「よ」
通り過ぎざまに、そっけない挨拶。
それが聞こえたのは、放課後の校門前だった。
自分にかけられたものなのか、微妙なタイミングだったのだが
とりあえず山口久美子は、声の方向を振り返る。
そこには、意外な人物がいた。
wonderful life 2
「…野田!?」
「ひっさしぶり〜☆ヤンクミ!」
おどけたような表情は、まさしく彼のものだった。
以前、久美子が受け持っていた白金学院高等学校3年D組の中心グループにいた野田猛。
その5人組で唯一、卒業後に一度も会ってない人物が、目の前に突然現われたのだ。
「野田ぁ!どうしたんだ、こんなところで。
ホント久しぶりだな!ってか、卒業以来じゃないか?元気だったかー!アトリエ通ってんだって?」
「…んだよ、ガセかよ…アイツ」
「は?『ガセ』?」
思いついたことを、息継ぎ無しで全部言う勢いの久美子に、
呆れたように片眉を上げ、その後天を仰いで野田は呟いた。
その意味が分からず、彼女は首を傾ける。
「…まーいいや。ヤンクミ、今時間ある?」
それに構わず、覗き込むように野田が言う。
はにかむような笑顔が、相変わらず人懐っこい印象を与える男だ、と久美子は思った。
久々に顔を見せてくれた元教え子と、通りすがりの立ち話で終わり、というのも味気ない。
自分の疑問ははぐらかされたのか、先送りにされたのか、
それは分からなかったが、この際置いておくことにして、彼の誘いに乗ることにした。
「そこらへんのファミレスで茶ぁでもシバこうぜぃ」
ということで、
高校時代に彼らがよく通ったファミリーレストランに場所を移すことにした。
正確には、当時の店はもう無くなり、同じ場所にまた別のファミリーレストランができている。
看板が変わっていることに気づいた野田は、それを妙に感慨深げに見上げていた。
彼らが卒業してから、もう半年以上になる。
その様子を見て、久美子も、いつの間にかすっかり過去になってしまっていた当時を思いやった。
穏やかな笑みが自然とこぼれる、そんな時間たちを。
「・・・んで、さっきの『ガセ』ってなんだよ?」
野田がアイスコーヒー、久美子が『店長オススメ』のガトーショコラとアイスティーを注文したところで、
外では雨が降り出した。
『女心と秋の空』とはよく言ったものだ、などと年寄りくさく、取り留めない話をしているうちに
注文したものがあっという間にテーブルに届く。
空を見上げていた久美子は席に向き直ると、「いただきます」と言って両手を合わせた。
そしてデザートフォークに手を伸ばしながら、先ほどの話題を引き戻した。
「お、珍しく覚えてる」
野田もアイスコーヒー用のストローを手に取り、彼女を茶化す。
ストローの包み紙を真ん中に寄せて、アコーディオンみたいにしてから外してテーブルに放る。
彼の、その意味のない仕草を、久美子は見止めてふと笑った。
「なんかあったのか?」
そう言いながらも、きっとそんなに危機的状況でもないんだろうと彼女は思った。
彼の様子も、久々だからか多少遠慮がちに見えなくも無いが、とても穏やかだったから。
「そりゃおまえだろ?」
アイスコーヒーを一口。
間を置いて、呆れたように野田が言う。
「は?」
「…って、ウッチーから聞いてたんだけど、オレ」
「あたし?」
「そ。すんげぇ凹んでるかも知れないから、時間あるなら様子見に行ってやってくれって」
そこまで聞いて思い至った。
かつての教え子である内山春彦が言ったとなれば、あの件しかない。
彼女は野田の言葉にようやく合点が言った。
何週間か前のことだった。
夏休み明け、新学期早々生徒が退学という事態に山口久美子は遭遇していた。
『クラスのヤツらを全員揃って卒業させる!』ということを信条に掲げる久美子にとって
それはかつて無い大事件だった。
なぜ、自分はそこまで気づけなかったのか。
姿を消してしまった生徒がどこで何をしているのか。
何を思って、そんな行動に出たのか。
頭の中はその生徒のことで一杯になった。
とにかく見つけ出して、彼の真意を確かめ
自分の思いを伝えなければ・・・。
まだ残暑も厳しい中、彼女は心当たりを探し回り、少ない可能性に縋っていた。
ここで見つけ出せなければ、その生徒のことも自分のことも信じられなくなってしまう。
