放課後の静まる校舎内。

  廊下側の窓から見えた夕焼け雲に誘われて、一人屋上に出てみた。

  懐かしいような、何処か少し寂しいような……。その広がる果てしないオレンジ色の景色に

  受け持つ一人の教え子の顔が、心地く吹く風に運ばれて届けられたかのように頭に浮かんだ。



  多分それは、普段の彼が何気ない日々の頭上に浮かぶ空をよく見上げるから。


  騒がしい教室の窓から見える、何処か遠くの空を、机に肘を付いたまま、ただ黙って眺めたり……

  一人川原の土手で寝そべっては、夕暮れの空を見つめる彼の姿を見かけたり……

  仲間達に囲まての登下校での道のりや、何気ない日常にある、そんな空を不と静かに見上げたり……

       

  変な行動だけど、何だか彼らしい行動でもあり、彼らしい仕草で

  違和感も無く妙に納得出来たりで。

       

  そんな彼を見て、「変なのは自分なのかもしれない。」とか、何だかコッチが思ってしまうような…

  変な感覚。変な自分。



  アイツの瞳にはどんな風に、その見上げた空が映っているのかを確かめたくって、

  気付かれないように、あたしもその空をそっと見上げた事が何回かあったっけど、高い高い空は、ただ静かで。

       

  …けど…

  今のこの時間。

       

  この屋上で見た夕暮れの空は、言葉に出来ないような何か重いものを感じて。

  痛いくらい切なくって。

  オレンジの世界に自分でも理解出来ないような感情に引き込まれ、支配されたような感じがした。

     
  

  アイツはいつもこんな風な気持で空を見上げているのだろうか。

  そう思うと、その広がる景色に何故だか涙が溢れそうになったんだ。



      



       
  空の彼方にあるモノ

   

     
     

       

  慎 「悪ィけど…。」

     
     

       
  噴水の側の木陰で、学ランを着た男4人が息を潜めては、目の前で繰り広げられる

 『ある』光景に目を輝かせ、耳を済ませながら、その様子を窺っている。

     
  そう。白金学院に通う3Dのリーダ的存在でもある沢田慎が、 『またもや』 告白されている現場を押さえたからだ。

  白金学院高校、3年D組に通うという最大なハンデを背負いながらも、何故か彼だけはモテる。

  頭脳明晰、スポーツ万能、おまけにイケメンとくれば、白金の名も有って無いようなものなのだろうか…。

  そんな彼は女に興味が無いとばかりに考える間もなく、もう聞き慣れてしまった台詞を静かに言う。

  神様とはなんて不公平なんだろう、と3Dの生徒はこの頃、誰もがそう思い、そして感じていただろう。  



  

  野 「クゥ〜!!何で断んのかねェー!!」

  内 「しかも、あんな可愛い子ー!!!」

  南 「俺だったら問答無用。二言返事でOKだなっ]

  ヤ 「ありゃぁ、隣町の名門のお嬢様学校の制服だなぁ。」

  熊 「ふーん、そうなのか?…て。!?!!!」

       



   「「「「 ヤ ン ク ミ ! ? ! 」」」」



     

       
  男4人のハズが、お決まりの一人の人物の登場で皆が一斉に声を上げて驚く。

  しかも彼女は、熊井の肩にしっかりと肘を付き、当たり前のように体を任せていて、

  既にこの場に馴染んでいるものだから、皆も唖然として言葉が上手く出てこない。

  だが、毎回の彼女の行動に驚いてしまうのが事実なのだから、彼等もまだまだ成長していないと言えるだろう。


     

    

  ヤ 「しっ!!バカ!聞こえんだろうがぁっ!!」



     

   
  彼女の平手打ちが良い音をたてながら、4人の頭を順に飛んでいく。

  だがその平手打ちは、彼等にとっては遮断された思考回路を正常にさせるには十分だった。



     

  野 「何でいつもそうやって急に現われんだよっ!!」

  ヤ 「ギャラリーは大勢いた方が盛り上がんじゃん♪」

  内 「だぁぁー!うっせェよ!」

  南 「ヤンクミ、しっ!静かにしろよ!!聞こえなねぇだろーが……お?」



       
       

