ふらつく足取り、響く頭。
今日は何だか鞄がやけに重い・・。
酷く疲れた感じがする。
「あっ、すみません」
ぶつかった肩にペコリと謝ると、少し高い位置で舌打ちが聞こえては消えていった。
「送ります」と心配気な顔を向けた篠原さんに、「家の者が迎えに来るので」と二コリと笑ってみせた。
それが10分ほど前の事。
帰って、お風呂に入って、今は何も考えずに眠ってしまいたい……
また目が覚めれば、現実があるのだから。
まるで、自分などいないのではないかと錯覚させるように、行き交う人々は通りすぎて行く。
チカチカ光る明るいネオン街を流れる、雑音の中に、意識を飲み込まれながらただ歩いて
商店街を過ぎて、住宅街を過ぎて……
人気の少なくなった線路沿いを歩くと、やがて見えきた公園。
ガランと静まりかえったそこに燈る外灯が、酷く寂しげで、
白金から自宅までの慣れた道のりにあるこの前で、何故かいつも足を止めてしまう。
珍しく悪酔いした、こんな日はとくに。
ぼやける意識の中で見た夜空は、何よりも高くて、何よりも冷たくて。
そこに浮かぶ幾つもの繋がった、人工的に張り巡らされたケーブル。
そして不とした疑問。
―――この電線は一体何処まで繋がっているのだろう―――。
「さすがにアフリカまではな。」
一人苦笑いすると、白い息が雲のようにもやもやと漂っていた。
映画のようなハッピーエンドは………。
脳裏に浮かんだ最後の言葉を飲み込み、夜の公園に足を踏み入れた。
何だかとても懐かしい匂いがした。
繋いだ言葉。
開けっ放しの窓から、そよそよと放課後の教室を吹きぬける風。
そんな秋風によって心地よく遊ばれるカーテン。
木々のざわめく音、クラブ活動で汗を流す生徒達の歓声。
―――あの日。
身体に感じるそれらの全てが心地よくて、一人教卓で眼鏡を外して、
瞳を閉じ、意識を徐徐に手放していく、あたしが居た。
そんなウトウトした意識の中、ガラリと開いた扉。
忘れ物を取りに来たのか、ひょっこり現れた生徒が居たのだ。
その生徒があたしの存在に気付くまでは時間の問題で、薄れゆく意識の中、
ゆっくりと近付いてくる足跡を聞いていた―――。
寝たふりをしてやろう。
傍まで来たら、脅かしてやろう。
―――と、曖昧な意識の中で一人笑う。
でも、誰だ?
ったく、忘れ物取りに来るなんてマヌケだな・・・。
きっと呆れた顔して、担任の今のこの姿を見下ろしているんだろうな。
へへ、そーはいくかよ。
入り込む風のように、子供の様な期待と興奮を胸に膨らませる。
近付いてくる気配。
あと少し。
―――フワリ。
とても親しんだ香りがした。
『え』
それは、とてもとても柔らかくて。
でも、とろけるように甘く、そして切なくて。
ガチャ・・パタン。
静かに扉が閉まる音。
瞬間、ガバッと現実の世界に身体を呼び起こす。
ヤ 「な・・・・」
震える指先で触れたのは、自分の唇。
そこには、リアルな感触が確かに・・・
そう確かに残っていて。
夢ではないのだと嫌でも思い知らされた。
唇に触れた、この感触は・・・・
ま、まさか。
これって・・。
―――――!