そんな不安に追い立てられるように。
内山に偶然会ったのは、ちょうどその頃だった。
久美子にとってはかつての生徒で、彼らにとっては元クラスメイトである熊井が切り盛りするラーメン屋で、
そのクラスの面々に偶然会っては、お互いに近況報告などをしてはいたが、
夏休みに入った頃からの数ヶ月はほとんど会う機会も無くなっていた。
だからその時に内山と久美子が道端で遭遇したのは、本当に確率の低い幸運だった。
少なくとも久美子にとってはそうだった。
あの時の彼の支えが無ければ、自分はもっと追い詰められていたかもしれない。
そう思っていたから。
「そっか・・・内山が」
「アイツ今、めちゃめちゃ忙しいんだよ。…なんだ、やっぱ心当たりはあるんだ?」
数週間前のその出来事を思い出して久美子が答えると、野田が意外そうに言った。
今の彼女の様子からは、想像がつかないのだろう。
「あー…っていうか」
「?…っていうか?」
「この前、情けないトコ見られちゃってさ」
曖昧に、バツが悪そうに彼女が頭を掻く。
「…生徒が退学したって聞いた」
「なんだ、知ってるのか」
「それだけだけどな。詳しいコトはなんでか言わねーんだよ」
「あー…うん」
また曖昧に頷く。
そんな久美子に、ニヤリと口角を上げて野田が彼女の表情を覗き込む。
「うわー怪しい反応」
「なんだよ、それ」
「オレらに言えないようなコトが二人の間にあったりして〜♪」
というのは、もちろん冗談である。笑
可能性がまったく無いとは言わないが、それならば隠し事のできない彼女の様子は、
もう少し違うものになるだろうと思うからだ。
「ば、バカ!あるわけ無いだろ!第一、あいつは教え子じゃねーか」
「昔のハナシじゃん、んなの」
「昔もカカシもねぇ!」
予想通りの色気のない答えが返って、彼は人知れずホッと胸を撫で下ろす。
この半年、いくら彼らから遠ざかっていたとはいっても、
そこまでの状況変化は起こっていて欲しくなかった・・・のかもしれない。
「・・・んでその生徒は見つかったの?」
「あ、うん。…見つかった…というか、戻って来た。紅葉まんじゅう持って…」
話題を戻すと、何故か彼女が照れたように言った。
彼女が言うには、内山に遭遇した数日後、例の生徒は久美子に会いに来たらしい。
なけなしの金で実家のある広島に戻っていた彼だが、
祖父の説得(という生易しいものではなさそうだったが)によって、東京に舞い戻ってきたということだった。
それにしても・・・紅葉まんじゅう・・・って・・・。
広島の名産なんだろうか。
いや、そういう問題ではなく。
「…そいつバカなの?」
正直者の野田は、つい、思ったことを口にしてしまった。
コイツを凹ますくらいの大事件を起こしておいて、のこのこ帰ってきた上に
手土産に紅葉まんじゅう・・・。呆れてモノも言えない。
その彼の言葉に対して、「おまえらと同じようなモンだ。」と答えた久美子の言には
無言で対処するほか無かった。
「でもやっぱ、退学届は取り消せなかった」
「…そっか」
カラン、とアイスティーの氷をストローで弄びながら
それでも穏やかに微笑んで彼女は言った。
一応の決着はついたという事なのだろう。
彼女のことを随分と気にしていた内山には、いい報告ができそうだ。
「…の割りには元気じゃん?」
「あぁ、あたしには落ち込んでるヒマなんか無いだろ?」
「まぁな。似合わねぇし」
「うん。あいつともちゃんと話せたし、今できることはやれたと思う。」
「良かったじゃん」
笑顔を見合わせると、彼女は教師の顔で頷いた。
こんな風に翳りなく、自分に誇りを持っている彼女に、当時野田も支えられていたのだ。
「でも、ありがとな!おまえも内山も、心配してくれて嬉しいよ」
久美子はガトーショコラを頬張りながら、今度は小学生みたいな笑顔を向けた。
彼女のころころと変わる表情も久々に見る。
「いや…まぁ…ウッチーは…」
「?」
自分がまだ彼女の生徒だった頃を懐かしんで、野田は、今日訪れたもう一つの目的を思い出した。
そうだ、内山と南と3人で、例のラーメン屋で飲んだ時、
内山が、わざわざ自分に向かって、彼女の様子を見に行くことを頼んだのは・・・。
「えーっと」
「…野田?」