  女 「あっ、あの、好きな方とかいらっしゃるんですか?」

     
     

  女子高校生の台詞に皆が一斉に哀れな顔付きをしたのは明らかだった。

  そして心では同じ言葉を呟いただろう。「またこの質問かよ」と。

  それと同時に彼からは、お決まりの言葉が出るだろうとも予想をした。「興味ねェから」と。





     
  内 「あーあ、可哀想に…。」

  ヤ 「まったくだ。」

  内 「けどさー、慎には居ねェでしょうが。」

  南 「正常かどうか確かめたくなるくらいだっつーのに。」

  

野 「妹命って感じだかんな。」
  ヤ 「うん。それ言えてる。」

  熊 「………。」

  野 「さぁ、出るかなぁ。お決まりの言葉」



       

    「「「「 う ん う ん  」」」」



     

   
  まるで実況中継を任された気分でいる面々は、傍から見るとかなり危ない。

  既に結果が見えているとは言え、好奇心旺盛な彼等にとっては最後まで事の行く末を見守る事しか出来ないのだ。

  「一度乗りかかった船と…」その中の一人の女なら、必ず言うだろう。

     


     

     
  慎 「あぁ。だから悪ィけど。」





      
  ふんふん。

  …ん??

  あぁ?? 
  

       



     
    「「「「 え っ っ ぇ ぇ ぇ え ! ? ! 」」」」







     
  その肯定的ともとれる発言に、一瞬頭を悩ませ考え込んだ面々だったが、暫しの沈黙の間の後は一斉に立ち上がる。

  突然現われたそんな彼等に、子柄な女子高生は体を酷く震わせて驚いたが、

  当の爆弾発言を落とした彼はと言うと、醒めたたように深く溜息を零し、不機嫌そうに皆を睨んだ。

  だが今日は、普段は効くその彼の鋭い睨みも全く効果はないようだ。

  今のこの状況をも忘れて詰め寄っては、一斉に質問を投げ掛けるのだから。



     

  内 「どういう事だよっ、慎!?」

  南 「女に興味無いって顔しやがってー!!」

  野 「俺らにそんな大事な事、隠してたんだぁッッ!?(涙)」

  ヤ 「あ、ああ、あたし聞いてないよ?」

  慎 「言ってねェもん。」

  熊 「………。」

     



   
  そんな相変らずなやり取りが繰り広げられる中、遂にその場に絶えられなくなった女の子は

  手の平で泣き顔を隠すように被いながら、走り去ってしまった。



     

  内 「あーあー。」

  南 「変わりに俺が相手してやんのにさぁー…チェ。」

  ヤ 「あ、あ、あたし…」



     

  あの時、女の子が走って行く背中を見て、言葉にならない気持に押し潰されそうになった、あたし。

  体が自然にその方角に向き、走り出そうと一歩前に出たんだ。



  瞬間、きつく掴まれた腕。

  振り返ると真っ直ぐな瞳とぶつかった。




     

  慎 「何処行くんだよ?」

  ヤ 「だ、だって。あの子泣いてたじゃん…。」

  慎 「だから?頼んでもしねぇのに余計な事してんじゃねェよ。」

  ヤ 「おっ、お前冷たいぞっ。あの子が可哀想じゃねェか!」



     

  「可哀想」と言ったあたしに、彼の瞳が微かに動いたのが伝わった。

  小さ溜息をまた零して、掴んだ手を放す彼はポケットにその手を仕舞い冷めた口調で言う



      
    

  慎 「どうあがいたって報われねェかもしんねぇのに、期待させる方がよっぽど罪てもんなのを、お前知ってんのか?」



     
     

  少し傾けた顔で覗き込むようにしながら、切なげ気に言った彼の言葉に思わず息を呑んだ。

  何故なら、彼があまりにもその言葉を訴えるような瞳で言ったから。

    

  だけど彼の言葉の意味を考える余裕がなくて。

  …違う。考えるのが何だか怖かったんだ。



     

  言葉が出てこない、そんなあたしに彼は一歩近付いて――――――――

  ビシッ!!