鼻先に微かに残るこの匂い・・・
知ってる。
この香水は・・。
揺れるカーテンみたいに、
いつもいつも一番近くに居て、
静かに笑う生徒の顔が脳裏を優しく過ぎった。
それからの数日間は、寝ても冷めても、その時の事を思い出しては頬を染め、
相手が誰だったのか、出席票の26人の生徒の名前と睨めっこをする日々だった。
いつかの失敗みたいに、もう1ページが無いか、くっついていないか・・
そんな事さえも何度も何度も確認した。
そして最後には、いつも同じ名前、同じ生徒の前で、上下に動く瞳がピタリと停まるのだ。
それと同時にガクリと頭を下げたり、奇声を発したり、溜息を零したりと・・・
この時期のアタシの行動は、周りからかなり不審がられた事は言うまでもない。
でもでも、よくよく考えてみると、相手はあたしが眠っていると思ってるわけだし
このまま知らないフリをすれば、何事も万事ぬかりなく上手くいくわけで・・。
それに気付くまで2週間も費やしてしまった事を、アタシは深く深く後悔した。
時間という存在が、太陽を、月を、星を、動かし・・・
季節はいつの間にか冬を迎えていた。
あたし自身、その日の放課後の事はもう忘れかけていた。
いや、忘れるようにしていたのかもしれない。
26人の生徒全員を無事に卒業させるという、「約束」が、あの頃の私の中では一番だったから。
それなのに。
その香りに抱きかかえられて・・
その香りの中、目を覚ますだなんて・・
ヤ 「う・・・・ん」
川 「気ついたかー?」
ヤ 「え・・あれ?・・あ、あたし??」
川 「あんたなぁ・・。生徒達の進路の事で大変なんは、よーーく分かるけど、睡眠はしっかり取らなぁ。
疲れと睡眠不足から、あんた教室でぶっ倒れてんでー・・・。」
ヤ 「は・・・はは;」
川 「笑いごとやない」
ヤ 「め・・面目ないです」
川 「・・ったく、よーやるわ。 ココまで運んできてくれた、そこの生徒さんにしっかりお礼言いや」
ヤ 「え?・・生徒? ・・・・て。さ、さ、沢田!??!」
慎 「気付くの遅せぇよ」
川 「あたしは用事あるから、もう行くわな。鍵置いとくから、戸締り宜しく。」
ヤ 「え?戸締りって・・・・ゲッ、4時半?」
川 「5限目から、あんたここで爆睡やで」
ヤ 「す、すみませんー!」
情けなさと恥ずかしさが一杯で、手元の布団をグィっと引っ張り、赤くなった頬を隠す。
そんなアタシに呆れ笑いを残し、川島先生は白い手の平をヒラリと軽く上げて保健室を後にした。
消毒薬の香りにがする保健室に、いつもとは無い香りが紛れている。
忘れかけていたあの日の熱と、甘さと切なさが胸を締め付け、息が苦しい。
重い空気。
何だか非常に気まずい。
ヤ 「わ、悪かったな」
慎 「・・・別に。」
ヤ 「そ、そのー・・。み、みんなは?」
―心配してんだろうな・・。
慎 「帰った。」
―か・・。
勢い良く身体を起こし、窓際に凭れる沢田に言う。
ヤ 「か、帰っただとぉ!?」
慎 「・・・・・。」
ヤ 「う〜〜。薄情者の奴らめ〜〜。」
慎 「てか、そんだけ爆睡してんなら、残ってても意味ねぇだろ」
ヤ 「う。・・確かに」
慎 「だから帰らした」
ヤ 「え、そうなの?」
慎 「・・・・・。」
ヤ 「沢田が?」
慎 「悪ィかよ」
ヤ 「べ、別に悪くは・・・ないけど。」
ふーん、そうか。
そうか、そうか。
へへ、何だか凄く嬉しいぞ。
ポリポリと頭を掻きながらニマニマと笑うと、相手からは溜息を零された。
慎 「全員の卒業・・」
ヤ 「え」
言いながら、川島先生の椅子に腰を下ろす、沢田。
二人でこうやって喋るのは何だかとても久しぶりに感じる。
慎 「そんなに難しいのか?」
ヤ 「・・あ。うんん、大丈夫だ。お前が心配することじゃねぇーよ。それよりお前はアフリカ・・」
あ・・れ。
言いかけて何だかまた胸が苦しくなる。
今、一瞬言葉が上手く出なかったような・・。