言い淀む彼に、彼女は首を捻る。
もともと察しがいい方でもない彼女は、次の言葉を大人しく待った。
「多分、ウッチーはさ、オレにも気を遣いやがったんじゃねぇかと思う」
「は?」
「いや、だから」
「うん」
せっかく友人が用意してくれた機会だ。その心遣いを無駄にしてはいけない。
意を決して・・・というのも大げさだが、やはりちゃんとするべきだろう、と野田は口を開いた。
なんで、こいつ相手に緊張なんかしないといけないんだ、などと心中で悪態をつきながら。
「卒業以来だろ、ヤンクミと会うの」
「ん?あぁ」
「避けてたの、さりげなく」
「は?野田があたしを?」
「そう。」
「なんで!」
本当に思いもよらない、と言うように、久美子が目を丸くした。
「んで、途中から引っ込みつかなくなって…今までタイミング逃してたっていうか」
「だから、なんで!」
「……こういう反応だってのは、薄々わかってたんだけどさ…」
「…おい」
いつまでも答えを寄こさない野田に対して、いつまでも察しない彼女。
言うと決めたんだ、ともう一度意を決して、それから肩の力と一緒に息を吐いた。
「ヤンクミの変わらなさってスゲェよな、マジ」
「ワケわかんないよ?おまえ」
「だからさー。卒業ん時のコトだよ」
「え?」
なんでここまで言って分からないんだ、こいつは。と、いい加減呆れる。
それだけ気にしていない証拠なのだということが分かって、彼は安心もしたのだが。
「オレ!散々メーワクかけただろ?!クラスに!」
「あ?」
そこでようやく、しばらく考えてから「…あぁ!」と言って彼女は手を打った。
「…ちっ」
「…エッ!あれ気にしてたのか?!」
「気にしてたんだよ!」
照れ隠しに斜めに目を逸らして、野田は半ばやけくそになって言った。
その様子を正面に見て、思わず久美子は吹き出した。
「あっはははは!意味わかんないよ」
「なんでだよ!」
「一年中あんなんだったじゃないか、おまえら。バカばっかでさー♪」
彼女のそんな反応に心を軽くしながらも、明らかに自分が笑われている現状に顔を顰めて彼は毒づいた。
「…マジむかつく、こいつ」
そう言うと、彼女はまた、心底面白そうに笑った。
「・・・でもあれは、マジで反省したんだよ」
言いながら、当時の彼女との関係を徐々に取り戻していた。
細かいことを気にしていた自分が馬鹿みたいだ。
目の前の女は、まったくもって気に留めていなかったのだ。
「はー笑った。内山の人選は間違ってなかったな」
「聞けよ、人のハナシ」
くくく・・・と、未だに笑いを堪えて涙まで拭っている元担任に、当時のノリでツッコミを入れる。
「ったく、ホント相変わらず」と口では彼女に呆れながら、本当は、
彼女にまた救われている自分自身に、一番呆れていた。
そしてようやく、野田は今日はじめての、屈託のない笑顔を見せた。
2
高校3年。
それは、当時の彼らにとって奇跡のような一年間だった。
自分たちに期待をしない社会や勝手な望みばかり押し付ける周りの大人たちに対して、
すでに諦めしか感じていなかった自分たちの価値観を、根底から変えてしまうほどの。
それは山口久美子と言う、得体の知れない担任教師によってもたらされた。
とっくに絶望していた社会に夢を持ってしまったり、
ただやり過ごすはずだった学校生活に期待してしまったり。
気づいたら、すりかえられていた感情の種類が見慣れなくて
とまどう反面心地よく、
そんな自分たちを毎日発見しつつ
初めて、自分の居場所がここだと思える日々を。
「守りたい」って気持ちがなんなのかとか、
信じられることのかけがえのなさ。
信じることの 清々しさ。
口に出しては照れくさくて言えない、そんなものを、彼女が教えてくれたのだった。
その一方で、
夢を抱くのに慣れなかった野田は、卒業が近づくにつれて目に見えない焦燥感に駆られていた。
もう、すぐそこで終わりを迎えようとしている、その奇跡的な日々。
彼女の出現が、どれだけのモノを変えたか。
失う現実が迫って、改めてまざまざと突きつけられる。
失いたくないモノが増えてしまった。
何かに縛られたり、面倒なシガラミなんて、一番避けたかったハズの自分たちが
子どもだとかバカだとかそういう扱いが、一番ムカついてた自分たちが、
