矢吹家の食卓 


 

 

 「隼人。話がある」

 「あんだよジジイ。帰った早々ボケちゃったから面倒みてくだパイ。とかゆーなよ」

 「隼兄、それちょっとヒドいんじゃない?」
 

 

 おかしいと気付くべきだった。

 普段の父なら、こんな事を言われてテーブルをひっくり返さないはずがない、と。

 

 明日からしばらく休みだと言う父は、福岡で買ってきたと言う芥子菜のにぎりを

 日本酒で一気に流し込むなり、真剣な顔を兄に向けた。

 

 矢吹雅人。学生時代から変わらぬあだ名は、星一徹。

 気に入らないことがあると所構わずキレまくるトラック野郎。

 妻は死去して久しい、男やもめ。それがウチの父親。

 

 そんな父のDNAを色濃く受け継いでるのが、3歳上の兄。

 気の短さと皮肉上手は天下一品の高校三年生。

 そんな二人が会話をするのは、結構珍しい風景だ。


 

 

 「山口センセイって……独身か?」

 「あたりめーじゃん。あいつが結婚しててたまるかよ」

 

 「そうかそうか。で、恋人は……いらっしゃるのか?」

 「いるわけねーって。あのメガネザルに」

 

 「そうかそうかぁ……ってテメー! 先生に向かって猿たぁなんて口の利きようだっ」

 「やかましいっ! そう言うテメーはさっきからなんなんだ! 山口がどーしたってんだ!!」

 

 「コホン。……そうだな。まずは声明発表せんとな」
 

 

 

 “犯行”って単語が抜けて聞こえたのは俺だけでしょうか。

 ナンだか嫌な予感がします。

 

 

 ところで山口サンて誰。担任? 

 隼兄の? へええー……。

 

 「実はな、父さん……山口センセイとつきあっちゃおっかな〜。……なんて」

 「へいへいそりゃようござん……し……はああっ?!」
 

 

 

 父と兄の口ぶりから窺えるのは、“山口先生”が女性であること。

 眼鏡をかけていること。

 パッと見……美人、とは言い難そうなこと。

 

 先日父が学校へ顔を出して以来、顔を合わせれば衝突か無視という兄との関係が

 改善されてきたことを、拓人は喜ばしく思っていた。

 だから。内容はともかく、会話があるのは嬉しいことなのだ。

 

 

 なのだが。


 

 

 「何アホ言ってやがる!」

 「アホとはなんだ! 俺は真剣だぞっ」

 「テメーやっぱり病院行ってこい!」
 

 

 

 ……ちょっと現実逃避。

 してもいい、ですか?


 

 

 

 

 

 

 

 「隼兄、山口先生ってどんな人?」

 「ああ?」

 「昨夜の話。……親父のアレ、本気かなぁ」

 「んな訳あるかよ」

 

 

 「でもさ、隼兄が親父と和解に至ったのも先生のおかげだって。ベタ褒めだったよ?

 まだ何もないのに、勝手に付き合うとか言ってたぽいけどさ。 ……ちょっと目付きもヤバかったかな……」


 

 

 「だーかーらイカレてんだろ。脳に栄養が足りてねぇんだ。拓、ぶっとい針でサプリでも打ってやれよ」

 「実際どうなの? 俺のカンでは隼兄も結構気に入ってるとみたけど?」

 

 

 「……もー行くし。あ、今日はメシ頼むな」
 

 

 

 あっと言う間に閉じられたドア。

 

 

 兄の出ていった先を見つめ、考えてもしょうがないな、と拓人は意識を切り替える事にした。

 学校に行き、夜には父親の戯言などすっかり忘れてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ビーッ

 

 

 可愛らしさのカケラもない、鈍い音が鳴る。

 こんな時間に……誰だ? 

 父や兄なら勝手に入ってくるはずだと、時計をちらり見やって、拓人は玄関に駆けた。

 スコープなんて上等なものは付いていないので、ドア越しに声をかけ確認する。


 

 

 「はい」

 “矢吹?! よかった! お前のお父さん連れてきたぞっ”


 

 「は?」

 “酔っぱらって歩けないんだよ! いいから早くドア開けろぉ!!”


