見上げると秋がそこまで来ているのだと感じさせられる空とポッカリ浮かぶ雲。

  夏の終わりを知らせる様な……そんな夕暮れ。



  季節をこんな風に感じるのが大好きだったあの女と出会った。
 
  コロコロ変える表情は毎日の天気みたいで、誰もが彼女の予報を当てるのは困難だった。

  けど…そのコロコロ変わる表情に胸を熱くさせた奴は多かっただろう。

  今まで卑屈に生きてきた俺達には彼女の存在は眩しすぎて…

  だからどうしよもなく魅かれたのかもしれない。



  心に生まれた感情。

  それは、ときめきだとか、惚れたとか、恋心だとか、そんな甘い響きとは少し違うと思う。

  卒業と同時に彼女へのそんな想いは胸の奥深くに刻まれ白金学院を後にした…

  俺もその一人。

        

  俺達は彼女に守られ、彼女は俺達で守るみたいな…

  今考えると、そんな変な高校最後の一年だった。



          

   恋恋。

         
        

  季節を感じさせるこんな日は、記憶の扉を叩く様に無理やり頭の中に現われる女が居る。

  夏も終わりだと言っても、日中の残暑は外で働く俺にとってまだまだきつく、体に堪える。

  仕事を終えた達成感と、かなりの疲労感を抱き家路を急ぐ中何となく思い出した元担任の女。

        
        

  (マイペースって言うか、自分勝手って言うか、女王様?…・・・あ、お嬢か。)

        
        

  意味のない事を一人呟きながら、アパートの近くの線路沿いにある一軒の酒屋の前で足を止めた。

  店の前にはジュース、酒、煙草、電池の自動販売機。

  俺の記憶では、子供の頃からある店で、親父が生きていた頃よく一緒に買いに来た。

  親父はビールと煙草を、俺には好きなジュースを必ず買ってくれ

  ソレ目当てに、よく買い物に付き合った記憶がうっすらと残っている。

        
        

  (そんな可愛かった頃の俺も居たんだよなァ…)

        
        

  自動販売機に小銭を入れながら一人苦笑した。

  数本の缶ビールと煙草を買うのは俺の日課となりつつある。

        
        

  (やば、俺ってマジ親父くさいし。)

       
        

  まだまだ恋愛至上主義の仲間達に言われた事。

  「親父くさい。」

  女を作るのも面倒くさくて、紹介の話しも気乗りしなくて…

  高校の時なら何が何でも出席した合コンや、必死になったナンパが今となっては懐かしい。



  俺は卒業と同時に恋愛至上主義だった自分とも卒業した。

        
        

  内 「けど、アレも一応青春だよな!…うんうん。」

        
        

  そう言いながらも、独り言が多いのも親父くさいと言われた事をまた思い出し、

  しかめっ面をしながら頭を掻き毟った。

        
        

  (調子狂うぜ…ったく。)

       
        

  アパートの方角に足を進め様とした、その瞬間。

  店の中からフワリと甘い香りが、俺のすぐ側を通り抜けた。

  ソレは何だか懐かしくて…とても優しい匂い…。 

  自然と正体を確かめる様に、目線がソレを追い駆けた。

       
         

  (……あ。)

        

  店主「お嬢!おやっさんにもヨロシク伝えて下さいねー!」

  ヤ  「うん!言っとくよ!またね!」

        

  酒屋から勢いよく出てきたそのよく知る人物は、今現在愚痴っていた…厄介な女。

  長い髪をなびかせながらクルリと振り返り店主にバカでかい挨拶をする彼女と

  唖然と立ちすくむ俺との目が合うのは、時間の問題だった。

        
        

  ヤ 「あァーーッッッ!?」

        

  

  再会に胸が高鳴りを覚えたのは正直な気持だが

  彼女の叫び声に我に返るのは早くて、その事に呆れたのも正直な気持。

        



  内 「…でっけぇ声。」

  ヤ 「汚ったねェ。真っ黒じゃんよ。」

        
        

  久ぶりの会話とは思えない会話に、お互い顔を見合わせ二人同時に笑い出す。

  彼女の変わらぬ笑顔に安堵感が胸に込み上げ、それと同時に今は外された長い髪の毛と、眼鏡が

  卒業してからの流れた月日を重く感じさせられた。

        
        

  ヤ 「内山ーッッ!久しぶりー!!」

        



  駆け寄り飛び付く様に俺に触れてく彼女は、相変わらず小さくて華奢で……優しかった。

  俺の心境は、まるで久しぶりに会った恋人同士の再会の様に、抱きしめたくなる衝動に駆られた。

  そしてその事実に驚いたのは、何を隠そう自分自身。

        
          

  俺、どーかしてんじゃねェのか?