それを失いたくないと思っている。
誰も、示し合わせたかのように口にはしなかったけど。
最後の瞬間まで、何一つ取りこぼさないように、
「いつも通り」にバカ騒ぎをする俺たちを知ってか知らずか、
彼女もまた、「いつも通り」に笑っている。
それが嬉しくもあり、どこか苦しくもあった。
今さら不安だなんて、カッコ悪くて言えやしない。
まるでもう一度産まれなおすみたいな、解放感と心細さ。
守るものがゼロになって、あとは自分次第だと時間が告げる。
居心地が良すぎるこの場所をなくしたくないのか
先が見えない不安から逃げているのか。
とにかく 自分のそういった感情からはできる限り目を逸らしていなければならなかった。
『デザイナーなんてふざけたコトを言ってないで、ちゃんとした大学に入りなさい!』
『ちゃんとしたってなんだよ!』
『美大なんて金がかかるだけで 他にはメリットなんか何もないじゃないか!』
『だからバイトして払うし、借りた分は返すっつってんだろ?!
それにオレにとっては美大じゃなきゃ意味が無いんだよ。他の大学ってんなら就職した方がマシだ!』
(キビシイゲンジツ)
情状酌量の余地なんか無い。
突きつけられた自分の甘えと 実力。
(・・・・・・・あと一年も頑張れるのかな・・・
親を説得して 浪人して、アトリエ通って・・・・・・・)
浪人が決定して、最初に浮かんだのは、そんな弱音だった。
自分で分かってんだ。
オレって結構流されやすい性格だしさ。
そんな言い訳をしながら。
誤魔化すクセが身についている。
ワケの分からない苛立ち。嫉妬。
それで大事なはずの友人に、食って掛かった。
沢田慎が、感情に任せて本気で自分に殴りかかって来たのは、あれが初めてのことだった。
いつも必ず、周りの人間の気持ち・・・
特に担任である山口久美子の気持ちを優先させていた彼がそうしたことによって、
どれだけ自分の言葉に傷ついたのかがわかった。
今思えば、いっちょ前に受験ノイローゼに近いものだったのかもしれないとも思う。
ノイローゼになるほど、勉強などしていなかったくせに。
意味のないことをしているってわかっていながら、
他にどうしていいかも思いつかなくて、同じことを繰り返した。
ただただ、苛立ちを周囲にぶつけた。
だけどその不安は、自分だけのものじゃなかったのだ。
みんな同じだったのに。
そんな当たり前のことを、分かっているようで全く分かっていなかった。
自分だけが不幸になったような気分で。
後から聞いた、それぞれの事情と葛藤。
・・・自分はなんて幼かったんだろう。
そう思う度、沢田慎のあの時の目が痛く突き刺さる。
心を尽くしてくれた担任の、必死の表情に胸が苦しくなった。
***
「まぁ…確かにな。どうなることかと思ったけど…」
「…」
同じように、当時に思いを馳せていたのだろう、山口久美子が伏目がちに呟いた。
「結局何とかしたのもおまえらだったじゃないか」
そうやって、また教師の顔で笑う。
「それだけであたしは充分だよ。おまえらが全員無事に卒業したことが、今のあたしの誇りだ」
「…」
見惚れてしまった。
そんな自分を誤魔化すように、野田はふと笑って目を逸らす。
「あいつさぁ…」
「ん?」
「あいつは…何か言ってた?」
「あいつ?」
「…慎」
なんでもないことのように聞いてみる。ずっと気になっていたこと。
彼女になら、自分に言えないことでも話しているのかもしれない。
沢田慎と目の前の元担任との関係は、自分たちとは違う何かがあったと、野田は思っている。
もしかすると、その二人への嫉妬もあったのかもしれない。
(めちゃめちゃカッコ悪いけどな、ソレ)
まるで子どもの嫉妬だ。
「いや、何も聞いてないよ。…あたしも大して話はできなかったんだ。」
「そっか」
予想してはいたが、ギリギリの所で、種を明かさない。
慎の性質は本当に厄介だと思った。
「うん。でも大丈夫!」
「・・・その根拠の無い自信はどっから来るワケ?」
励ます気なのか、本気でそこまで単純なのか、測りかねる明快さで彼女は言った。
「人に迷惑かけないからいいってワケでもないだろ?」
「…そうかぁ?」
「そうだよ。 人と関わり持たなきゃ迷惑は最小限だろ?