そんなあたしを不審そうに横目で伺うアイツ。
慎 「何だよ」
ヤ 「え・・あ、その、今は、お前は自分の事を心配しろ。なっ?」
今度は溜息ではなく、冷たい視線が返ってくる。
何故だか「何だよ?」と笑いながら問う余裕が、今の自分にはなくて。
全てを見透かされている気分。
慎 「お前さ・・」
ヤ 「ん?」
慎 「そんなんだから、放課後も教室で居眠りなんてしちまうんだよ」
ヤ 「う」
鳴り出す鼓動。
久美子、平常心を持て。
平常に平常に・・・と、
自分に言い聞かせいてはみるが、早くなる鼓動は止まる事を知らなくて。
慎 「帰んぞ。」
ヤ 「え」
慎 「・・・・・送ってく。 校門の前で待ってるから」
彼が立ち上がった瞬間、またフワリと香りが一層漂う。
ヤ 「さ、沢田っ」
それに反応してしまったアタシは、きっと普通じゃないのかもしれない。
そう。今思うとあの時から―――。
慎 「何?」
ヤ 「い・・・いつもその香りつけてんのか?」
慎 「は?」
ヤ 「や、その、あれだ。いい香りだなぁーって、はは;」
慎 「ふーん。」
ヤ 「な、何?」
慎 「お前でもたまには女らしい事言う時あんだな」
ヤ 「あ、あたしは女だっつーの!」
慎 「知ってる」
ヤ 「へ?」
慎 「お前が女だってのは、嫌なほど知ってる」
ぶつかった視線。
コイツって・・
こんな目をしてたっけ。
真っ直ぐなんだけど・・
何処か切ないような。
慎 「・・・てねぇよ」
ヤ 「はぃ?」
慎 「あの日から香水は変えてねぇよ」
ヤ 「・・・っ//」
慎 「誰かさんが気付くのを期待して」
ヤ 「なっ/////な、何のことか・・・さ・・ささ、さっぱり・・」
慎 「起きてたんだろ?」
慎 「どーせ、脅かしてやろーとか何とか、つまんねぇこと考えてたんだろ」
ヤ 「つまんねぇとは何だ!・・・あたしはただだなぁ・・・はっ」
しまった。
そう思った時だった。
ヤ 「んっ」
2度目のソレは―――。
決して曖昧な意識でもなく、眠っていたわけでもなく・・
あたしの瞳にうったのは、相手の閉じた瞳と長い長い睫毛だけで。
慎 「思いだした?」
ヤ 「な/////何しやが・・・?!」
慎 「理由言わなきゃわかんねぇほど鈍くねぇだろ」
ヤ 「は//」
慎 「好きだ」
ヤ 「/////////////」
慎 「それしかねぇよ」
瞳を見据えてそう言い残し、保健室を後にした彼。
あたしは暫く、その場から愕然と動けずにいた。
保健室に残る香りは・・・。
あの日と一緒。
――やっぱり沢田だったんだ。
その事実にほっとしている自分も何処かに居て。
そう自覚したのは、彼が卒業とアフリカ行きを間近に控えた冬の日のことで
わけのわからない行き場のない想いは、吐く息のように、消えてなくなればいいと願った。
それから3日後、夢であり、約束だった3D全員の卒業が無事に決まった。
あたしが、やるべきこと
彼が、やるべきこと
ただそこが違っただけ。
歩いても歩いても、叫んでも叫んでも
あなたとの差は縮むことを知らない。
それが現実。
猿 「エー。であるからーー…」
今日は登校日だった。残りは卒業式だけ。
普段と変わらない賑やかな教室、生徒達の笑顔、でも彼らの制服姿ともお別れ。
みんなに囲まれて、静かに笑うアイツの学ラン姿とも。
ジワッ。
川 「ちょ・・え?や、ヤンクミ何泣いてるん!?」
ヤ 「・・・え」
静 「ど、どーしたんですか?何処か痛むんですか?」
それは本当に無意識で。
しかも今は卒業式についての最後の職員会議の真っ最中で。
痛む?
痛いのは・・・。
キュウと胸元の服を掴む。
もうワケワカンナイよ――。
ヤ 「あ・・あたし・・・・・・・用事思い出しました!」
「「「「 ハ 」」」」
慌てふためく鷲尾先生と、怒鳴る教頭を無視して職員室を飛び出していた自分。
後のことは、また考えればいい。
でも何処に向かえばいい?
何を伝えたらいい?