     
  ヤ 「イダァッ!!」



     

     
  デコピンを一つお見舞い。

  涙目で額を摩りながら理解不能な顔をするあたしに静かに笑って、「帰んぞ。」

  慣れた道のりに足を再び進めたのだった。



     

  ヤ 「…あ、でも」

  慎 「今日ってお前ん家鍋?」

  ヤ 「は?」



     

  そう言えば、昨日、あたしがコイツに言ったんだっけ?しばらく家に来ていない彼に、「飯食いに来い」って。

  振り向いた彼が、先ほどにない優しい瞳で微笑するから、胸がキュゥと今日も痛くなった。

  この胸の痛み。これは最近覚えた痛みだ。

  屋上で夕暮れの空を見上げた時の痛みと、同じもの。
     
     

  でも、この胸の痛みの訳を知りたくないんだ。

  まだ知りたくない。
    


     
     

     
  ヤ 「あ、あたしが鍋にしろって言ったら、ウチはいつでも鍋だぞっ!」

  慎 「じゃ、お言葉に甘えて。ヨロシク」

  ヤ 「え?…あ、お、おう!よーし帰んぞっ!」



     

     
  赤く染まった頬を見られないようにして、ズンズンと彼を追い越し少し前を歩いた。

  普段より彼が、素直な言葉をくれたからか―――何だか調子が狂う。

  元々素直な生徒ならこんな気持になんねェのに…などとブツブツ小さく愚痴を言い

  でもそんなあたしの背中を後ろから見られているのかと思うと、余計に気恥ずかしかった。

     
  だけど、正直。

  普段のあたしとの何気ない日常会話を大切に、そして覚えていてくれているという事実が嬉しかったんだ。

     



  また見れたような、知ったような、そんな彼の一面。

     

     

     

     



  何 だ あ れ ?




     
     





  いつもの変な二人を皆が呆れ笑いするが、その表情は至ってとても優しい。

  「帰りますかァ」野田の声に、二人の背中を追うようにして、皆も歩き出す。

  だが、そんな中、居るハズの仲間が一人居ない事に気付き、最初に振り返りその人物に声を掛けたのは南だった。

     



  南 「どうした、熊ー?」

  内 「ん?何だ、食あたりかー?」



     

  それでも立ち止まったままの熊井。

  その表情はいつにないくらいの真剣な顔。



     

     
  熊 「俺、前から思ってたんだけど…。」

  内 「は?何を?」

  熊 「慎の好きな女ってさァ、案外俺達のよく知る身近な奴なんじゃねぇのかなァ…て。」



       

     
   「「「 ハ イ ? 」」」

     

     



  単純な面々は「沢田慎」の爆弾発言とも言える、先ほどの言葉をすっかりと忘れていたようだ。

  それだけ前を進むあの二人は、いつでも何処でもこんな調子で、有耶無耶にするのが上手いと言うのか…

  それが普通と言うのか。



     

  だが可笑しくも、それが皆にとっても当たり前で、違和感なんてものは全く沸かないものだから、不思議なものである。

  既に、二人には何か見えない力が働いていた事を、この時の皆はまだ知らない。



    

  いや、認めたくなかったのかもしれない。

     

     



  何故なら。

  皆、あの2人が好きだから。

     
    

     

  内 「み、身近っつったって…。なぁ、南?」 

  南 「え?あ、おう。…ど、どう思うよ?野田」

  野 「まぁ、そんな女って言ったら俺達の周りにはヤンクミぐらい…しか…。」

       

     

  「「「「 ………………。 」」」」



     

  内 「あ、あのー。野田君。今その名前出すか、普通?」

  南 「てか、もう言っちゃった?」

  野 「実は言いかけて、自分でも怖くなった。 てか、お前等が言わしてねェ?」

     

   

  苦笑しながら遠い目で話し合う3人に、追い討ちをかけるように熊井は続ける。

     

     

  熊 「好きな女が居てるっていう事をヤンクミが居んの知ってて…そのぉ…分かってて聞かせたんじゃねぇかなぁ?」

    

     

   確 信 犯 っ て ヤ ツ で す か ?