そしたら、人とできるだけ関わり持たなきゃ、それが一番いい方法か?」
試すように久美子が覗き込む。
確信に満ちた瞳が、彼を捕らえて離さなかった。
「あたしはそうは思わない。
確かにその方が楽かもしんないよ。めんどくさいコトも少ないかも。
だけどそれじゃ生きてて楽しくないだろ。それで満足なら、人と人が一緒に居る意味ないよな?」
「…」
「だから、一緒に生きてく為には相手にぶつかってくことが必要な時もある。
一人で溜め込むよりゃずっといいし。」
「それは・・・おまえだから、そう思えるんだろ。」
聞き入ってしまう自分が悔しい。それで心ばかりの悪態をついた。
「そうかな?
でも、沢田だってそうだよ。」
「…。」
彼女の確信に満ちたその言葉は、やっぱり二人の関係を物語っているように思えた。
でも、そんなツマラナイ嫉妬も、もうどうでも良くなっている。
「うん。絶対、あたしが保証する。」
「おまえに保証されてもなぁ…。」
結局いつも完敗だ。
「んだとー!」
「あはは♪」
だけど、
彼女に負けるために、自分は今日ここに来たのだった。
END?
「おまえんトコに近況報告来るんだろ。」
久美子は、もうすぐ雨も上がるだろうと予想をつけて、
それまでの間、このファミレスに居座ることを決めたらしかった。
野田はそれに付き合って、追加注文でスパゲッティを食べることになっている。
「ん。ああ、たまにな。」
沢田慎は現在、地球の裏側にいる。
どうなんだろうな、それ・・・。
最初にその話を本人の口から聞いた時、
もしかするとコイツは、自分より馬鹿なのかもしれない・・・と思ったことは秘密である。
しかし秘密にするまでもなく、きっと誰しも思ったことだろうと、野田は信じている。
彼と、Eメールのやり取りをしているのは自分だけだった。
と言っても、彼は最低限の近況報告しかしてこないので(しかもごく稀に)、
「生きている」と言うことくらいしか実際には把握していない。
他の面々がそれをしないのは、単にそれぞれの生活環境の違いによる。
たまたま自分には、彼が日本を離れる時にその環境が整っていたのだった。
「元気にやってるって?」
だからこんな風に、会う度に彼の近況を聞かれるのも、もう慣れっこになっていた。
「あー大変そうだけどな。でもなんか楽しそう…な感じする。」
「そっか♪」
それを聞いて満足そうに笑うと、元担任は自分が頼んだグラタンを口に運んだ。
「いつ戻ってくるんだろうなー、慎のヤツ」
何とはなしに野田が言う。
「まぁ、気長に待ってたら、いつかひょっこり顔出すだろ」
まるで近所のおつかい行ったみたいな、気軽な口ぶりだ。
思わず野田は吹き出した。
彼女の予言どおりに、雨はいつの間にか上がっていた。
「・・・そうだな」
ファミレスの大きなガラス越しに、もう暗くなった空を見上げて
彼女が言うならきっとそうなんだろうと、笑いながら彼は同意をした。