頭の中はグチャグチャなのに、今はただ会いたいと思った。
学生服のアイツに。
辿り着いた先は白金公園。
この時期、既に陽が落ちた辺りには外灯がひっそり燈っている。
肩で息をしながら中に入ると、見慣れた学生服姿のアイツがベンチに居た。
白い息を整えながらゆっくりと近付き、ベンチに座る沢田の前で足を止める。
慎 「人に3分で来ないと承知しねぇって言っといて、15分も待たせる人間、そうそういねぇと思うけど」
ヤ 「・・は、はは;お、男が堅いこと言うな」
慎 「そーいう時だけ、男扱いすんのな」
ヤ 「う」
ポツポツと、その確信を得たように嫌味を言うところ・・
向こうに行ったらなおせよ・・沢田。
駄目だ。
油断すると目頭が熱くなる。
拳をキュッと握り、大きくその場で深呼吸。
そんなアタシの姿を・・・いや。
言葉を、彼はただじっと待っているようで。
まるで、覚悟を決めたような一人の男みたいに。
ヤ 「どんな人にも良いところはある・・・」
慎 「ハ」
ヤ 「それならきっと! どんな人にも悪いところはあるよな!?」
慎 「・・意味わかんないんですけど」
ヤ 「あ、あたしは、真剣に聞いてんだよ!えぇ、どうなんだい!?」
思わず彼の襟元を掴んで、今にも殴りかかりそうな勢いで大声で怒鳴った。
慎 「・・・・。」
ヤ 「・・・・。」
まるであたし達の沈黙を盛り上げるかのように、冬の風はヒューと音をたてる。
あたし、きっと無茶苦茶なこと言ってる。
センコー失格だ・・。
でも、止められないんだよ。
慎 「あんじゃねぇ?」
ヤ 「え」
慎 「人間なんだから」
ヤ 「そ、そうか・・」
何だか張っていた気が抜けて掴んだ服を放すと、相手も訳がわからなく、力なくベンチから地面にしゃがみ込み
ポリポリと髪の毛を掻き毟って、不快な顔つきでアタシを見上げる。
その視線にいたたまれなくなって、彼の後ろに回りこんで、自分もその場にしゃがみ込んだ。
ヤ 「そっ、そのまま、前向いてろっ・・!!」
慎 「は?」
ヤ 「い、いいから!!!!!」
慎 「・・・・・・・・・・・。」
ヤ 「絶対、う、後ろ振り向くんじゃねぇぞ!!」
慎 「・・・・・・・。ハイハイ」
彼からの視線を逃れると同時に、ポロポロ零れ出した涙。
切れてしまった涙腺は、止まる事を知らなくて・・黒の背中が滲む。
ヤ 「もうワカンナイ」
慎 「そりゃコッチだ」
ヤ 「理解したいのに出来ないのと・・・」
慎 「?」
ヤ 「理解してほしいのに出来ないのは・・どっちが辛いんだろ・・ひっく・・」
慎 「・・・・・・・。」
ヤ 「あたし・・・」
慎 「・・・。」
ヤ 「みんなが卒業するのが寂しくてたまんない」
慎 「うん」
ヤ 「でも、あ、あたしは・・・!センコーだし・・・・・」
慎 「・・うん。」
ヤ 「お前が、居なくなるのが・・・寂しくてたまんない」
慎 「・・・・・・・・・・。」
ヤ 「・・・・ひっく。・・だから。」
―行かないで。
言葉に出来ないその5文字を、学生服に指でなぞりそうになる。
ヤ 「だ、だから・・」
慎 「・・。」
ヤ 「中途半端な毎日を、向こうで過ごしたら、承知しねぇからな!」
慎 「・・・・・・・・。」
ヤ 「なってば!?」
慎 「・・・・・・あぁ。分かってる。」
―行かないで。行かないでよ。行かないで。
そうは書かずに。
震えた指先で、2文字を学ランの背になぞる。
―バカ
慎 「うっせぇよ」
ヤ 「うるさく言ってない!書いただけだもん!」
慎 「ガキか・・お前は」
ヤ 「うぅぅ・・ばか。教師を泣かすなんて・・」
慎 「・・・。」
ヤ 「最低だぞ・・ひっく」
慎 「それを言うなら」
ヤ 「・・ヒック」
慎 「惚れた女を泣かすのはだろ」
ヤ 「・・・・・・・。」
慎 「そのままで俺も聞いて欲しいんだけど」
ヤ 「へ」
慎 「情けねぇ話しなんだけど・・」
ヤ 「・・・・」
慎 「やっぱりココに残りたくなって、たまんねぇ」
ヤ 「え」
慎 「今、心底そう思ってる」
ヤ 「そ、そうなの・・か?」
慎 「・・・・・・・・・・・。」
ヤ 「なんで?」
慎 「決まってんだろ」
突然振り返った、あたしの大事な生徒は、真っ直ぐな瞳であたしだけを見ていた。
その黒い瞳に吸い込まれるかのように、また押し当てられた、柔らかい彼の唇。
ヤ 「・・・・な/////」
慎 「お前がそんな顔するからに決まってるだろ」
慎 「ヤンクミ」
ヤ 「う」
慎 「好きだ」
ヤ 「あ、あたしは・・!!」
慎 「・・。」
ヤ 「好きだとか・・」
慎 「・・・。」
ヤ 「そんな言葉は、死んでもお前には言わないっっ!」
慎 「うん。知ってる」
ヤ 「ナンデ・・・ヒック・・バカだよ、お前は・・・」
慎 「それでいいから」
逃げられないよう頭に手を持っていかれて・・
息がかかるほどに近付いたソレと、また重ね合わせた二人。
頭の中が熱くて熱くて、その熱に支配されて、
ココが公園とか、コイツが生徒だとか、あたしが教師だとか、
もう、何が何だかわからなくなっていた。
それが何なのかさえ、それがどんな存在だったのかさえ
全部を忘れてしまった人間のように、ただその熱を受け入れた。
グィと掴まれた手首。
そのまま歩き出す彼。
ヤ 「え・・あ・・あの・・ちょ・・何処に?」
慎 「俺ん家」
ヤ 「え」
慎 「もう・・」
ヤ 「もう?」
もう?