       

    



  「「 ま……… ま っ さ かぁー♪ 」」」

     

     

  一瞬黙り込み、言葉を詰まらせた面々だったが

  息ピッタリの否定の言葉を見事にはもらせると、おどけるようにして笑みを作って見せる。

  だがそんな3人に、普段吐かない溜息を吐いた熊井の姿が、また静寂を取り戻すには十分だった。

     

     

  熊 「でもホントはさァ…。」

     

     

  熊井は悩んでいた。

  この言葉を言って良いものか。

  だが、いつかは誰かが言う時は必ずやってくる事実を、この3人も分かっているはず。

  なら、一番近くに居る俺達が一番先に理解して、見守ってやりたい……。



  それが本音。

  それが願い。


     

     

  熊 「お前らも、何となく気付いてんじゃねぇの? あの二人には特別な何かがある…みたいな。」

       





    「「「 ………。 」」」

     

     

  熊 「俺達だけじゃなくて、他の3Dの皆も口にはしねェけど、同じ事、思ってんじゃねぇのかな…。」

     

     



   ーーーヒュゥーーー…。

    





  そんな寒い空気が言葉を完全に失くした面々の隙間を虚しく通り抜ける。

  ココまできてしまっては、認めたくなかった事実を認めるしかない。

  そんな風に初めに開き直った南が「ふっ」と笑みを零し、冷たい空気を和らげた。



     

  南 「まぁ、うん。…いいんじゃね?」

  内 「それが仁義ってもんだよ…な?」

  野 「お、おう!それと人情だよっ」

     

  熊 「俺はさァ、どっちも好きだから…。これからどうなるか何て分かんねぇけど、2人が幸せになってくれたら何も言う事はねェ。」

     

     

  サラリと言い切った熊井の言葉に、皆の心に熱いものが生まれたのは絶対と言えるだろう。

  ニィと最後は笑ってみせた熊井が、普段より一段と大きく見えるのは、仲間想いの彼の優しさのせいか、元々の体つきのせいか…。



     

  南 「…クマ。」
     
  内 「お前って……いい奴だなぁーーー!!」
     
  野 「俺マジで感動した…。」



      

  「「 クマーーーーーーーー!!」」」



     

  3人の男に感動の証とばかりにビシッバシッと頭や背中を叩かれる熊井が、顰めっ面でその行為をただ我慢しながら受けている頃

  先を進む当の二人は理解不能な顔付きで、数メートル離れたその光景を呆然と眺めながら言う。



     



  ヤ 「何やってんだ。あいつら?」

  慎 「…さぁ。」



     
     

  そう。彼等は皆、この2人が好きなのだ。

  認めてしまったら、この何気ない当たり前の幸せな日常が壊れてしまいそうで。

  それが怖いだけ。

     

  本当は皆が気付いていた事。

  気付かない振りをしていただけ。

  認めたくなかっただけ。

     

  

  理由なんて簡単。

     

     

  特別な何かがあの2人には有ると言っても、彼女の性格も彼の性格も、痛いほど良く知っている面々だから…

  そんな彼女の真っ直ぐ過ぎる性格は、彼が一番理解していると思うし。

  だから尚更、皆が想像するような温かい2人の結末は―――



     

  そう、この空のように、遥かに遠い。

     

     

  青い空がいつまでも青くあって欲しいと願うように

  あの2人にはいつまでも、あんな風に笑っていて欲しい。

  2人が並んで歩くその背中が、いつまでも当たり前であって欲しい。

  ただ、それだけなのだ。

     

 

  どうなるか分からない前途多難の2人を、空のように静かに見守る事を

  ある良く晴れた日の青い空の下で交わされた、男達の無言の誓いなのだった。





 

     

   NEXT

  

     





  「空の彼方にあるモノ。後編。」に、続く。







   



     

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