  けど…こういう気持って。

  一般的に。

  普通に考えるとだなァ……。

          



  (ありえねぇ。)


        

  ヤ 「おーい!聞いてるか!?内山?!」

  内 「え? あ…わ、悪ィ。何だって?」

  ヤ 「だーかーらー! 今、帰りなのかって?」

  内 「お、おう! 仕事マージ疲れたァ! ヤンクミは?」

  ヤ 「それがさ、お前らの時より問題が減ってサー、真っ直ぐに帰れる事が多いんだよなァvv」

        

  (そりゃ…そうでしょう。)

        

  俺達の時より問題児が多いクラスならある意味…

  俺も怖いかも。

        

  内 「ココの店…知り合いなのか?」

  

  ヤ 「あぁ。昔からある店で世話になってるんだ。今日も帰り道だから、ついでに家の配達の酒を頼んでた訳よ♪

     まぁ、ウチの連中は飲む量がハンパじゃねェからなー。」

        

  内 「ソレ、お前もだろうが。」

  ヤ 「うっ。。あ、あたしはだな、可愛いもんだよー!たしなみ程度!」

  内 「たしなみ程度ねェ?」

  ヤ 「そ、そそ、そう言うお前の手に持つ物は何なのかなァ?」

  内 「あ…コレか?」

  ヤ 「ケッ!親父くせェ奴。」

  内 「うっせーよ。……あ。」

  ヤ 「ん?」

        

  言おうか一瞬迷った。

  でも、そんな俺にキョトンとした表情を向ける彼女に拍子抜けし、その後はまた笑が込み上げた。

  袋に入った缶ビールを軽く持ち上げ彼女の目線をソレに引く。

        
        

  内 「…いる?」

        

  袋へ移った彼女の目線が、また俺の顔を見上げ首を傾げる。

  今度こそ答えを教えてやる様に悪戯っぽく笑ってやると、小さく「…あ」と言葉を漏らし同時に大きな瞳が動いた。

  やっと理解出来た様子の彼女は、負けじと極上の笑みを向けながら、両手を差し出す。

        
        

  ヤ 「もちろん、頂きます。」

  内 「どーぞ。センセイ。」

        

  ケラケラ笑いながら手渡すと、彼女が柔らかく微笑んだ。

  普通の女ならこんな事で喜んだり、こんな事で笑ったりしないだろう…。

        

  第一、普通の女だったら。

  俺も居酒屋やオシャレな店を誘ったりする。

  汗臭い体に、汚い作業着も少しも気にならない、嫌がらない……変な奴。

        
        

  内 「…たく。調子狂うぜ。」

  ヤ 「ん?何か言ったかー?」

  内 「相変わらず色気ねェ奴。って言ったんだよ。」

  ヤ 「な!?何だとー!?(怒)」

  内 「じゃあ、たしなみ程度で、付き合ってもらおうじゃねェの♪」

  ヤ 「奢りなら…たしなみ程度以上に付き合ってやってもいいぞーーvv」

  内 「言ってろ。」

        
        

  覗き込みながら言う彼女に「ハイハイ」と愛想の無い返事をして、側の公園に勝手に足を進める。

  それでも何も聞かず、俺の背中の少し後ろを付いて来る行動や、些細な仕草に、また胸の高鳴りを覚えた。
        
        

  だけど、そんな俺を。

  夕暮れの空が、赤くなった頬を優しく優しく、隠してくれていた。





      

   

  「「 乾杯ー!!」」

        



  帰宅途中に仲間達と意味も無くよく立ち寄った公園。

  ベンチやブランコの鮮やかだったペンキが、あの当時よりも色褪せている。

  学校での仕事が片付くと、彼女や保険医の川島、それに英語の静香ちゃんが、

  俺達を見つけてはココに立ち寄りよく他愛も無い話しに花を咲かせた。

  