慎 「なんにも、迷わねぇくらいにしてやるから―――。」
グラッと瞳に映る傾いた世界。
直立するような真っ直ぐな言葉。
いつか責めてしまうかもしれない、掴まれた腕。
そして揺らぐ心。
瞬間が重なり出来た時間と、今が重なり生きる自分。
それら全てを、もう振り払えないのだと思った。
見上げた彼の背中越しで燈る外灯だけが、二人の真実を照らしていた。
迷い込んだといえども
もう戻ることは不可能で。
現実も、運命も、未来も、何もかもを蹴り飛ばして
お互いの存在を求め合った。
ただ、二人の吐息がリアルだった。
そして絶頂の瞬間。
どこまでもどこまでも優しい声が、自分の名と、深い深い愛の言葉を
やがて薄れてゆく意識の中で聞いた気がした。
月日が流れて、アイツがどんなに可愛い・・・いや、憎たらしいの間違いか。
そう。憎たらしい、おじいちゃんになっても、
きっと思い出だけは、私に語りかけてくれる。
その時だけは懐かしさに身をよせよう。
きっと、それは素敵な事だから。
大丈夫。
アイツは頑張ってるって。
静 「映画みたいなハッピーエンドだったらいいのになー。」
カクテルグラスを傾けながら、そう愚痴を零したのは、藤山先生だった。
彼女は酔うといつも男の愚痴に走る。
川 「なんや、また男の話しか?」
静 「またって酷い言い方〜!ね、山口先生」
ヤ 「は・・はぁ」
静 「何て言うかサ・・。」
ヤ 「何て言うか?」
静 「恋って迷路みたーーーい!!きゃははv」
川 「あんた、お酒もうそれくらいにしといた方が・・・」
酔った藤島先生を、なだめる川島先生と
苦笑いしながらも、その光景にもう慣れてしまった、篠原さんと柏木さん。
いつもなら、なだめる川島先生の方の助っ人に回るアタシは、今日は珍しく違ったのだ。
ヤ 「め・・迷路ですか?」
いつになく真面目に聞いたあたしを、3人はどう思ったんだろう。
静 「だって迷いこんだら抜け出せないんだもん。
抱きしめたり、キスしたり、守ったり、でも時には傷つけあったり・・もうやんなっちゃう」
ヤ 「守ったり・・か」
篠 「山口・・・・先生?」
ヤ 「えっ?あははは、何でもありません。今日はトコトントントン飲みましょーう!」
藤山先生・・。
あたしは。
守ったり・・・
守ってもらうのは好きでした。
あ、それは今もですけど。
でも・・
足手まといだけには、なりたくなかったんです。
ただ・・・
あの時の私には、全てのことが眩しすぎたのかもしれません。
それが、数時間後の女子トイレの中での酔っ払い同士の会話。
便器の前でしゃがみ込む藤山先生の背中を摩りながら、あたしは一人ポツポツと零すように話した。
でも明日になれば、藤山先生は覚えていないだろう。
それはそれで、有難いと思う。
酔っ払いだと分かっていて話したのは、この事を誰か一人でいいから、
ずっと、ずっと、聞いて欲しかった、そんな自分が居たのかもしれないから。
あの日からも時間という存在が、太陽を、月を、星を、動かした。
でもここの公園だけは、あの日から何一つも変わらない。
あれ?