 

 

 「は、ハイ」
 

 

 

 ガチャ。

 

 

 「やぶきぃ〜。おとーさん重っ……て、アレ? どちらさまですか……?」
 

 

 

 それはこっちの台詞です。

 扉を開ければ、小柄で眼鏡をかけた女性が意識のない父親を肩に、必死で踏ん張っていた。

 とりあえず酒臭い父親を受け取り、引きずるように家の中へ。

 

 

 「親父起きてよ! ちょっと……あ〜もう。しょうがないなー」
 

 

 

 酔っぱらうと寝てしまう、困り癖のある父親を玄関脇の部屋に運び、そのまま寝かせる。

 人並み以上にデカい図体の男を、よくもここまで運んでこれたものだ。

 ふと顔をあげると、運んでくれた女性は荷物を手に、いつの間にやら家の中だ。

 

 

 

 「いや〜参ったよ。おとーさんたらピッチ早くて……生徒名簿で住所調べて、ようやく運んできたんだけど」

 「ありがとうございました。すいません、迷惑かけて。ところで……あの……?」

 「あ〜……今更ですけど、こちら、矢吹さんのお宅で……すよね?」
 

 

 本当に今更だ。そしてふと、その外見と彼女が漏らしたキーワードから、

 一人だけ思い当たる人物が浮かび、


 

 

 「はい。あの……もしかして、隼人の……?」

 「そ、そう! 担任です!」 

 「弟の、拓人です」

 「お、弟さんっ……。いたのか」

 「山口先生、ですよね? ……色々お話は聞いてます」

 「へっ? ど、どのような……?」
 

 

 あ、それはできれば聞かないで下さい。

 

 

 

 「矢吹のやつ……夜遊びはダメってあれほどっっ」
 

 

 

 当家噂の的。山口先生は父に誘われ、居酒屋で飲んできたらしい。

 親父。昨夜のアレ、冗談じゃなかったんだね。

 まぁ先生の態度からして、まだ何もないのは明白だけど。


 

 兄がまだ帰っていないことを告げると、先生は時計を見ながらなにやらブツブツ言いだした。

 コーヒーを出すと、ありがとう、とすぐに口を付けた。

 

 熱くないのかな?

 丁度いい? そりゃよかった。


 

 

 「心配ないですよ。今日は家で夕飯食べるって言ってたから」

 「でもなぁ……え、それもしかして矢吹用?」


 

 

 まったく。作れと言っておいて遅いんだからな。

 未だ帰らぬ兄用にと、テーブルの上に並べていたシチューやサラダに

 ラップをしていく自分に目を留め、驚いたように尋ねてきた。

 頷けば、興味深げに身を乗り出してくる。


 

 

 「美味しそうだなぁ。誰がつくったの?」

 「僕ですけど」

 「えっ?! ホントに? スゴイな!!」 


 

 

 眼をキラキラさせて褒めてくれる。

 なんか子供みたいな人だ。


 

 

 「大概食事当番なんで。割と得意ですよ、母親亡くなってからずっと作ってるし」

 「そっかぁ。大変だな」

 「結構性に合ってるから。今じゃ趣味かも」

 「へええー。お前イイ子なんだな。エライぞぉ〜〜〜」


 

 

 そう言って、頭を撫でられた。

 とっさの事で、避けるのを忘れ、されるがままになってしまった。

 言葉遣いが段々変わっているのは、きっとこっちが素なんだろうな。

 

 

 なるほど。

 隼兄が気に入るわけだ。


 

 

 気分屋の兄は、何に対しても熱しやすく冷めやすい。

 部屋の中にはかつて夢中になった野球グッズやスケボー、ゲームソフトの類いで溢れ返っている。

 時々思い出したように引っ張り出すので、遊び道具には事欠かないが、

 おかげで年中物置部屋と化している。

 

 着る服しかリ、聴く曲しかり。

 興味が移ろいやすく、かといって流行に流されやすいわけでもない。

 常に刺激を求め、人と違うモノが大好きな兄。

 それは友人にも言えることで、家に来た面々を見たとき、全員一癖あるタイプだと思った。

 

 

 更に加えて、教師も、とは。

 正直予想外だったが。 


 

 

 “センコーなんて糞!”

 

 

 そんな風に言ってた兄が、最近妙に変わってきたのに気付いていた。

 休まず学校に行くのが珍しくて、理由を尋ねれば、「ウルセーやつがいる」。

 滅多に見せない、穏やかな笑みを浮かべて呟かれた、その言葉。

 ようやくわかった。この人だろ? 