  でも今考えると…

  彼女達がココの前を必ず通る帰宅道だから、皆はたまる場所を変えなかったのかもしれない。

  その証拠に、彼女達が合コンだとか飲み会だとか騒いでいる日は、

  何気にゲーセンやカラオケに行ってた事が多かったから。



  (俺達もしっかり青春やってんじゃん)



  そう思うと、懐かしいような、テレくさいような…気付かれないように小さく笑った。

        
        

  ヤ 「けど、本当に偶然だよなァ。」

  内 「だよなァ、近くに居ても中々会う機会がねェからな。」

  ヤ 「いや、そうじゃなくて。」

  内 「へ?」

  ヤ 「内山が会いに来ないだけじゃん。」

  内 「……。」

       

  ……そうかも。
        
        

  ( 野田と南もこの前、学校に会いに行ったとか言ってたっけ? )

        
        

  内 「お、俺は……。仕事忙しいし、時間が合わねェじゃん?」

  ヤ 「ふーん。…そっか。 まァ、仕事頑張ってんだもんなッ!偉いぞー!よしよし!」

          

  (相変わらず細っせェ腕。)

        
        

  頭に伸びた懐かしい彼女の華奢な手。

  癖であるその行動は久しぶりだからか、何だか照れくさかった。

        
        

  内 「まぁ、きつくて逃げ出したくなる時もあるけどな。」

  ヤ 「そっか。けど!お前は逃げ出したりする様なそんな奴じゃねェ。」

  内 「言い切ったな…。」

  ヤ 「おうよ!」

        

  何故ここまで自信満々に他人の事を言い切れるのか?

  だけど単純な事に、その言葉で俺は、仕事がきつくても何があろうとも…

  当分は弱音など吐かないで、頑張れる様な気がしたんだ。
        
        

  さすがにその事は言葉にはしなかったけど。

  「サンキュ」小さく言って煙草に火を点けた。

        
        



  日が暮れて、公園には外灯がポツポツと灯し始めたが、ソレに気付かずに他愛も無い会話に花を咲かせた。

  夜の公園は2人にはすごく広かったけど、彼女がソコで笑うだけで、とても華やいだ。

  そんな彼女との会話は尽きなくて、飽きなくて、まるで退屈しなかった。

  時折り吹く夜風が、彼女の髪の甘い匂いを俺に届ける。

  その香りに包まれていると、不思議な程、安らいでいくのを実感した。

        
        

  ヤ 「でもまぁ今日は、この純情可憐な女を捕まえて、お前は幸せだなー。」

       

 

  ブハッ!!

  飲みかけたビールを思わず吐き出し思考回路が止まりそうになる。

       
         

  (何を言うんだか、この女は…。)

        



  内 「誰が純情可憐だっつーの!誰が!?」

  ヤ 「あたしに決まってんじゃんvv」

  内 「バーカ!ヤンクミがそんな良い言葉で片付けられるんだったら、この俺様はどうなんだよ!?」

        

  ヤ 「う〜ん。純真無垢…てとこかな。」

  内 「純……ハッ!?どういう意味?わかんねェ。」

  ヤ 「お前なァ…少しは学習しろよ。」

        

  溜息をつきながら呆れた顔を見せた彼女だったが、何を思いついたのか

  俺の顔を覗き込み不適な笑みを浮かべる。。

        

  (ゲッ!この顔……嫌な予感。)

        

  ヤ 「今度会うまでも宿題なーvv」

  内 「ハァ!?」

        

  何が悲しくて卒業してからもセンコーに宿題を出されなければいけないのか…

  第一、今度会う時っていつなんだ?

  そんな疑問だらけの俺とは正反対に、何処か満足そうな彼女は夜空を見上げながら何とも涼しい顔。

       
        

  ヤ 「夏も終わりだな…。」

        



  夜空を見上げながら呟く様に言った彼女の一言に、俺は言いようの無い様な気持に押しつぶされそうになった。

  それは。懐かしいような…嬉しいような…切ないような…

  俺の記憶。
        
        

  季節を感じるのが大好きだった彼女は、こんな風に空を眺めては、たまに見せる大人の…

  女性の横顔。
        
        

  そんな日の彼女の顔を見れた日は、何だか得をした様な気分がしていたのは

  あの頃の、俺一人の秘密事。

        
        

