーにしてんだぁ。」
と言いながら、山口は俺の頭をワシャワシャと撫でる。
「うっせーよ‥」
と、その手を軽く払ったが、不意を突かれて耳の付け根まで赤くなったのが自分でも解る。
「まったく、それが教師に対して言う言葉かあ。」
とかなんとか言いながら山口は俺の前の椅子にどさりと座り、
「白鳥先生、ここのパフェ美味しいんですよ。マスター!苺のパフェ、二つね!」
と後ろに声を掛ける。
見ると、後ろで笑っていた白鳥も山口の隣に座った。
「小田切くぅん、一人なんて珍しいわねぇ。」
「‥‥」
なんか白鳥は苦手だ。フワフワしてて綿菓子みたいで‥。
俺の居心地の悪さなど完全に無視して、二人は何やらヒソヒソと話している。
俺は態勢を立て直すべく、深呼吸して、読んでもいない雑誌の頁をめくった。
「もう私決心したんです。運命の人に告白するって。」
「白鳥先生、そんな早まっちゃいけません。 よーく考えましょ。」
「考えたわぁ。でもテツさんのこと以外考えられないのぉ。」
「いや、でも、テツの‥テツさんのどのあたりがいいんですか? ほら、ちょっと恐い系だし‥」
「あの憂いを含んだ少年のような瞳、端正な横顔‥あぁ私のナイト様。」
「うーっ、はいはい。つーか、そればっかだし‥。」
「ぶっ‥」
俺はこらえ切れずに吹き出した。
テツさんには悪いけど、それ、なんかの間違いだろーっ。
可笑しそうに笑う俺を、二人が不思議そうに見ている。
「こらっ。小田切、何笑ってんだよ。失礼だぞ。」
「でもぉ、笑ってる小田切くんって初めて見たぁ。笑った顔もいい感じぃ。」
そう言って、おっとりと白鳥も笑う。暖かい笑顔だ。
山口も半ばヤケクソの様に引きつって笑っている。
そんな山口が可笑しくて、可愛くて‥。
ふと、子供じみた悪戯がしてみたくなってパフェの苺をかすめ取った。
「あっ、ば、ばか!返せ、戻せ!」
顔を真っ赤にして怒っている山口をからかう様に、ゆっくり苺を頬張る。
甘酸っぱい苺の味が口一杯に溢れて、さっきまで飲んでいたカプチーノのほろ苦さを
あっという間に消し去った。
あぁ、こいつと居ると暖かい。
凍っていた想いがあとからあとから溶けていく。
めくるめく様に溢れ出す感情の洪水に俺は身を委ねた。
店を出ると、さっきより更に冷たい風が顔に吹き付ける。
「うーっ、さぶっ。」
「寒いですねえぇ。」
とか言いながら前を歩く二人の後姿を見ながら、ゆっくり歩を進める。
不意に白鳥が立ち止まった。
「あっ、私こっちですからぁ。それじゃ山口先生ごきげんよう。」 と会釈する。
「えっ、あっ、ごきげんよう。」
と慌てる山口に手を振って、白鳥は俺の傍で立ち止まった。
「?」
「小田切くぅん、ファイトっ。」
悪戯っぽく笑って両のこぶしを軽く握って見せる。
「?!」
呆気にとられている俺達を残して白鳥は行ってしまった。
「なんだぁ?白鳥先生の家ってあっちだったっけか?」
とかつぶやいている山口の横を歩きながら、また笑いが込み上げてきた。
バレバレだっつーの。 自分で自分に突っ込みを入れる。
今までひた隠しに自分の気持ちを抑えていたつもりだったのに‥。
この分じゃ、きっとあいつ等もとっくに気付いてんだろーなぁ。
四人の顔を思い浮かべ、無性にあいつ等に会いたくなった。
「なんだよ小田切、さっきから一人で笑って。気持ち悪いやつだなぁ。」
気付かないのはこいつだけ‥。
ホンット鈍いやつ‥。
「でもあれだ、お前、笑えるんじゃないか。笑ってる方が似合うぞ。うん。」
そう言って山口は満足そうに一人でうなずいている。
次の瞬間、自分でも思ってもみなかった言葉が口を衝いた。
「なぁ‥。俺、学校に戻ってホント良かったよ。」
いつに無く素直な俺の言葉を聞いて、山口の目が大きく見開かれる。
オイオイ、そんな喜ぶなよ‥。目ん中に星光ってるし。
あっ‥。
次に来るであろう攻撃を予測して瞬間身を引いたが、遅かった。
「小田切ぃー、お前って本っ当いいやつだよなぁ〜。よしよし。」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら俺の髪をワサワサと撫でる。
「つぅか、やめろ。」
「はい。」
ちょっとシュンとして黙ったあいつの手を、そっと握った。
「え、な‥?」
「寒いからさ、ちょっと手、借せ。」
「お、おう。大体なー、何で手袋しないんだぁ。毛糸はいいぞー暖かくてぇ。」
勝手に喋り続けている山口を横目で見ながら、
繋いだ手を制服のズボンのポケットに突っ込んだ。
「!‥さ、さ、最近の若いもんはコートも着ないしな。そりゃ寒いだろう、なぁ。」
夜目にも白い山口の頬が一瞬紅く染まった様な気がした。
‥まぁ、今日のところはこれでよしって事にしておくか。
卒業迄まだ時間有るし。いや、その後が本番‥。
今はまだ言葉には出来ないけど、いつか必ずこの想いを伝える。
これからは俺がお前を守るから。他の誰にも渡さない。
握った手に思わず力が入る。
山口の手がそれに応えるように微かに握り返してくれた様な気がした。
明日はもっと素直に笑える気がする。
隼人の視線を受け止めて、昔みたいに笑えるだろう。
「上等じゃん。」 と笑うあいつの声が聞こえる様だ。
まっ、でも、取り敢えず今は俺の一人勝ちだから。
END