 なんだよ。親父のこと言えないんじゃないの、兄貴。

 

 


 

 「な、今度教えてくれよ。料理」

 「山口先生、苦手なんだ?」

 「苦手って言うか……慣れてないだけ、っていうか……」

 

 


 必死な顔して言葉を探す。

 大人、ってカンジしないな。でも。なんか。

 

 


 「いいですよ。なにつくりましょーか?」

 「ホントっ? えーとね……」

 


 

 

 ほら。いつの間にか俺までこの人のペースに乗ってる。

 まるで昔からの知り合いみたい。

 ころころ変わる表情が楽しくて、もっと見てみたいと思わせるじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 兄が戻るまでの時間、二人で色んな話をした。

 帰宅した隼人は、自宅で弟と談笑する担任にしばし目を丸くしていたが、

 「夜遊びするな!」と一撃もらい、我に返った所で状況の説明を求めた。
  
 

 

 

 「マジありえねぇ。ホントふざけんなクソオヤジ」

 「あんま迷惑かけないようにね」

 

 

 

 

 

 


 

 

 朝。妙にスッキリした顔で生卵をかき混ぜている父の隣で、

 最高に不機嫌です、と言わんばかりの隼人はずっと毒づいている。

 昨夜の一部始終を聞かせても、反省するどころか嬉しそうな態度を見せる父に、

 兄じゃなくとも呆れてしまうのは仕方がない。

 

 

 

 「そーかそーか。山口センセが俺をおぶって……クソもったいないっ」

 

 

 

 もったいないって何が? え、感触? ……親父最近ちょっと変態入ってるよ。

 言わないけど。って、隼兄が言っちゃったね。

 

 

 「山口先生っていい人だよね」

 

 

 眼鏡の奥、キラキラ光る眼差しを思いだす。

 やさしい手のひらも。はしゃいだ声も。

 メガネザルなんて暴言吐いていたけど、隼兄の事だから気付いてるはず。

 

 

 あの人きっとキレイになる。

 鈍感なのか、気付いたくないだけなのか、今は追及しないでおいてあげるけどね。

 

 

 

 見る目あるじゃん親父。

 母さんとはちょっと違うタイプだけど。

 

 

 

 父が拓人は判ってるな〜と頷いているその横で、

 仏頂面の兄がバカじゃねぇの、とぼやいている。

 確かにね。まだ告白さえしてない立場でこの浮かれよう。

 のんびりしてる場合じゃないよ。

 

 

 すぐ近くに、多分、最大のライバルがいるってのに。

 

 

 

 

 「気付いてない内が、平和……」

 「あ?」

 「何でもないよ。そうだ、隼兄。先生また来るってさ」

 「お前までなに仲良くなってんだよ」

 「俺も気に入っちゃったな。あの人」

 「はー……」

 「一生懸命だし、優しいし、お人よし。今どきいないよね、ああいう人」
 

 

 

 

 多分、探したって見つかるもんじゃない。

 

 

 

 

 「熱血バカ、ってやつじゃね?」
 

 

 

 

 あ。そゆこと言うの? 

 当ってるけど、ここらで危機感与えとこうかな。

 

 

 

 

 「……それに、ちょっとカワイイし」

 

 

 

 

 思い掛けない爆弾投下に、父が箸どころか茶わんを落とし、米粒が床に散らばった。

 兄は口に含んでいた牛乳を吹きだした。

 ありがとう。せめても壁の方を向いてくれて。

 

 

 

 「た、拓人っ。おまえ、お前まさかっっ……」

 「な、ナニ言っちゃってんのお前。大丈夫? あ、乱視?」

 

 

 

 流し台へ布巾を取りに行く拓人に、どちらも必死の形相で迫ってくる。

 

 

 ああ愉快愉快。

 二人の所為で心労が絶えない俺だから、これくらいの娯楽は許されると思うんだよね。

 深い意味はないって言って欲しいのが判るから、余計に意地悪したくなるよ。

 

 

 

 ……ま、これも本音ではあるんだけど。


 

 

 

 

 「先生より、お母さんより、カノジョにしたいタイプかも」

 

 

 

 

 最上級の笑顔付きで言ってやると、

 いよいよ二人とも開いた口がふさがらなくなった。

 

 

 

 

 

 END

 


 

 ■遊佐サマよりコメント。

 “矢吹ファミリーの回”放送後、勢い余って書いたモノです。
 父と弟の名前はイメージで勝手に付けました。
 そしてタイトルはパクリです。
 拓は優等生ながらちょっと腹黒だったりしてほしい(笑)
 お目汚し、失礼致しました。
 クレーム等ございましたら御一報下さい。

 

 

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