4月なのに雪?
夜空からユラユラと舞って落ちてきた白い白い花びら。
ああ・・そうか。
ヤ 「これが、なごり雪って言うやつか」
何だかソレは、自分ととても似通うものを感じてしまって悲しく笑った。
帰って、お風呂に入って今はただ何も考えず眠ってしまいたい・・・
彼女そう思った。
また目が覚めれば、現実があるのだから。
目覚まし時計の横に飾られた写真たてに一人寂しく微笑んで、
朝起きてハジメテ見るのが、あなただったら嬉しいのに―――。
そう何度思い、何度朝を迎えただろう。
でも。
ズレた記憶の中の貴方は、いつも優しかったから。
――映画のようなハッピーエンドは・・・・・・・。
ヤ 「帰ろ・・。」
そう一言呟いて、歩を進めようとした時。
公園の入り口に佇む人影に足を止める。
ヤ 「・・・・・な・・」
目をゴシゴシとこする。
酔っ払い過ぎたのか、あたしは?
慎 「俺は死人かよ」
ヤ 「ほ・・・本物だ」
慎 「酔っ払い」
ヤ 「な・・んで?・・いんの?」
慎 「それが帰った人間に一番初めに言う台詞かよ」
ヤ 「ハ」
慎 「誰が向こうに一生居るって言ったんだよ」
ヤ 「か・・・・」
―帰った?
慎 「つーかサ」
ヤ 「え?」
慎 「あれからどうだった?」
ヤ 「へ?あ、あれから?」
慎 「そうあれから。」
ヤ 「・・・・・・。」
慎 「一番にソレが聞きたかったから」
――それって言われても・・―――。
慎 「迷った?」
ヤ 「・・・。」
慎 「ソレだけが聞きたい」
『もう、迷わねぇくらいにしてやる』
強く言い切ったあの言葉は、あたし達を今まで繋いでいてくれたというの?
お前は?
繋がってた?
あたしだけじゃなかった?
―ば、ばか。
駄目だ。
全身に込み上げてくるものが止まらない。
ヤ 「・・・・・ひっく・・・・」
慎 「・・・・・・・・・。」
ヤ 「・・・・ひっく、ひっく」
慎 「なぁ」
ヤ 「・・・・・・ひっく」
慎 「・・・・泣くなよ。」
ヤ 「ま、迷えるわけないじゃん!」
―ばか。沢田のバカ。
拳をギュッと握り締め、瞳に溜まった涙はそのままで相手をきつく睨む。
涙なんて拭く余裕さえも、今のアタシには残っていないのだから。
だから、最後の最後に強がりを。
ヤ 「このまま、オバーちゃんになったら、どーしようかと思ってたトコだよ!」
静かに笑うその横顔があの日と同じくらい愛しくてたまらない。
それが悔しいよ。悔しくてたまらない。
不安も嫉妬もいらない。
必要なのは勇気だけ。
何処かでそんな言葉を聞いたような、聞かなかったような。
でもそれも一理あるのかも。
――変わらないその嫌味な笑顔に向けて駆け出した。
全てを望む子供のように、ただ両手を伸ばした。
運命も未来も全ては、その先にあるような気がしたから。
「お帰り」の言葉は上手く言えるか分からないけど、
とりあえず、伝えたい事がある。
あの日、彼が言ってくれたみたいに。
好き。
―――あなたが好きです。
ただそれだけなんだと。
・・・・そう・・・・
あたしたちは繋がっている。
細い細いケーブルでもなく
ただの一言で。
END
以前運営していた個人サイト「purely」の1周年を記念して書いた、慎クミssです。
日頃の感謝の気持ちもこめて、フリーにしていた作品。
これねェ。自分で言っちゃうけど……頑張ったんだよ。←殴
仲良しの管理人サマの門出?も重なっていたからね…懐かしいわ。
何処にいても繋がっているという、そんなテーマで創作したもの。
たくさんの方に気に入って頂いた作品の一つなので、私も凄く思い出深いです。
豆家に持ってきたのもそんな理由からv
貰ってくれた管理人サマにも感謝。ホント嬉しかったなァ。