  内 「…単純。」

  ヤ 「はァ(溜息) 分からないかねェ、この季節を感じる広い心がー…。」

  内 「けど、ヤンクミのそういう単純な所…悪くねーよ」

  ヤ 「へ?」 

  内 「なんだよ?」

  ヤ 「おッ?ナニナニー!?? お前もやっとあたしの魅力が分かってきたのかーーvv」

        

  (そんな事、昔から分かってるし。)

        

  内 「まぁ…な。」

  ヤ 「!?」

        

  そう素直に認めてやれば、驚きを隠せず頬を赤く染め固まる彼女は、何処か少し居心地が悪そうだった。

  でもその時はソレで良かったと思ったし…少し安心してたんだ。

  何故なら、溢れそうになった…

  遠い昔、胸に深く刻み込んだ想いについて、余計な話しをしなくて済んだから。

        
       

  内 「そろそろ帰るかー!」

  ヤ 「お、おう!」

        

  一緒に帰る道中、ご機嫌な教師は元生徒に長々と熱の入った説教に程近いエールを送り続けた。

  そして別れ際は、普段の仲間と交わす様な……それはあっさりとした挨拶だった。
        
        

  だけど、俺の心は晴れた青空の様に広く済んでいた。







       



  ■■■







  玄関の扉を開け真っ先に風呂へと直行した。

  湯船につかりながら一人思い出すのは、彼女の無邪気に笑う笑顔や夜空を見て微笑む大人の女の顔。

  頭に触れられた時の彼女の細い指に絡む感触。

  見つめられたら吸い込まれそうになる大きな瞳。

        

  (俺、今日はマジでどうかしてる…。)

        

  人の心は理屈で収まりつかない事がたくさんある。

  けど、切なく鳴り響く…この音。

  優しくて、哀しげで、静かなんだけど。

  激しい、それは自分の鼓動。

        

  (……のぼせそ。)

        
        

  洗面器たっぷりに入った水を一気に頭からかけ風呂を出た。

  風呂を上がり扇風機の前で体を冷やす。

  そして頭も。
        
        

  その横で缶ビールを飲みながら、サスペンスに夢中になっている母親に、

  その宿題の意味とやらを一応聞いてみる事にした。

        
        

  内 「なァ、母ちゃん。」

  母 「んー?ナニー?」

  内 「あのさァー…。」

  母 「今、いい所なんだよねェ。あたしが思うにはこの人が犯人だと…」

  内 「俺ってさ、純真無垢な男?」

       

  ブハッ!!

  さすが親子…と言う様な反応に、我ながら感心した。

        
        

  母 「は、晴彦!あ、あんた、とうとう頭がおかしく……。」

  内 「ばーーか!違げーよ!言われたんだよ!」

  母 「ハァ?誰に?」
 
        

  内 「ヤンクミ!」

  母 「山口先生に?」



  内 「そッ! 久々に会ったら言葉の意味調べが宿題だとか言いやがってさァ!

    俺、卒業してんのにだぞ?! 相変わらず変な女だぜ…たく。第一…。」

        

  母 「…プッ。」

  内 「な、何だよ? 何が可笑しいんだよ!?」

  母 「だってー!(笑)心が汚れてなくて、清らかな事を言うのよ、純真無垢って!」

  内 「へ?」

  母 「ありえねェ〜。てヤツ??」

  内 「………………。」

  母 「どうしたの? 感動でもしたー?(笑)」

  内 「あのさァ、どうでもいいけど、いい歳した大人が子供の話し方に影響されてんじゃねェよ。」


        

  その日の母親の唯一の楽しみのサスペンスは何度か中断され、俺の深刻な顔を見てはニヤニヤと意味有り気に笑った。

  もちろん予想した犯人は見事にはずれ、犯人は主人公の息子の担任の女だった事が…

  またありえない話し。
        
        

  自分の家がこんなに落ち着かないと思った事は、人生で初めての経験だった。



        

  『恋愛至上主義』

  それは恋愛を人生において最高だと思う人の事。

        

  卒業したと思っていたその考え方は、どうやら、また復活してしまったようだ。

  胸に刻んだあの想いは……恋。 

        

  そして相手は、あの女。

  遅すぎた自覚。 

        

  けど、確信してしまえば…

  行動あるのみ。

         

  (とりあえず、明日ヤンクミの帰りを待ってみるか…。)





  NEXT





  恋恋、その行方に続く。